『稲盛和夫一日一言』11/16(水)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11/16(水)は、「小善と大善」です。
ポイント:厳しい親に育てられた子供は、自分を鍛錬することを学び、人生における成功者となるということがある。甘やかすことは小善、甘やかさないことは大善。
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「利他の心を判断基準にする」の項で、大善と小善について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
たとえば、自分の子供を可愛いがるあまり、甘やかし放題に育てる。その一瞬一瞬は子供も喜んでくれるのですが、結果として、わがまま勝手に育って、とんでもない人間になってしまう。結局、その子供も不幸な運命を辿るはめになる。
このように、目先のことしか考えずに相手に施そうとする善行が「小善」です。そのときはいいように見えても、後々悪い結果を招くことになります。「小善は大悪に似たり」と言いますが、つまらない善をなすことは、かえって大きな悪をなすことになるのです。
また「大善は非情に似たり」とも言います。まだ年端もいかない子供に血も涙もないと思われるほど冷たい仕打ちをしているようにみえても、その行為の中に素晴らしい人間に育ってほしいという思いが込められていれば、子供は立派な人間に成長していくはずです。これが「大善」です。(要約)
ここでは、親が子供に対する接し方を例に解説されていますが、稲盛名誉会長は「自分自身を犠牲にしてでも、相手のためになることをしようとする心が利他の心であり、それは教育に限らず、経営や治世など、あらゆる局面において大切な判断基準となる」と述べられています。
また利他の心について、「誰もが皆この現世に生まれ出てきて、一回しかない貴重な人生を必死で生きています。だからこそ、この世では森羅万象あらゆるものが共生し、共存していかなければなりません。自分も生き、相手も生かす。つまり、地球にある生きとし生けるすべてのものが一緒に生きていけるようにすることが利他です」とも述べられています。
「小善」「大善」「小悪」「大悪」という4つの言葉を学んで以降、日々の生活の中で、「果たして今自分がやろうとしている行為は、いったいどれに相当するのだろう」と考えることが多くなりました。
例えば、上司から自分のミスを指摘されたとき、自分の思い通りの結果が得られずに部下を厳しく叱責しているとき、メンバーからもっと人員・設備を増やして業務効率を改善してほしいと詰め寄られたとき、またプライベートでは、友人から借金の保証人になってほしいと頼まれたとき、子供が宿題もせずに遊んでばかりいるとき等々、数え上げれば切りがありません。
そんなとき、自分が次に取ろうとしている行動が「相手のためを思って判断したことなのかどうか」が良い判断かそうでないかの分かれ目となります。特に自分に余裕がないときなどは、自利をさておいて利他を優先するのは容易なことではありません。しかし、できるかぎり「自分だけよければいい」という利己を抑え、「相手のために」という利他の心を持って、後々まで後悔しない判断をしていければと思っています。