『稲盛和夫一日一言』2/5(日)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2/5(日)は、「精進(しょうじん)」です。
ポイント:恵まれた人生、幸運な人生とは天から降ってくるものではなく、自分の心を磨くことによって得られるもの。心を磨くための基本となるのが「勤勉」であり、仏教ではそれを「精進」と呼ぶ。
2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)で、精進を重ねることの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
心を磨き高めるには、日々の生活の中の精進が大切です。それには、お釈迦様の説かれた「六波羅蜜(ろくはらみつ)」、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)に集約される修行法を、毎日の暮らしの中で絶えず心がけなければなりません。
死によって肉体は滅びますが、心魂は死なずに永世を保つ、と私は信じていますから、魂の新しい旅立ちに向けて準備をすべく、65歳を迎えたとき、得度(とくど)を決意しました。
得度とその後の修行は、私にとって厳粛かつ鮮烈な体験でした。その過程で私は、いくら修行に努めようとも、普通の人間が悟達(ごたつ)の境地を得ることはしょせん不可能であるということも痛感しました。
どれほど精進し、何百時間座禅を組もうとも、私のように意志が弱く、煩悩(ぼんのう)から完全に離れることのできない人間は、心を磨くためにいくら善きことを行おうとも、私欲を完全になくし、常に利他の思いを持ち続けることはできないでしょう。私を含め、人間とはそれほど愚かで不完全な存在なのです。
しかし、それでいいのだということも私はよく理解しました。そうであろうと努めながら、ついにそうであることはできない。しかし、そうであろうと努めること、それ自体が尊いのです。
戒めを守れなくても守ろうとする気持ち。守らなくてはいけないと思う気持ち。守れなかったことを真摯に自省、自戒する気持ち。そうした思いこそが大事であって、そのような心をもって毎日を生きていくことが、悟りに至らないまでも、十分に心を磨くことになり、救いにも通じる。私は、そのことを、得度や修行によって信じることができるようになりました。(要約)
「精進」という言葉には、「雑念を去り、仏道修行に専心すること」といった仏教的な意味のほかに、「一つのことに精神を集中して励むこと。一生懸命に努力すること」という意味も含まれています。
今日の一言には、「心を磨くにあたって基本となるのが勤勉であり、仏教ではこれを精進と呼ぶ。それは仕事に限らず、何か一つのことに没頭したり、打ち込むことだ」とあります。
自分が死を迎えようとしたとき、「いい人生だった」と最期に言えるかどうか。まずは少しでも美しい心魂で旅立てるよう、日々の勤勉、精進を怠らないよう心がけていきたいものです。