「傷」

  私は最近になって自分の「傷」を見て、「うわ、酷いな」と思えるくらいまで回復したと思う。前までは「傷」を見ることすら怖くて、出来なくて、人に話すなんてとても出来なかった。「傷」について話すことが一番早くカサブタにできる行為だとわかっていても、私にとってはかなりきつい事だった。

  その「傷」を初めて自分から話したのは旦那さん。口にしたのはこの人だけ。目に見える形に起こしたのは、このTwitterの鍵アカウントで、noteだけ。私にはまだ話せてない人がたくさんいる。話さなくてもいいんだけどね。ただ旦那さんに話したことで自分が自分に向き合えるようになったとわかった。

  当時、痛かったことも、怖かったことも、苦しかったことも、自分の人生が暗くて見えなくてどうにもできなくて……助けてほしかったことも、そして逃げてしまって、親を落胆させたのではないかということも……言葉に起こすとたくさん見える。

  そんな私を助けてくれようと手を差し伸べてくれた人はいた。しかし私はその手を握ることが出来なかった。それほど目の前が真っ暗で息をするのも大変で、息をしてるのが奇跡なくらいだった。

  私は私で精一杯で、どうにかしないとどうにか……と一生懸命に生きていたけど、突然、解放されたくなった。それはそうよね、息をしてるのが奇跡なんだから。

  精一杯に息をしてきたけど、どうしても無理になってしまった。だから逃げた。たぶん逃げるのが遅いくらい。おそらく詳細に親に話をしていたらどうしてもっと早く言わなかったのかと言われただろうと考える。私は今もまだ詳細に親には言ってない。言えてないの方が正しいかもしれないけれど。

  当時は逃げたことを悔いた。もっとがんばれたのではないか、努力が足りなかったのではないか、自分を責めた。

  今は、どう考えても「逃げて正解!」と感じている。しかし遅すぎた傷口はかなり広くて深く刻まれている。私がすぐにしたのは、傷口に蓋をすること。それが正解だと思っていたから。今は違う。傷は話してみて初めて実態になり、自分に語りかけてきて、どんな形か理解ができる。理解ができるから、どうすれば治るかわかる。治す方法を見つけられる。
  もちろんこれは私の場合で、人によって違うと思う。治す方法は人それぞれだから。

  そしてどんな人にも傷はあるものなので優しくして欲しい。何がその人の傷なのかは誰にもわからない。自分が何気なく言ったことが、誰かの傷かもしれない。言葉はナイフだから、言ったら戻らない。

  『人にやさしく』

  簡単でも出来ないことはたくさんあるね。他人にも自分にも優しくして生きていたい。誰もが息をしているだけでとても偉い。人生は山あり谷あり荒波だらけなのに、ちゃんと息をして向き合っているからね。だから隣のあの人も偉い。

  逃げてきた人にはとても甘いと言われるくらい優しくしよう。向き合おうとしている人には優しく、そして怖かったら閉じてもいいと知ってもらおう。

  ゆっくりでいいんよ、向き合おうとすることが何よりすごいのだから。あなたはあなたのままで大丈夫。生きていてくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう。

  あなたはたくさんの人に愛されている。
自信を持ってね。

これは私の考えで「気持ち」。感じたままに書いただけです。不快に感じたらごめんなさい。

失礼しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?