『稲盛和夫一日一言』 11月18日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11月18日(土)は、「人生の大則」です。
ポイント:成功を収めても、謙虚さを忘れず、足ることを知り、すべてのことに感謝し続ける。一方、不運に出遭っても、それを素直に受け入れ、前向きな生き方を続ける。人生においては、常に心を整え、心を高め続ける努力を倦まず弛まず重ねていきさえすればいい。
2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、「いま、このときを必死懸命に生きる」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
あふれる熱意をもって、ど真剣に懸命にいまを生きること。目の前のことに没頭して瞬間瞬間を余念なく充実させること。それは明日や将来を切り開くことにも通じていきます。
まずは、今日という一日を一生懸命に過ごすこと、それが大切だと思うのです。どんなに壮大な目標を掲げてみても、日々の地味な仕事に真剣に向き合い、実績を積み重ねていかなければ成功はありえません。偉大な成果は堅実な努力の集積にほかならないのです。
先の功をいたずらに焦らず、今日一日を懸命に、真剣に生きることによって、おのずと明日も見えてくる。そうした充実した一日の連続が、五年たち、十年たつうちに大きな成果に結実する。私はそう考え、肝に銘じながら、これまで経営を行ってきました。その結果、「今日を完全に生きれば明日が見える」ことを、人生の真理として体得することができたのです。
そもそも私たちの生命、私たちの人生は、価値ある偉大なものです。その価値ある人生を、ただ無為徒然に過ごすのはもったいないことである以上に、宇宙の意に反した生き方なのではないでしょうか。
天地自然は、この宇宙で必要であるからこそ、私たちを存在させています。誰一人、何一つ偶然に生をうけたものはなく、したがってムダなものはこの世にいっさいありません。
大宇宙から見れば、ひとりの人間の存在などほんとうにちっぽけなものかもしれません。どれほど小さなものであろうと、われわれはみんな必然性があってこの宇宙に存在している。どのように小さな、とるに足らない生命といえども、また無生物であろうとも、宇宙が「価値がある」と認めているからこそ、存在しているのです。
まさに自然界では、すべての生物が与えられた時間、限られた一瞬一瞬を、精いっぱい、ど真剣に生きています。「いま」を必死懸命に生きることで、小さな生命を明日へとつなげている。であれば私たち人間もそうした草花に負けないよう、一日一日をないがしろにすることなく、ど真剣に生きていかなくてはならなくてはいけません。
それが私たちをこの世に生み出し、その生を価値あるものとしてくれた宇宙との約束ごとでしょうし、人生というドラマを思い通りに充実して生きるための必要条件でもあると思います。(要約)
京セラフィロソフィに「一日一日をど真剣に生きる」という項目があります。そこで名誉会長は次のように説かれています。
人生はドラマであり、一人一人がその主人公です、大切なことは、そこでどういうドラマの脚本を描くかです。
運命のままにもてあそばれていく人生もあるかもしれませんが、自分の心、精神というものをつくっていくことによって、また変えていくことによって、思い通りに書いた脚本で思い通りの主人公を演じることもできるのです。人生というのは、自分の描き方一つです。ボケっと生きた人と、ど真剣に生きた人とでは、脚本の内容はまるで違ってきます。
自分というものを大事にし、一日一日、一瞬一瞬をど真剣に生きていくことによって、人生はガラッと変わっていくのです。(要約)
一日一日をないがしろにすることなく、「ど真剣」に生きていく。
今までの自分の人生を振り返って、「間違ってもあのころには戻りたくない」と思ってしまう時期があるとすれば、そこには間違いなく「ど真剣に生きていなかった過去の自分がいるはずです。
私も、目の前の厳しい現実から何とか逃れようとするあまり、無気力で無為な日々を過ごしてしまった時期がありました。しかし、誰にも過ぎ去った自分の過去を変えることはできません。そして唯一変えることができるのは、今この一瞬以降の残された自分の人生だけです。
私の今の夢?は「天寿を全うしたい」ということです。自分にどれだけの人生が残されているかは知る由もありませんが、まさに命が途絶えようとするそのとき、少しでも後悔することが少なくできるよう、「いま、このときを必死懸命に生きる」ことを大切にしていきたいと思っています。