『稲盛和夫一日一言』 12月14日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 12月14日(木)は、「災難の考え方」です。
ポイント:災難に遭うことにより過去の業(ごう)は消える。災難さえも前向きに解釈することで、運命をよい方向に変えることができる。
2014年8月開催の「愛媛市民フォーラム」での講演『人は何のために生きるのか』の中で、災難に対する考え方について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
市民フォーラムとは、「塾長の話を我々塾生だけで聞くのはもったいない。今までお世話になった地元の市民の方々にもぜひ塾長の講話を聞いてほしい」という塾生の願いを受けて始まった市民向けの講演会です。
日本を中心に海外でも実施され、累計10万名を超える方々が聴講しました。本フォーラムの講演は、愛媛市民の方を中心に、約3,000名の方に向けて稲盛が語ったものです。(稲盛和夫オフィシャルサイトより引用)
私は必死に経営する中で、「人生とはどうなっているのか」ということを考え続けてきました。私たちは定められた運命という縦糸を伝って人生を生きていく。同時に、その人生の中で善きことを思い、善きことを行えば、よい結果が生まれ、悪いことを思い、悪いことを行えば、悪い結果が生まれるという「因果の法則」が横糸として走っているのではないかと考えるようになりました。
私がそうした「因果の法則」を信じるようになったのは、安岡正篤さんの『運命と立命』という本との出合いがきっかけでした。その本には、中国明代の袁了凡(えんりょうぼん)という人が書いた『陰隲録(いんしつろく)』の内容が紹介されています。
一寸先が見えない人生を、どうして渡っていけばよいのか悩んでいたときにこの本に出合った私は、善いことを思い、善いことを実行するような人生を送っていこうと思うようになりました。
自然というものは、我々が生きていく中で試練を与えます。それは時には災難であったり、時には幸運であったりします。試練に出遭った時にどう対応するかによって、その後の人生が決まります。私は、どのような災難に遭おうとも、それを試練として受け止め、ただ前向きに、ひらすら明るく努力を続けていく生き方をしていこうと思ってきました。
考えてみれば、大学を卒業し、松風工業で研究に没頭するまでの私の人生は災難続きでした。旧制中学を2回もすべり、死ぬような結核にかかり、希望した大学にも受からず、一流会社の就職試験にも採用されず、やっと入ったところもボロ会社で、今にも潰れそうな会社です。このような降りかかる災難を恨み、妬み、愚痴と不平をこぼしていた私が、それらを振り払うようにファインセラミックスの研究に没頭し始めてから、みんなが喜んでくれるようなすばらしい研究の成果が出るようになりました。このときから、私の運命は好転し始めました。そして、その後創業した京セラやKDDIは、順調に成長発展していきました。
因果の法則に従って生きてきた人生が、そのようなものをつくりあげてきたのだと、私は固く信じています。(要約)
今日の一言では、「(災難に遭ったときは)ありがたい。この程度の災難ですんでよかった」と感謝し、明るい方向に考え方を変えていくことが大事」と説かれています。
名誉会長は、人生・経営の師と仰ぐ臨済宗妙心寺派の西片擔雪(にしかたたんせつ)老師から「災難に遭うのは過去につくった業が消えるときです。業が消えるのですからむしろ喜ぶべきです。この程度ですんでよかったと感謝しなければなりませんね。命まで取られたわけではありませんから」と諭され、試練から立ち直るための最高の教えとなったと話されています。
私は、京セラに入社して総合研究所(現きりしまR&Dセンター)に配属され、セラミック材料に関する研究開発を担当することになったのですが、上司、先輩からよく言われたのが、「前向きなトライならいくらやってもいいよ。たとえうまくいかなかったとしても、命まで取られるわけじゃないしね。もちろん、いつまでも成果が出なければ、間違いなく君の評価は下がるけどね・・・」という激励(?)の言葉でした。
「業」についての教えを学んだのは、もっとずっと後になってからでしたが、若いころに繰り返し言われた「命まで取られるわけじゃない」というフレーズは妙に残っていて、「人生、前向きに頑張って生きていけば、大概の災難や試練は乗り越えられるものなのだ」と頭の片隅のどこかで信じ込んでいたように感じています。
「災難さえも前向きに解釈することで、運命はよい方向に変えられる」
そう信じて、残りの人生も生きていきたいものです。