『稲盛和夫一日一言』12/20(火)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 12/20(火)は、「真の事業家」です。
ポイント:「利を求むるにも道あり」 真の事業家は、人の道を踏み外さないように、その範囲で利益を追求する。
2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の「他を利するところにビジネスの原点がある」の項で、ビジネスにおける利他の精神について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
弱肉強食のビジネス界で、私がしきりに利他だの愛だの思いやりだのと口にしているのは、ただ自分の信じるところを素直に伝えたいのと同時に、自身がそれを本気で実践していきたいと念じているからです。
初期の資本主義においては、世のため人のためという、私益よりも公益を図ろうとする心が倫理規範となっていました。
日本でも、江戸中期の思想家である石田梅岩は、「商人の売利は士の禄(ろく)に同じ」と述べ、商人が利を得ることは、武士が禄をはむのと同じ正当な行為であり、けっして恥ずべきことではないと、当時最も下位の身分に置かれてさげすまれることの多かった商人を励ましています。
また、「利を求むるに道あり」として、利潤を追求することはけっして罪悪ではないが、その方法は人の道に沿ったものでなくてはならないと、商いにおける倫理観の大切さを説いています。
さらに、「まことの商人は、先にも立ち、われも立つことを思うなり」、つまり、相手にも自分にも利のあるようにするのが商いの極意であり、そこには「自利利他」の精神が含まれていなくてはならない、とも述べています。(要約)
利を求める心は、事業や人間が活動する際の原動力となるものです。ですから、誰しも儲けたいという欲を持っているのですが、その欲を利己の範囲にのみ留めることなく、他人にもよかれかしというもっと大きな欲、「大欲」として公益を図る。そうした利他の精神がめぐりめぐって自分にも利をもたらし、その利を広げたりもしてくれる。
今日の一言では、「真の事業家とは、人の道を踏み外さないように、その範囲で利益を追求するもの」とありますが、そもそも会社を経営するという行為自体が、社員を雇用しているというだけで、すでに世のため人のためになる利他行を含んでいます。
また、独身の人が家庭を持って家族を扶養するといったもっと小さな単位においても、その行為自体には利他行が含まれています。
そこで気をつけなければならないのは、利己と利他はいつも裏腹の関係にあるということです。小さな単位における利他も、より大きな単位から見ると利己に転じてしまうからです。
大切なのは「人間として正しいか」という判断基準を持てるかどうかではないでしょうか。あらゆる立場の人から見ても、またあらゆる角度から見てもやましいところはないと思って行動したアウトプットなら、後悔することも少なくなるのではないでしょうか。