『稲盛和夫一日一言』 8月12日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 8月12日(土)は、「原理原則に立ち返る」です。
ポイント:込み入って複雑そうに見える問題こそ、原点に立ち返って単純な原理原則に従って判断すること。
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、「原理原則にしたがう」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
京セラでは創業当初から、すべてのことを原理原則にしたがって判断してきました。なぜなら、会社経営は、筋の通った、道理に合う、世間一般の道徳に反しないものでなければ決してうまくいかず、長続きしないからです。
どんな時代、環境下にあろうとも、「人間として正しいことは何なのか」ということを基準に判断を行う。そのことを私は「原理原則にしたがって判断する」と表現しています。
しかしながら、「人間として正しいことを貫く」という原理原則に基づいた、確固たる判断基準を持っていても、時と場合によっては、明確な判断をしにくい問題に遭遇し、誤った判断を下してしまうことがあります。
その時点では正しい判断をしたと思っていても、結果として誤った判断を繰り返してしまえば、当初の目標から大きく逸脱してしまいます。
例えば、山登りをしているときに霧が発生し、進むべき道がわからなくなったとしましょう。そんなとき、確信が持てないまま、分岐点に着くたびにその場その場で誤った判断を繰り返してしまえば、結局は目的地まで到達できず、そのまま力尽きて遭難することになるかもしれません。
「道に迷ったら元の分岐点に戻る」のが山登りの鉄則であるように、自分の判断に少しでも不安を覚えたら、その時点で勇気を持って原点に立ち返り、改めて判断し直すということが大切なのです。(要約)
今日の一言には、「込み入って複雑そうに見える問題こそ、原点に立ち返って単純な原理原則にしたがって判断することが大切だ」とあります。
物事を判断するとき、すさまじい集中力で自分を鍛え抜いていれば、素晴らしい判断力を発揮できると思います。しかし、物事というのは、白黒がはっきりしているものだけではありません。グレーのものもあって、判断に迷うケースも出てきます。
しかし、それでも進まなければならないからと判断していくと、往々にして「こっちだと決めてやってはみたが、どうも様子がおかしい。やはりあっちだったか」ということも起こります。
そうしたときは、正しく進んでいくためにも、いったん原点に立ち返り、原理原則にしたがって考え直すことが必要だと言われているわけです。
「人間の行動のほとんどは、結局は自分のためのものであり、あくまでも一番可愛い存在は自分自身である」という内容のコラムを読んだことがあります。
仮に、迷ったときに誤った判断をしたとしても、痛い目を見るのが自分一人であれば、それはいわば「自業自得」ということで済まされるかもしれません。
しかし、それが組織や集団を率いるリーダーであれば、リーダーのたったひとつの誤った強引な判断が、組織、集団の存続をも危くしてしまいます。
今日の一言は、次のように続いています。
「さじを投げ出したくなるよう難しいことに直面したら、素直な目と単純明快な原理に基づいて、事の是非、善悪を判断すればいい」
いかなる場面においても最も大切にすべきは、原点に立ち返って「人間として正しいことを貫く」という原理原則に基づいて判断する、ということではないでしょうか。