『稲盛和夫一日一言』 2月20日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2月20日(火)は、「インスピレーションの源 ②」です。
ポイント:インスピレーションは内に求めるもの。自分がやっている仕事の可能性をとことん追求していくことで、想像もつかないような大きな革新を図ることができる。
1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす ー素晴らしい人生をおくるためにー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)「内なる理想を追求する」の項で、未知の領域における航海法について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
創造的な領域では、基準とするものがありません。真っ暗闇で嵐が吹きすさぶ海原を、羅針盤も持たずに航海していくようなものです。
私はそのような航海の途上、悶え苦しみ、燈台の明かりを希求していました。しかし、未踏の海原に燈台はなく、あるのは自分の心の中にある燈台だけでした。
自らの燈台の明かりをさらに強く燃やし、周囲を照らし、自分のいる位置を定め、行き先を自ら照らし出さなければならなかったのです。
つまり、他に基準とするものもないならば、自らの心に描く理想にどれだけ近づくかということでしか、未知の領域での航海法はないのです。
これは、パーフェクトという姿勢に相通ずるものです。ベターが他に比較して相対的により良いという意味であり、またベストがそれらの中で最良のものという意味なのに対し、パーフェクトとは自らの内なる理想に対するあくなき追求心のことを言います。
基準とする何ものもない創造的な領域では、自分自身をコンパスにして方向が定められるのです。(要約)
今日の一言には、「人はインスピレーションを外に求めがちだが、私はそれを内に求める」とあります。
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「開拓者であれ」の項で、開拓者としての生き方をとり続けることの大切さについて、名誉会長は次のように述べられています。
京セラの歴史は、人のやらないこと、人の通らない道を自ら進んで切りひらいてきた歴史です。
誰も手がけたことのない新しい分野を開拓していくのは容易ではなく、海図や羅針盤もない状況で大海原を航海するようなものです。そのとき頼りになるのは自分たちだけです。
「研究開発には京セラフィロソフィなど関係ない」と思われるかもしれませんが、京セラフィロソフィとは、万般に通じる羅針盤となる考え方です。
私はよく、「人間として何が正しいのか、それを追求することが京セラフィロソフィの原点だ」と言っています。つまり、何が人間にとって「善」なのか、あるいは、何がほんとうの「利他」なのか、ということは、たとえ技術開発の場合でも考えなければならないことなのです。
「この研究は社会やみんなのためになる」と考えるなら、いかに難しいテーマであっても敢然と挑戦する。そのように、善か悪か、または利己か利他か、という基準で、私は経営においても、研究開発においても判断を行ってきました。今まで、それで間違いはなかったと思っています。
心を鎮め、純粋にして、自分の進むべき方向を自分自身で考える。たしかに厳しい生き方かもしれませんが、それを習慣にすれば、鋭い感覚が身について、正しい判断ができるようになります。
研ぎ澄まされ、洗練されたこうした勘が身についたからこそ、私は海図も羅針盤もない状態でも人生を歩いてこられたのだと思っています。(要約)
インスピレーションを得るには、自分が今やっている仕事の可能性をとことん追求していくことが求められますが、そうした行動のベースとして必要なのが、万般に通じる羅針盤を持つことです。
そしてその羅針盤こそが、私が長年京セラで学び、実践しようと努めてきた「京セラフィロソフィ」そのものなのだと思っています。