『稲盛和夫一日一言』 4月23日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4月23日(火)は、「闘争心を燃やす」です。
ポイント:経営には「闘魂」が不可欠。自分の会社、従業員を何としても守るという強い責任感を持てば、経営者としての腹はすわってくるはず。
2015年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第2巻 私心なき経営哲学』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)の中で、経営には激しい闘魂が必要として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
経営というものはすさまじいもので、どんな格闘技の選手が持っているよりも激しい闘魂が必要です。ですから、生半可な人は経営をしてはいけません。なぜなら、そこにはすさまじい勇気、度胸が必要だからです。
競争相手にどんな強い巨漢が現れようとも、負けることを承知で、むしゃぶりついてでも戦うといった勇気がなければ、経営にはならないのです。
ではさまざな経営判断をしていく場合、何を基準にしていけばいいのか。それは、本能や感覚、感情でするのではなく、もちろん理性でするのでもなく、自らの魂に照らして判断するのです。
しかし、すさまじいばかりの気迫を持って、寸暇を惜しんで働くという生き様を続ける中にあっても、せめて一日20分ぐらいは心を静める時間を持つことが必要です。なぜなら、あえて心を静める時間を持つことで、魂に触れる時間が生まれるからです。
心を静めるために、ある人は座禅という方法を使い、ある人は瞑想という方法を使っておられます。よく経営者の方が、禅宗のお寺に行き、老師に師事して参禅しておられるのも、実はそうしたことからです。
心を静めなければ、決して自らの魂に触れることはできません。(要約)
今日の一言には、「もともとは柔弱でケンカもしたことがない、闘魂のかけらも見受けられないけれども、ひとたび経営者となった瞬間に、多くの従業員を守るために敢然と奮い立つ。そんな経営者でなければ、従業員の信頼を得ることはできない」とあります。
2012年発刊の『京セラものづくりの心得を語る』(伊藤謙介著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で、燃える集団をつくることの大切さについて、伊藤元京セラ会長は次のように説かれています。
京セラが成長してきたのは、熱気があふれる「燃える集団」であったからです。「燃える集団」とは、アメーバ経営を通じて組織ごとに自主的に目標設定を行い、それぞれの組織を構成するメンバーの一人一人が強い責任感と意志を持って完遂していく集団のことです。
「燃える集団」をつくるためには、一人一人がすさまじい闘魂を持っていることが必要です。同時に、起こり得るさまざまな事態を想定して、シミュレーションを繰り返すなど、周到な準備ができていなければなりません。
また、一人一人が仕事にかける強い思いを持っていて、職場全体の意識が高いことも必要です。
集団を構成する一人一人が、目の前の仕事に追われるだけでなく、真の実力を蓄積すべく、日々研鑚を重ねていかなければなりません。そして、どんなに困難な状況であっても、何としても目標を達成していこうとする、不屈不撓の闘争心、燃える闘魂を持っていなければならないのです。
燃える闘魂を持つといっても、それは魂のありさまを言っているのであって、ケンカをするとか、大声を上げるといったことではありません。
何が何でもやってやろうという、内に秘めた静かな闘志、意志を心の中に持つということです。
どんなに歴史を重ねようとも、規模が拡大しようとも、こうした企業風土を失ってはなりません。社員一人一人が、「今自分が何をしなければならないのか」を明確に理解し、その遂行のため、持てる知恵と力をふり絞っていくことが必要です。(要約)
名誉会長は「経営者」に、伊藤元会長は「アメーバリーダーをはじめとした従業員一人一人」に対して、燃える闘魂を持つことの大切さを説かれています。
そこには、人間が行うあらゆる行為は、魂のレベルで判断することですべてはうまくいく、という考え方が根底にあるように思います。
そのことについて、名誉会長は次のように述べられています。
われわれ経営者は、すさまじい修羅場を生きています。特に中小企業、零細企業となると、ちょっとした油断で会社がつぶれるかもしれません。ぼやっとしていると注文が同業者に逃げていくなど、たちまち利益が吹っ飛んでしまいます。
そういうすさまじい切った張ったの修羅場を生きているだけに、判断をする瞬間というのは少なくとも魂というレベルで「真・善・美」という利他の心で判断しなければなりません。
激しく利益を追求する修羅場にいる人こそ、実はそういう心を持たねばならないのです。(要約)
どんな苦境に立たされようとも、決して『ファイティングポーズ』は崩さない。経営に限らず、人生においてもそうした姿勢を持ち続け、これからも積極的な人生を歩んでいきたいと思っています。