『稲盛和夫一日一言』 7月2日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7月2日(火)は、「日々懸命に」です。
ポイント:人格を練り、魂を磨くために、何か特別な修行が必要なわけではない。何よりも大事なのは、日々懸命に働くこと。
2009年発刊の『働き方』(稲盛和夫著 三笠書房)の中で、懸命に働くことがもたらすものとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
懸命に働くことが、想像もできないほど素晴らしい未来を人生にもたらしてくれるということを、いくら頭では理解していても、もともと人間は、働くことが嫌いな生き物です。どうしても、「仕事は嫌いだ」「できれば働きたくない」という気持ちが頭をもたげてきます。
それは、元来人間が、放っておけば易きに流れ、できることなら苦労など避けて通り過ぎたいと考えてしまう生き物だからです。
そのような本能に根ざした安楽を求める習性のようなものは、基本的にはいつの時代であっても変わりはないように思います。
私が青年時代を過ごしたころの日本は、社会に出て働くこと、働き続けるということが、本人の意思とは無関係に存在する、一種の社会的要請、あるいは義務であり、そこに個人の裁量や思惑が働く余地はほとんど存在していませんでした。つまり、誰もが一生懸命に働かなくては、生きていくことさえできないような時代だったのです。
現代と比較すると、そのような境遇は一見不幸なように思えますが、実はそれが幸せだったのかもしれません。なぜなら、いやおうなく働き続けることで、知らず知らずのうちに弱い心が鍛えられ、徐々に人間性が高められ、それによって幸福な人生を生きるきっかけをつかむことができたからです。
懸命に働いていると、その先に密やかな喜びや楽しみが潜んでいます。ちょうど長い夜が終わって夜明けが訪れるように、苦労の向こうから喜びや幸福が姿を現してくる。それが労働を通じた人生の姿というものではないでしょうか。
働くということは修行に似ています。実際にお釈迦様が悟りに至る修行として定められた「六波羅蜜(ろくはらみつ)」という六つの修行の一つ「精進(しょうじん)」とは、まさに懸命に働くということです。
ひたむきに自分の仕事に打ち込み、精魂込めて倦まず弛まず努力を重ねていく。それが人格錬磨のための修行となって、私たちの心を磨き、人間を成長させてくれます。そのようにして心を高めることで、私たちはそれぞれの人生を、より深く値打ちあるものにしていくことができるのです。(要約)
また同著の中で、名誉会長は次のように説かれています。
例えば、あなたが宝くじに当たって、一生遊んで暮らせるだけの大金が手に入ったとしましょう。しかし、その幸運がほんとうの幸福をもたらしてくれるものではないことに、必ず気づくはずです。
安楽が心地よいのは、その前提として労働があるからに他なりません。毎日、一生懸命に働き、その努力が報われるからこそ、人生の時間がより楽しく貴重に感じられるのです。(要約)
「働く」には、実にたくさんの意味があります。
辞書を引くと、一番先に「 1.仕事をする。労働する。特に、職業として、あるいは生計を維持するために、一定の職に就く」という説明が出てきます。
次に、「2.機能する。また、作用して結果が現れる。例えば、薬が働いて熱が下がる、引力が働く」。さらに、「3.精神などが活動する。知恵が働く、勘が働く」「4.悪事をする。盗みを働く、不正を働く」「5.文法で、用言や助動詞の語尾が変化する。活用する。五段に働く」「6. 動く。体を動かす」「7.出撃して戦う」といった具合です。
京セラをリタイアして、一番目にある「職業として、あるいは生計を維持するために、一定の職に就く」という意味では働くことを止めた今の私ですが、幸せ?なことに、やらないといけないことが次々と出てきて、それらをどう処理したものかと毎日頭をひねっています。
活動する、機能するといった意味では、死ぬまで「働く」という行為は続けていきたいものですね!