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vol.9_印刷で歴史を変えた、グーテンベルク

こんにちは!"RETHINK PAPER PROJECT"のシミズサトシです。
本日もご覧いただき、ありがとうございます。

さて、前回は、中国で、木版印刷、そして、活版印刷が発明された、というお話でした。

印刷は、写経文化のある仏教と非常に相性が良く、紙と同様、中国で発明されました。

そして、その印刷技術を実際の形にした最初の例は、日本でした。
称徳天皇の時代に流行した天然痘を治めるため、100万基の三重の塔に収納された経本を、印刷によって刷り上げました。

また、漢字、そして書道の文化である中国では、後にヨーロッパで普及するほど、印刷は多用されませんでした。

さて、今回は、中世ヨーロッパに移ります。
印刷の歴史を語る上で、この人物は外せないでしょう。活版印刷の発明家、ヨハネス・グーテンベルクです。
偉大な発明家でありながら、謎の多い人物です。

彼の発明をきっかけに、ヨーロッパ、そして世界がドラマティックに変わっていきます。

今回は、そんな時代を変えるきっかけを作った彼の話を中心にご説明いたします。よろしくお願いいたします。

■ヨーロッパでニーズが高まってきた印刷

グーテンベルクの生きた15世紀は、ヨーロッパでも紙の生産体制がある程度整ってきた時代です。
そして、書籍が一般の人々にも少しずつ行き渡るようになってきました。
当時の書籍は、写字生という人たちが、手で文字を書き写して製作していました。

中世ヨーロッパ以前、古代ローマ時代の一般の人々にとって、書籍は読むものではなく、読誦会(どくじゅかい)や晩餐会や公衆浴場で聞くものだったので、書籍が一般の人々の手元にいくことはありませんでした。
つまり、古代ローマ時代は、写字生が書き写すことで事足りていました。
しかし、書籍の需要が高まってきた中世ヨーロッパにおいて、印刷技術の発明は、喫緊の課題だったのです。

印刷に限らず、人々のニーズがないところにテクノロジーが起こることはなく、人々が求めているところにテクノロジーが起こります。

結果的に、グーテンベルクが活版印刷の発明者となりましたが、当時のヨーロッパで、彼のみが活版印刷の発明に尽力して訳ではなく、多くの技術者が活版印刷の技術開発を行っていたのです。

■グーテンベルクが活版印刷を生み出すまで

社会を大きく変えていくきっかけを作った、間違いなく偉人であるグーテンベルクですが、残念ながら、彼に関する情報は、ほとんど残っていません。

彼に関する情報源は、裁判記録によるものがほとんどです。
いろんな人たちに訴えられています。裁判記録が残っていなかったら、彼が活版印刷の発明者であることは、闇のままだった可能性があります。
問題児だったみたいですが、このお陰で、彼の情報を得ることができているので、結果的に問題児で良かったということです。
#問題児で良かった

彼の生まれた年は特定できていませんが、1394年〜1399年の間とされています。
生まれた場所は、ドイツのマインツという都市です。
当時のマインツは、中産階級が中心の住みやすい都市で、商業が盛んな街でした。グーテンベルクの父親も中産階級の商人だったようです。

職人の街としても知られており、グーテンベルクは、金銀細工師となります。
当時は、今のように職業選択の自由があまりなかったことから、グーテンベルクの家系は代々、金銀細工の仕事をしていたのでは、という説が有力です。
そして、金銀細工の技術こそが、彼が活版印刷を発明する上で、最も重要な要素となります。

グーテンベルクが活版印刷の開発を始めたのは、1440年頃です。
つまり、彼が40〜50歳の頃ということです。
当時の年齢で考えると、かなり遅く感じますね。

金属活字の加工は、とても高い技術が必要です。
写字生が書くような美しい文字を逆さまに彫り、その高さを一文字一文字均一にそろえなくてはいけません。

彼は、金銀細工の技術を応用しますが、金属の配合や加工、それからインクの開発などに、多くの開発資金を必要とします。
彼は、自分の資産では開発資金をまかなえず、ヨハン・フストという資産家に開発資金を出資してもらいます。
ちなみに彼は、最終的に、ヨハン・フストにも訴えられます。
#どんだけ問題児だよw

開発は進んでいき、活版印刷に適したインクや、金属活字用の鋳型を開発します。

鋳型を作っておけば、手彫りに比べて、活字の生産速度が圧倒的に飛躍します。
英語は漢字に比べて文字数が少ないと言っても、大文字・小文字・数字・記号などを合わせると、約100個の活字を必要とします。
使用頻度の高い活字は複数用意することを考えると、活字の生産速度が重要な要素だったことがわかります。

■聖書の印刷に挑む

活版印刷技術を確立していった彼は、人生最大の挑戦をします。
『聖書』の印刷です。

『聖書』といえば、人類史上最大級のベストセラーであり、神聖な書物です。
おそらく、『聖書』のような神聖な書物を印刷することに、少なくない批判があったことでしょう。
しかし、彼はこれに挑みます。

そして、1452年から1456年の間に、42行、2段組み、全120ページの『聖書』を完成させます。
非の打ちどころのない、完璧な美しいデザイン、そして印刷です。

そして彼は、羊皮紙と紙に印刷しますが、ほとんどが紙に印刷されています。

この聖書は『グーテンベルク聖書』と呼ばれ、現在でも残っています。(日本では、慶應義塾大学に、アジアで唯一の『グーテンベルク聖書』の完本が所蔵されています。)

■ビジネスとしては花開かず

彼は、活版印刷という当時最高峰のテクノロジーを発明し、完璧な『聖書』を刷り上げた、偉大なエンジニアですが、最終的に、活版印刷でビジネスを成功させることは叶いませんでした。

なぜなら、出資者のヨハン・フストに訴えられるからです。

彼は、実用できる段階に入っていた活版印刷技術を、ビジネスに生かすことなく、ついに、出資者のヨハン・フストが怒ります。
「金を返せ」と。

当然のように裁判で負けたグーテンベルクは、お金、印刷所の機械、従業員などを、全てヨハン・フストに持っていかれます。
そして、この後、ヨハン・フストは活版印刷でめちゃくちゃ成功します。

そして、1468年にグーテンベルクはこの世を去ります。

はい、という訳で今回は、活版印刷の発明家である、ヨハネス・グーテンベルクのお話でした。

個人的に、かなり熱くなりました。

晩年で、活版印刷という当時最先端のテクノロジーに挑み、技術開発に成功し、『聖書』まで作り上げた、グーテンベルク。
一方で、ビジネスとして成功させることは叶いませんでした。

ヨハン・フストに訴えられて全てを失った時の彼は、一体どんな心境だったのでしょう。
今となっては、誰も分かりません。

若輩者ながら、ものづくりをしている僕は、ものづくりによって世界を変えた彼に最大級の敬意を送りたいと思います。

さて、次回は、グーテンベルクの技術が世の中を変えていきます。
ルターの宗教改革のお話をしたいと思います。ルターというとんでもねーお方が登場します。
次回もお楽しみに!

それでは、本日はこの辺で失礼いたします。最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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