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『稲盛和夫一日一言』 7月3日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7月3日(水)は、「人間としての生き方」です。

ポイント:当たり前のことを一生懸命に行っていくこと。まさにそこに生きる意義がある。

 2001年発刊の『稲盛和夫の哲学 人は何のために生きるのか』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、人生を生きることの目的について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 だんだん歳をとってくると、立身出世の道を歩んでいた人も、おもしろおかしく楽しく人生を送ろうと思ってきた人も、人生の目的が変化してきます。

 それは、死というものが近づいていると感じるからです。すると今度は、「長生きするために健康に気をつけましょう」と、健康であることが人生の目的になってきます。
 しかし長生きをするというのは、「肉体を永らえること」ですから、衰えてくる自分の肉体を守り永らえていくためには、人様のことなど考えていられない。エゴ丸出しで、「自分だけよければいい」という気持ちが少しずつ出てきます。
 本来、歳をとると、経験を積んで人柄も円満になり、人格が高まっていかなければならないのに、健康という、肉体に対する執着がエゴを増大させるのです。

 人間の生き方は人それぞれですから、どのような人生を過ごすのもよいでしょう。しかし死んでしまえば、名声も財産も地位も、あの世に持っていくことはできません。あの世へ向かうのは、魂、意識体だけです。
 ですから、死んでもなお残る魂、意識体そのものの価値が問われるのが、私たちが人生を生きる本当の意味なのではないでしょうか。

 生きているあいだに、どのくらい世のため人のために貢献したか、つまりどのくらい善きことをしたか。それが万人に共通する魂の価値だろうと私は思っています。
 ですから、人間性を磨くこと、つまり人間性を高め、素晴らしい人格を身につけることこそが人生の目的であり、それを抜きにして現世を生きる意味はありません。

 では、私たちは人間性を磨くために何を心がければよいのでしょうか。
 第一に「布施(ふせ)」、世のため人のために尽くそうと努めること、第二に「持戒(じかい)」、自分を戒めてエゴを抑えていくこと。第三に「忍辱(にんにく)」、諸行無常、波瀾万丈の人生に耐えていくこと。第四に「精進(しょうじん)」、精一杯働くこと。そうしたことを通じて、己の人格を高めていこうとすることが肝要です。

 仏教を信じるかどうかは別にして、普通の人間がよりよく生きていくための知恵として、ぜひ取り入れるべき考え方ではないかと私は信じています。
 実行できなくても、そうでなければならないと思い続けること、毎日心がけることが大切なのではないでしょうか。
(要約)

 今日の一言には、「一生懸命に働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、素直な反省心でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高め続けること。そのような当たり前のことを一生懸命行っていく。それ以外に、人間としての生き方はないように思います」とあります。

 たった今、「人間としての『生き方』とは何ですか?」と問われると、残念ながら、「人間らしく生きること?」といった言葉以外には何も浮かんできません。

 今、私が毎日の生活の中で最も意識しているのは、「丁寧に生きる」ということです。
 「丁寧に生きる」とは、一般には「生きるために本当に必要なことを、常に注意を払いながら大切に行うこと」と認識されているようです。
 刺激に振り回される流れを止め、自分にとって必要な行動を取捨選択し、その行動に集中するよう意識を向けて生活すること。
 ひとつひとつの行動を大切に、丁寧に生活することで、心の安らぎを取り戻し、主体的な人生を過ごすことに努めています。

 毎日を丁寧に暮らしながらも、「布施」「持戒」「忍辱」「精進」の気持ちを忘れない。残りの人生の指針に据えていくべき心がけなのではないでしょうか。


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