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『稲盛和夫一日一言』 11月8日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11月8日(水)は、「普遍的に正しい判断」です。
ポイント:邪(よこしま)な心では、正しい判断はできない。「人間にとって」普遍的に正しい判断を心がけること。
1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす ー素晴らしい人生をおくるためにー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)に、「正しい判断をするために」という章があります。その中で「原理原則を基準とする」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
常に、原理原則を基準として判断し、行動しなければなりません。
とかく陥りがちな、常識とか慣例などを例に引いた判断行動があってはなりません。常識や経験だけでは、新しいことに遭遇した場合、どうしても解決がつかず、そのたびにうろたえることになるからです。かねてから原理原則に基づいた判断をしていれば、どんな局面でも迷うことはありません。
原理原則に基づくということは、人間社会の道徳、倫理というものを基準として、人として正しいことを正しいままに貫こうということです。人としての道理に基づいた判断であれば、時間、空間を超えて、どんな環境でも通じていくものです。そのため、このような判断基準を常に持っている人は、未知の世界に飛び込んでも、決してうろたえたりはしないのです。(要約)
また、「筋を通す」という項では、次のように述べられています。
「話に筋が通る」とか「筋が通らない」とか言います。この場合の「筋」とは、人間の精神の指標のことです。その人が持つ判断基準、いわば「フィロソフィ」と言い換えてもいいでしょう。
皆さんは、それぞれの立場で判断を迫られるでしょう。そして、自分の判断基準に照らして、良い悪いを判断しているはずです。そして、その判断基準の根源をたどれば、道理とか倫理、つまり「人として正しいものは何か」という原理原則であるはずです。
ですから、筋が通るということは、単に論理的に矛盾がないということではなく、人としてとるべき道に照らし合わせて、不都合がないということなのです。
つまり、頭の中だけで軽々しく判断したものではなく、人間の精神の最もベーシックな部分にまで立ち返って考えてみて、理にかなっていることを、「筋が通る」というのです。
筋を持たない人は、何もできません。自分の基準をどこに置くかが分からないからです。これに反して、筋を持った人は万般に通じていきます。それは、筋というものが、万人に納得しうるものだからです。
正しい判断をするには、自らの中に指標が確立されていなければなりません。(要約)
例えば、「彼の説明は筋が通っていて、納得できる」と言った場合、それは単に説明の内容が理路整然していて分かりやすい、というだけでなく、少なからず、見え隠れするその人の人間性まで含めて発言しているはずです。
ですから、「彼の行動には筋が通っていないので、信頼できない」という場合は、その人の行動の裏に透けてみえる本音や作為、意図、ひいてはその人自体に信頼が置けないと判断しているということです。
参考になるかどうかわかりませんが、「最悪の上司を持ったことを示す10のサイン」という記事からメモした項目を以下紹介します。
1.部下が過労状態であることを気にしない
2.頻繁に怒りを爆発させる
3.上司があなたの功績を自分のものにする
4.上司から権限を与えられない
5.あなたを支持してくれない
6.マイクロマネジャー
7.明確な期待値を設定しない
8.職場にお気に入りの部下を持つ
9.フィードバックをしない
10.新たなアイデアを受け入れない
残念ながら、上司の人間性は部下にはすぐにバレバレです。
今日の一言には、「自分にとって都合のよい判断ではなく、人間にとって普遍的に正しい判断を心がけるべき」とあります。
「人間として何が正しいか」を判断基準に置く、そうした原理原則を貫こうと心がけることが、「筋を通す」、言い換えれば「普遍的に正しい判断をする」ことへとつながっていくのではないでしょうか。