四隅突出型墳丘墓と喜多方市塩川町
年末にKindleペーパーホワイトを買って、キンドル・アンリミテッドで古代日本の本を読みあさっています。
白黒なのと、スマホと比べると反応が遅いのが気になりますが、基本的にすごく快適です。
読みやすい大きさで、目に優しく、重量が軽いこともあり、スマホでは不可能な量を読むことが出来ます。
ところで、こちらの本の位置no.697にに、私の出身地である塩川町が出てきます。
福島県の耶麻郡塩川町で、似たような墳丘墓が発掘されました。列石や貼り石がないのですが、一辺、一辺が内湾しているので、四隅突出型墳丘墓だと認定しています。(「和光大学リポジトリ 第三回宮川寅雄記念講座 講演会 最近の発掘から見た東日本(大塚初重 2000/3/18)」より)
2006年の平成の大合併前は、塩川は耶麻郡だったので、本には耶麻郡と表記されています。
ところで私の実家は塩川町の石屋なのですが、いつだったか忘れたぐらい前のことですが、私の記憶が正しければ、父が、こんな趣旨のことを言っていました。
「塩川のどこだかの古墳には、昔は石が貼り付けてあって、それが光って銀色に見えていたらしい。」
10年以内の会話だとは思うのですが、そういう記憶が塩川町にはまだ残っているようです。
四隅突出型墳丘墓というのは、出雲と関わりが深いお墓の形のようです。
話は変わりますが、塩川の金川寺に伝わる八百比丘尼伝説では、八百比丘尼の父親は秦河勝の三代目の孫の秦勝道だとされています。
塩川には秦氏の痕跡があるというわけですね。
ちなみに塩川は、福島県の会津地方にあります。
蒲生氏郷が会津を栄えさせるために、近江商人を連れてきて、会津若松市を若松と名付けるなど、いろいろな足跡を残しましたが、会津に連れてこられた近江商人が故郷を偲んで琵琶阿湖と呼んだ湖があるのが塩川町です。
日ユ同祖論界隈では、琵琶湖は、ガラリア湖、またの名をキレネット湖と同一視されるますね。キレネットとは、琵琶や竪琴という意味だそうです。
そんなわけで、塩川町には、新潟とつながる阿賀川が流れており、会津藩の重要な川港として栄えました。
塩川町の駅前には、近江商人17代目ののれんを出している食堂も現存しています。
塩川は蒲生氏郷とも縁が深いのですが、蒲生氏郷は、キリシタン大名、そして、渡来人だったのではないかという説もあります。
ということで、蒲生氏郷と秦氏の関係を示す資料がないかと調べたら、出ました。
喜多方市に、會津近江屋十六代目蒔絵師 秦 隆吉さんという方がいらっしゃるようですね。
整理すると、塩川の八百比丘尼伝説に出てくる秦勝道は8世紀の人で、蒲生氏郷は16世紀の人です。
ずいぶん長いこと、秦氏と縁がありますね。
秦氏と言えば、ユダヤ人説がありますが、ここからが長いので、それは、またまとまったら書きたいと思います。