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『稲盛和夫一日一言』2/2 Review

 こんにちは!R&P企画 emuです。
 2024年8月1日より、連続投稿3年目に入りました。文末に、過去2年分のレビューを掲載しておりますので、本日分と併せてご一読ください。

 2月2日、今日の一言は『動機善なりや、私心なかりしか ②』です。

 第二電電(現KDDI)設立前、約六カ月もの間、毎日、どんなに遅く帰っても、たとえ酒を飲んでいようとも、必ずベッドに入る前に、「動機善なりや、私心なかりしか」と自分に取り続けました。通信事業参入の動機が善であり、そこに一切の私心はないということを確認して、ようやく手を挙げたのです。

 極端な言い方をすれば、自分を無視して、自分というものを無きものにして物事を考える。これが「私心のない判断を行う」という言葉の意味です。
 私は、第二電電をつくるとき、毎日毎日寝言みたいに「動機善なりや、私心なかりしか」と、自分自身を厳しく問い詰めていきました。その言葉の原点が、かねてからフィロソフィとして持っていたこの「私心のない判断をする」という考え方です。
 晩年が近くなって特に感じるのですが、自分に都合のいい、自分に利益があるような結論、判断はせずに、客観的に正しいことを正しく判断する。物事を成功させていくためには、それがたいへん大事なことなのです。
 ところが、人間は肉体を持っていますから、ものを考えるときには「入ってくるな」と言うほうが難しいくらい、自分というものが入ってきます。
 ですから、物事を判断するときには、できる限り自分自身を無視し、自分のことは棚に上げて考えるようにしなければなりません。そうすることが大事なのです。
 物事というのは、いざ考えようと思ってから考えるようなものではありません。パッと考えたその瞬間に、「ちょっと待てよ」と一度深呼吸をしてみる。そして、一度間を置いてから、自分に都合がいいようにというものを排除して、他人事、第三者として考えてみる。
 特にトップに立つ者が間違った判断をすれば、組織の将来に大きな禍根を残すことになりますから、「私心のない判断を行う」ということが大事なのではないかと思っています。

1999年 盛和塾中部地区合同塾長例会 講話より

 本記事を通して「京セラフィロソフィ」「稲盛経営哲学」に接することで、皆さんが少しでも毎日を活き活きと過ごされんことを願っております。


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