『稲盛和夫一日一言』 8月13日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 8月13日(日)は、「自らを追い込む」です。
ポイント:困難な状況に遭遇しても、決してそこから逃げてはならない。「何としても」という切迫感があると、ふだん見過ごしていた現象にもハッと気づき、解決の糸口が見つけられる。
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、真摯な態度で物事に向き合うことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
問題を解決していくにあたり、私は常に自らを追い込むように心がけていました。厳しい現実から逃避するのではなく、自分から問題に対して真正面からぶつかっていく、そんな気持ちで、困難のなかに自分自身を追い込んでいったのです。
昔、研究中に次のような体験をしたことがあります。
連日徹夜続きで実験をしても、なかなかいい結果が出ません。それでも私は、苦しみもがきながら、昼夜を問わず実験を続けました。
そんな切羽詰まった状況が続くなか、あるときフッと我に返ったような瞬間が訪れたのです。すると、それまで続いていた緊張がゆるみ、その瞬間、パッと問題解決のヒントが閃きました。そしてそのヒントをもとに実験をしてみると、うまくいったのです。
普通に考えれば、地方大学出身で、しかもセラミックスを専門に勉強したわけでもない私が、京セラ創業のきっかけとなるような新材料の合成に成功できるわけがありません。それでも成功できたのは、「何としてもこの研究をものにしなければ」と、自らを「狂」の世界ともいえる状態にまで追い込んで研究に没頭した、そのなかで開発のヒントを得ることができたのが要因だと思うのです。
京セラフィロソフィのなかに、「自らを限界にまで追い込んで必死にやっていると、やがて『神の啓示』がある」という表現があります。
もちろん、閃くのは自分自身ですが、それはあたかも神様が苦しんでいる自分を憐れんで教えてくれたものだと例えてもいいのではないか、と私には思えるのです。
ですから、私は「神様が手を差し伸べたくなるほど、一途に頑張るんだ。そうすればきっと、神の啓示があるはずだ」と言っているのです。(要約)
自らを追い込むということは、もっと単純に言えば「熱中する」ということです。他のすべてが見えなくなるくらい、ただそのことだけに没頭する、それほど精神、意識が集中している状態です。
また、そうした状態に至ると、「火事場の馬鹿力」という言葉もあるように、精神的な閃きとは別に、自分では想像もつかないような物理的な力をも発揮することができるようになります。
名誉会長は、「自らを追い込む」ことには、さらにもう一つの意味があると言われています。
精一杯自分を追い込んで、「もうこれ以上はやれない」と思えるところまで行くと、「自分は精一杯やった」という自負がありますから、あとは「天命を待とう」という心境に辿り着きます。そうした心境が安心を生みます。
中途半端に取り組んで、後で「ああ、あのときもっと一生懸命やっておけばよかった」と後悔したり、心労から健康を損ねたりしてしまっては元も子もありません。
懸命に力を出し尽くし、「ここまでやったのだから」と達観した心境になって天命を待つ、つまり安心立命の境地に到るまで自らを追い込むことができれば、さすがの神様も手を差し伸べてくださるはずです。
そうなることを信じて、目の前の課題から目をそらすことなく、敢然と立ち向かっていきたいものです。