PTとして40年 臨床の歩みと変化
こんにちは、理学療法士のおかむーです。
今回は、「PTとして40年 臨床の歩みと変化」について、お話したいと思います。
この‘note’を拝見すると、若い方が多い印象です。
そのため、これからを担う方々に、私が歩み・変化してきた40年の経緯が参考になれば幸いです。
ただ、これは、いち個人のものなので、あくまで参考程度までに。
Ⅰ. 初 期
何もわかっていない若造でした。
痛ければマッサージや物理療法を行なう。
関節が硬ければ揉みほぐす。
関節が動かなければ、曲げ伸ばしをしたり、患者さんに「もっと、力を入れて」と促す。
座っている、立っていることができなければ、傍にいながら、座る・立っているを何かに掴めってもらい行なわせる。
起き上がる・立ち上がる・歩行するができなければ、介助しながら繰り返し実施する。
要は、出来ないから練習するやり方でした。
Ⅱ. 黎明期
その内
何のために学校に通い、国家試験を受けたのか?
私でなくても良いのでは?
自分の理学療法士としての存在価値は?
と疑問が生まれてきました。
そこで、別の、自分に合った世界を探しましたが、なかなか見つからず
苦労して掴んだ国家資格
また、同じような道を歩むのは・・・。
そんな、勇気や気力はありませんでした。
そこで、‘この世界で生きていこう’と決めました。
ただ、この状態で、この先何十年も過ごすことは耐えられませんでした。
当時の考えは
人生の大半の時間を仕事に費やす。いわば、‘仕事=人生’、それなら、自分が納得いく、充実した仕事がしたい!と。
理学療法は西洋医学です。
西洋医学は、病気の根源を見つけ出し、それに対して治療していきます。
医師はその手法をとっていますが
当時、理学療法が出来て20年強、いわば黎明期で、医者の世界のように成熟されていませんでした。
それでも何かないか!と学会や研修会、文献、他病院への勉強や、先輩方の考えを盗むように、早朝や夜に病院に来て、先輩方のカルテを見て、どう捉えているのかを探りました。
一時は、研修で覚えた様々な治療手技にはまった時期もありました。
しかし、万能な手技はなく、それで良くならずに悩んだりもしました。
ここで、変な話しですが、私は映画の‘ゴッドファーザー’が好きです。
その中で、ゴッドファーザーの息子が頭台する組織に命を奪われたシーンがありました。
和解のために、親分同士が話し合いを設けた場面で
ゴッドファーザーが、皆に、「私は偶然を信じない。たとえ、息子が雷に打たれたとしても、それは、誰かが仕組んだものだ」
と言った要旨を言ったとき、ふと、私の中で
「そーだよな、症状には必ず原因がある。それがわかれば! 医者だって、それで患者さんを治療して結果を出しているではないか。そのことは、すでに結果で証明されている。」
と思いました。
では、PTにとってそれは何だろう?と考えたとき
PTの仕事の多くは、動きの獲得で、動くためには重力に逆らう必要がある。
陸上生物も、重力に打ち勝つ技を見つけて進化してきたではないか。
じゃあ、そのために必要な、土台となる知識は・・・、そう‘運動学’だ。
医学は日進月歩しており、どんどん変化している。
昨日まで、良いと言われてきたことが、間違えだ、となることもある。
しかし、運動学で取り扱う、私が好きな‘物理’、とりわけ、動作との関係が大きい‘力学’は裏切らない。
そう思ってから、動作を運動力学に絡めて見るようにしました。
すると、疑問に思っていた内容の一部が、雲が晴れたように解けました。
でも、晴れたのは一部であり、わからない事が多々ありました。
また、年を重ねるにつれて、その疑問内容が、深く、そして多くなりました。
Ⅲ. 成長期
わからない(つながらない)部分を埋めるには?
私に足りないものは、知識でした。
もっと、知識が欲しいと思うようになりました。
仕事が終わってからの勉強は、時間に限りがあります。
もっと良い手は?
その時、偶然にも、リハビリ学校の教員の話しが舞い込んで来ました。
教員になったのは、生徒を育てたい思いの他に、自身の臨床での空白部分を埋める目的もありました。
入職の条件として、‘運動学’の授業を担当したいと申し入れました。
授業準備、生徒に極力理解できる資料作成をしながら、臨床での穴埋め作業をしました。
生徒に伝わる授業を心がけは、臨床での穴埋めの整理にもなりました。
この頃、学校では、臨床の感覚を忘れないために、非常勤として週1回、病院等で働くルールになっていました。
当時の臨床現場は、まだ、若い方が主流で、人手不足で、今ほどスタッフの人数も多くありませんでした。
当初は、私も現場スタッフの一員として、患者さんを担当してました。
結果の出方は若手スタッフより上でした。
また、患者さんによっては、「あのPTさんだと良いのに・・・」と、常勤スタッフと患者さんの信頼関係が損なわれそうな場面もありました。
そこで、私が週1回来ても、スタッフには還元されない。
大事なのはスタッフの力量を上げ、病院リハを向上させることでは?と思うようになりました。
そこで、病院のリハ科上司に状況を説明して許可を頂き、現場スタッフに付いて指導するようにしました。
当然、指導する立場ですから、指導される側が納得し、結果も出さなければなりません。
時に、学校に帰って調べることもありました。
また、せっかく学校から来ているとのことで、業務終了後に勉強会を開催しました。
内容は知識や症例検討などです。
症例検討に関しては、後日、その病院等のスタッフにまとめた内容を送りました。
これは、病院等とは限らず、学校でも3年生には実施しました。
当然、学生と現場スタッフでは力量が違うので、それに合わせました。
そのような事の繰り返しが私を成長させ、見る精度、考える深さと広さ、事象を整理する力が年ごとに向上し、スピードも増してきたように思います。
Ⅳ. 成熟期
このような‘力’は、卒業して25年目辺りに感じ、30年目を過ぎた頃から、スピードが速くなってきたように思います。
おかげさまで、今は、対象者の訴えからある程度絞り込み、動作でそれを探り、触診を中心とした評価と推論が間違っていないかの確認で、100%ではありませんが、かなり高い確率で出るようになりました。
その推論ですが、対象者が訴える言葉を一言発する度に、脳が瞬間的に、それが問題点とどう関係するかが思い浮かび、次の言葉で、種々出てきた内容を付け足したり、絞り込んだりして、ある程度の当たりをつけます。
歩行においても、歩く前に、ある程度見るべき箇所が決まってきているので、何度も歩かせません。
評価も、時には、チョコット触れるだけのときもあります。
ROM、筋力、身体対応能などは、数回の動作である程度見極めます。
そうでない場合もありますが。
訴えから始まって問題点の結論を出すのは、大概は数分で、ものによっては数十秒です。
内容は、noteの‘リアル臨床’に示したものです。
また、わずかな情報のみから推測して結果を出すこともあります。
これは、独りよがりで言っているわけではありません。
いい年して、そんな恥を公にさらしたくありませんから。
やはり、結果が出て、ついて来てくれる人がいるからです。
以前、「何で、ついて来てくれるの?」と一部の人に聞いたことがあります。
すると、「結果がでるから」と、答えてくれました。
Ⅴ. 最後に
継続は‘力’なりです。
今後、これを更に発展させるのは、ぼちぼちとして、残りの人生、これからの人達に伝えていくことが、私の最後の使命かと思っています。
仕事で走り続けてきた人生、今後は、散歩でいこうかと思います。
ただ、これから自分がどう変化するのか、想像できず、楽しみでもあります。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
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