『稲盛和夫一日一言』 11月9日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11月9日(木)は、「私心が組織をダメにする」です。
ポイント:トップに立つ人間には、いささかの私心も許されない。トップの私心が露わになったとき、組織はダメになる。
2015年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第2巻 私心なき経営哲学』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)の中で、「リーダーは才能を私物化してはならない」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
人間には一人として同じ人はいません。格好も違えば、性格も能力もすべて違っています。しかし、それぞれ違いはあっても、人間はみな本質的には同じものであるはずです。物心ついて気がついてみると、現在の自分が存在していたということだけではないでしょうか。
ところが残念ながら、ほとんどの人間は、一生懸命に努力を重ね、ある程度成功すると、その成功は自分の持っていた才能の結果だと思ってしまいます。そして、知らず知らずのうちに驕りが生まれ、謙虚さを失い、怠惰になり、結局は没落してしまう。つまり、何も意識しなければ、気づかないうちに、成功そのものが自分を驕り高ぶらせてしまうわけです。
私は京セラを創業して以来、ひたすらがむしゃらに働いてきました。そして、会社も驚くようなスピードで成長しました。そうすると、自分の才能に過信を持ち始め、驕りが出てきそうになりました。
しかし、宇宙をつくった創造主が私にある種の才能を与えたのであれば、その才能は、世のため人のために使うよう、たまたま私に与えられたものであって、それを私物化し、個人のために使ってはならないはずです。
そこで私は、自身に猛烈な反省を求めました。自分の才能を自分だけのものと勘違いしてはならない。「謙虚にして驕らず」、才能を世のため人のために役立てよう、そのためにはさらに努力を続けなければならない、と自分に言い聞かせたのです。
「自分の才能を私物化してはならない」という考え方を本気で実践していこうとすれば、たいへん厳しい生き方を強いられます。個を捨て、社会や組織のために生きていかなくてはならない。それには、自分自身を常に厳しく戒め、管理していかなくてはなりません。
しかし、私はこのような考え方を持つことは、リーダーにとってたいへん重要なことだと思っています。私自身、そのことに気づいたおかげで、その後も素晴らしい人生を歩むことができたと思っています。
リーダーが、その才能を社会のために、組織のために、また部下のために使ってこそ、創造主が授けてくれた才能の使い道をまっとうできるのです。
リーダーは、偉くなればなるほど、自分に対して厳しい責務があるということを決して忘れてはなりません。(要約)
今日の一言では、「トップに立つ人間には、基本的に『個人』という立場はあり得ない」とまで言われています。
1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、「己をつくる」として、名誉会長は次のように説かれています。
成功した中小企業の経営者の方々には、勝ち気で闘志むき出しの方が多いようです。そのような方は、商機を見る目を持ち、気が利き、非凡な才覚を持ち、生き馬の目を抜くような商才にあふれています。
事業というのは、この才覚と商才さえあれば、だいたいうまくいきます。ただ、それだけでは破滅してしまう危険性があります。
それは才覚と商才だけに身を任せて、当たるを幸い次から次へと手を打っていくからです。それでは短期的にはうまくいくことはあっても、非常に危なっかしい経営となります。「己れ(魂)」がなく、才に使われている状態です。
逆に、才を召使いのように使っている人もいます。それは、高潔な人格を備え、徳を身につけた「己れ」が才能をコントロールしている状態です。
最初から人格ができた人はなかなかいません。初めは闘志むき出しで、才覚と商才に頼ってもいいのですが、一生涯の業とするならば、次のステップとして、「徳」を高め、「己れ」をつくっていくことが必要です。(要約)
稲盛経営哲学を学んできた一人として、ぜひともそのようなステップを踏み、少しでも「世のため人のため」に貢献できる人生を歩んでいけたらと願っています。