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『稲盛和夫一日一言』 6/17(土)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 6/17(土)は、「ただ謙のみ福を受く」です。

ポイント:傲岸不遜(ごうがんふそん)で大胆不敵に生きている人は、一時的に成功を収めたとしても、いつかは没落していく。反して、あくまでも謙虚で誠実な人は天祐(てんゆう)もあって大成していく。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で、人間性、人格の中で最も大事なものについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人間性や人格を評するときに、「謙虚にして驕らず」ということくらい大切なものはありません。

 謙虚とは、ただおとなしいという意味ではありません。心の奥底に燃えるような情熱や闘魂を秘めていながら、表面は控えめで慎ましさを持っている。そういう人が人間として最上位にいる人だと私は思っています。

 中国の古典に「ただ謙のみ福を受く」とあるように、古くから中国の人たちは謙虚でなければ幸福は得られないのだと言ってきました。
 歴史上の人物をつぶさに見て、謙虚な人でなければ幸福を得ることができなかったということを、歴史的な事実として知っているため、それを「謙のみ福を受く」という言葉で伝えてきたわけです。つまり、謙虚な人のみが神の恩恵を受け、祝福を授かることができると、考えられてきたわけです。

 若いころ、真面目で謙虚であったことで神から祝福を受けていた人が、成功したことによってだんだんと人間性を変えていってしまう。自分が傲慢になったと思っている人は誰ひとりおらず、昔の通り、誰もが自分は謙虚だと思っています。
 ところが、周囲の環境がその人を変え、本人も気づかないうちに傲慢になってしまって、やがて成功した人の多くが没落を余儀なくされる。私はそういう人たちの晩年を見るにつけ、たいへん寂しい思いをしてきました。

 「謙のみ福を受く」という教えを決して忘れないでください。
 「謙虚にして驕らず」そのことを心に深く刻み、ぜひともそういう生き方に努めていただきたいと願っています。
(要約)

 「ただ謙のみ福を受く」の出典は『易経』です。『易経』は儒教の「五経」、『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』のうちの一つです。
 漢の武帝が儒学を官学と定めて以降、五経を中心とした教育が行われますが、その後、朱子が『論語』『大学』『中庸』『孟子』からなる「四書」を儒学の重要なテキストと定めてからは、五経よりも四書が重視されるようになったようです。
 ちなみに、名誉会長がよく引用された「積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり」も『易経』からです。

 2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)の中で、名誉会長は次のように述べられています。

 成功すればするほど、偉くなればなるほど、謙虚に振る舞わなければなりません。さらには、自らが率先して自己犠牲を払うべきです。自分が最も損な役を引き受けるという勇気がなければ、上に立ってはなりません。自己犠牲を払う勇気のない人が上に立てば、その下に位置する人たちは不幸になってしまいます。(中略)
 西郷は、自分というものを捨ててでも世のため人のために尽くす「無私」という思想を一貫して主張し続けました。西郷の思想はすべて、この「無私」という考え方に帰結するといっても過言ではありません。(要約)

 自分を優先させてしまうと、どうしても謙虚に振る舞うことはできないように思います。謙虚さを失わずに生きていくには、「無私」、つまり私心を排するということが不可欠なのではないでしょうか。


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