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『稲盛和夫一日一言』12/28 Review

 こんにちは!R&P企画 emuです。
 2024年8月1日より、連続投稿3年目に入りました。これを機に、しばらくは過去2年分をレビュー掲載していく予定です。

 12月28日、今日の一言は『魂の旅立ち』です。

 死によって私たちの肉体は滅びますが、心魂は死なずに永世(えいせい)を保つ。私はそのことを信じていますから、現世での死とはあくまでも、魂の新しい旅の始まりを意味します。だからその旅立ちに向けて周到な準備をすべく、最後の二十年は人生とは何かを改めて学び、死への準備をしたい。そう考えて得度(とくど)を決意したわけです。

 運命が予測できないように、人生もまた予測できません。死を迎えるときには、自分の肉体を現世に置いて死んでいきます。死んだらすべてがなくなる、ゼロになるのだと思われていますが、果たしてすべてが空(くう)、ゼロになるのでしょうか。
 浄土真宗を説いた親鸞の言葉に「後生大事」という言葉があります。死んだあとには地獄がある。この現世でろくでもないことをしていたら、「後生」(=死んだあと)には地獄でたいへんな目に遭う。その後生を救うためには、阿弥陀如来に「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えさえすれば、どんな悪人であろうとも、阿弥陀如来はその一身にかえて救いとってくれる。そうして浄土真宗という仏教は広まっていったわけです。
 日本に仏教思想が根強くあったころには、みんな来世はあると信じていました。人間はこの現世に生まれ変わってきた。だから、死んだら来世がある。来世からまた現世へ生まれ変わってくるという「輪廻転生」という思想があったものですから、現世ではこうしているけれども、来世はどういう人生を送るのだろうと、先が見えないだけに、たいへん不安だったわけです。
 死んだあとにも、私どもの心だけは残ります。それは証明しようがないことなのですが、死んだときに残っていくのは意識だけ、つまり心だけです。ですから、せめて死んでいくときまでには、少なくとも周囲の人たちから、「あの人はいい人だったな、みなのためによくしてくれた人だったな」と言われるような人にならなければ、意味がありません。
 そのためにも、生きているときに、仕事をしてるときに心を磨く。それは現世にも大きなプラスをもたらすと同時に、自分が死ぬときのためにもなる。こんないいことはありませんから、誰も教えてはくれませんが、それをやっていくべきだと思っています。

2001年 盛和塾関西地区合同例会 塾長講話より

本記事を通して「京セラフィロソフィ」「稲盛経営哲学」に接することで、皆さんが少しでも毎日を活き活きと過ごされんことを願っております。


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