『稲盛和夫一日一言』2/15(水)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2/15(水)は、「もうダメだというときが仕事の始まり」です。
ポイント:「もうダメだ」と思った時点を終点とせず、仕事の再スタート地点と考え、成功を手にするまで絶対に諦めずに粘り強くやり抜く。それこそがピンチをチャンスに変え、失敗さえも成功に結びつけてくれる。
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)で、物事を成し遂げるために必要なこととして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
京セラには「もうダメだというときが仕事の始まり」というフィロソフィがあります。一旦始めたら成功するまでやり抜きますから、途中で「諦める」ということはほとんどありません。
もちろん、それで100%成功するわけではありませんが、それが私の基本的な信条ですから、研究開発でも事業経営でも、とことんやり抜くようにしています。
これは、普通なら諦めてしまうものを粘って粘って成功させるという戦法なのですが、成功するまで続けていくには金銭的な余裕も必要です。つまり、この考え方には、そもそも普段から余裕のある経営をやっておかなければ対応できないという前提もあるわけです。
また京セラには、「土俵の真ん中で相撲をとる」というフィロソフィもあります。土俵の真ん中で相撲を取っていれば、俵に足がかかるまで多少の余裕はありますから、そのまま勝負を続けることができます。しかし、俵に足がかかってから「まだ頑張ります」と言ったところでもう後がありませんから、なかなか粘り切れません。つまり、京セラにとっての「もうダメだというとき」とは、まだ本当にダメになっていない状態なのです。
しかし、何が何でも余裕がないとダメなのかというとそうではありません。たとえ無一文になっったとしても、裸一貫、五体が残っているうちは頑張れるはずです。
素晴らしい仕事を成し遂げるもとは、燃えるような熱意や情熱、さらには、すっぽんのように食らいついたら絶対に離さないという最後まで諦めずに粘り抜く執念なのです。(要約)
京セラでの40年間、私にも「もうダメだ」と思った瞬間が何度かありました。技術課題をブレークスルーできず、開発テーマの中断が決まったとき。試作品の仕上がりが要求納期に間に合わず、お客様まで上司とともに出向いたとき。ようやく出荷まで漕ぎつけた製品が、お客様での工程トラブルを引き起こし、補償問題にまで発展したとき等々。(他にもとても書けないような案件もありましたが、あえて割愛しております・・・)
今振り返って思うのは、裸一貫、五体が残っていれば頑張れる。つまり、命(と気力と健康)さえあれば、人間踏ん張っていけるのではということです。
きっかけをつかんで素早く回復できる人もいれば、ずるずると重たいものを背負ったままなかなか立ち直れないという人もいるかもしれません。
しかし、幻冬舎編集者 箕輪厚介さんの著書『死ぬこと以外かすり傷』(マガジンハウス)のタイトルのように、「生きていさえすれば・・・」という考え方で、ピンチをチャンスに変えていく。今後とも、そうした積極的な人生を歩んでいきたいと思っています。