『稲盛和夫一日一言』 4月8日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4月8日(月)は、「人の上に立つ人」です。
ポイント:人の上に立つ者には、才覚よりも人格が問われる。才におぼれないようコントロールするものが「徳」であり、「人格」である。
2016年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第5巻 リーダーのあるべき姿』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)の中で、「人格は後天的に磨かれる」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
「才子、才に倒れる」という格言があります。「才覚」に恵まれた人は、その並外れた才能をもって大きな成功を収めるけれども、その「才覚」を過信し、あるいはその使い方を誤って、やがては破綻に至るということを、日本の先人は説き、人々を戒めてきたのです。
人並み外れた「才覚」の持ち主であればあるほど、それらの力をコントロールするものが必要となります。私はそれが「人格」であり、この「人格」を高めるために、哲学や宗教などを通じ、「人間として正しい生き方」を繰り返し学ばなければならないと考えています。
「人格」とは、人間が生まれながらに持っている先天的な「性格」が、その後の人生を歩む過程で後天的に磨かれ、でき上がるものだと、私は考えています。
先天的な「性格」は、人によってさまざまであり、強気であったり弱気であったり、強引であったり慎重であったり、、さらにはエゴイスティックであったり思いやりにあふれていたりと、まさに千差万別です。
もし人生の途上で何も学ばず、新たな要素を何も身につけられないとすれば、もって生まれた「性格」が、そのままその人の「人格」となります。
そしてその「人格」が、その人の持つ「才覚」の進む方向を決めてしまうことになるのです。
誰しも、持って生まれた「性格」が完全なわけではありません。だからこそ、素晴らしい哲学や宗教を繰り返し学ぶなどさまざまな取り組みをし、その教えを自らの血肉とすることを通じて、「人格」を高めようと努力することが必要です。
特に、多くの社員を雇用し、社会的な責任も大きな経営者には、率先垂範自らの「人格」を高め、維持しようと努力することが不可欠です。
なぜなら、「才覚」だけを備え、「人格」を伴わないリーダーが大きな権力を握り、企業内を跋扈(ばっこ)するようになれば、いくら高度な企業統治のシステムを築こうとも、有名無実と化すに違いないからです。
リーダーにとって必要なことは、「人間として正しい生き方」を繰り返し学び、常に理性にとどめられるよう努力することです。また自分の行いを日々振り返り、反省することも大切です。
「人間として正しい生き方」に反したことを行なっていないかどうか、厳しく自問し、日々反省をしていくことが大切なのです。(要約)
同著のカバー表側そでには、「リーダーのあるべき姿」について次のように記されています。
『鍛え抜かれた不動の「人格」を確立せよ』
組織の長たる者の考え方が自由でいいというわけでは決してありません。集団を幸せにするために、素晴らしい考え方を持たなければならないのです。 どんなに環境が変わろうとも、鍛え抜かれた不動の「人格」を確立していかなければ、真のリーダーたりえないのです。
2012年発刊の『京セラものづくりの心得を語る』(伊藤謙介著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で、「リーダーはフィロソフィの体現者であれ」として、伊藤元京セラ会長は次のように述べられています。
リーダーは、常に組織のためにどうあるべきかを意識して行動することが必要です。それには、まず言っていることと行動とが一致していなければなりません。それがメンバーからの尊敬を生むのです。
また、それは一人の人間としても大切なことです。いくらフィロソフィの言葉を並べてみても、その人の発言と行動が合っていなければ、立派なことを言うほどその落差は大きくなり、信頼を失います。言葉に出して言う以上、それに見合った行動を起こさなければなりません。
リーダー自身が、誰よりもフィロソフィを勉強し、自らがフィロソフィの体現者であることが大事なのです。(要約)
その人が人格者かどうかまではわからないにしても、「言行一致」の人かどうか、組織のために誰よりも努力している人かどうかといったことは、一緒に仕事をしてみるとすぐにわかります。
部下は、必ずリーダーの行動を見ています。日ごろからリーダーが率先して頑張っている姿が見られないような職場では、部下が頑張るはずはありません。
自分の性格のゆがみや欠点に気づき、それらを日々反省を繰り返しながら修正していくことで、人格を高め、維持していく。そうした努力を怠らないことが大事なのではないでしょうか。
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