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【元プロテニス選手!藤岡さん・吉冨さん!】セルフマネジメントの極意とは?

今回は特別企画として元プロテニスプレイヤーの藤岡さん、吉冨さんとRegrit Partners 柴田のスペシャル対談をお届けします。
お二方の壮絶なプロ生活から「セルフマネジメント」についてお話いただきました。


【対談をすることになったきっかけ】

弊社が理念に共感し法人共創会員として協賛させて頂いている一般社団法人アポロプロジェクト様(以下アポロプロジェクト)と、定期的に企画している異業種対談の第三弾を実施いたしました。アポロプロジェクトが運営する「A-MAP(エーマップ)」より、今回は1期生の吉冨愛子氏と2期生の藤岡希氏をご紹介頂き、社内制度Consulting+1のアスリートコラボチーム主導のもと、元プロテニスプレイヤーとコンサルティングファームという異業種対談が実現しました。プロフェッショナルを目指すうえで、ビジネスの世界にも活かせる共通点があるかも?是非ご一読ください。


1. 藤岡さん、吉冨さんに聞く「プロテニスプレイヤーの過酷な現実」

左:柴田(弊社)  真中:藤岡氏  右:吉冨氏

ー本日はよろしくお願いします!
お二人のご経歴を教えてください。まずは藤岡さんからお願いします。

藤岡:6歳からテニスを始め、8歳から本格的にプロを目指しテニス漬けの生活をスタートしました。小学校6年生の時に、初めて韓国に海外遠征をしたのですが、今まで見たこともないようなレベルの高い選手に衝撃を受けて、「世界は広い」ということを12歳にして初めて知りました。もっと頑張らなきゃ、努力しなきゃと、とにかく練習に打ち込みましたし、あの経験があったからこそ、プロ選手になるために行うべきことが、より現実的に理解できた気がします。プロ入りに向けては、グランドスラム出場を目標に考えていたため、国内50位以内かつスポンサー獲得をプロ入りの条件として自らに課していました。そのため高卒でプロ入りはせず、国内大会で実戦経験を積んで、19歳から上海のCETA(China Elite Tennis Academy)に練習拠点を移しました。その後20歳で国内50位を切ることができたため、プロ転向を決断しました。

柴田:8歳から本格的にプロを目指して一直線に努力され、グランドスラム出場を念頭に早いタイミングから海外挑戦をしながらプロ入りを実現するなんて本当にすごいですね。それでは吉冨さんのご経歴をお伺いさせてください。

吉冨:私がテニスを始めたのは7歳の時で、それまでは水泳、ピアノ、習字と沢山習い事をさせてもらっており、最後に出会ったのがテニスでした。なぜテニスだけにのめり込んだのかを考えてみたのですが、テニスはセルフジャッジが多く、入っているボールがアウトになったりすると悔しくて、そんな理不尽を跳ね除けるほどもっと強くなりたいと、負けず嫌い精神に火がついたからだと思います。高校はスポーツ推薦で進学し、インターハイで優勝した後、卒業後すぐにプロ転向も考えましたが、プロがどのような生活なのか当時は解像度が低く、将来に対する不安もあったので、先ずは大学に進学してテニスに集中しながら様々な可能性を探ろうと決断しました。実は大学在籍中に、プロの道を諦めかけたんです。体育会の厳しさに疲弊したり、同世代が有名企業から内定をもらうのを横目に焦っていたのかもしれません。
なのでインカレで優勝したらプロ、なれなかったら就職と決めてました。決勝で相手にマッチポイントを2回ほど与えて「あ、もうダメかも」と思いましたが、なんとか優勝を勝ち取れたのでプロ転向を決断しました。

柴田:インカレ決勝戦にはその後の人生を大きく変えるドラマがあったんですね。素敵です。お二方ともアマチュア時代の輝かしい実績をもとにプロ転向を決断されたと思うのですが、プロでの挑戦はいかがだったでしょうか。

藤岡正直、プロ生活は私にとって大きな挫折経験でした。いまとなっては、プロ選手としてテニスに全身全霊で打ち込んだことが人生においてかけがえのない経験であったと認識してますが、当時の精神状態は決して良いものではありませんでした。一見華やかだけど、プレッシャーが凄まじく、海外挑戦は孤独との戦いでもありました。年間のスケジュールや移動・宿泊手配など、ほとんどのことは自分一人で行う必要があり、移動距離の長い大会などは試合前に疲労困憊ということもありました。それなのに1回戦や2回戦で負けてしまうと本当に辛くて、もちろん大赤字ですし自信を失うとともに自分を更に追い込んでしまうという悪循環にも陥ってしまいまして..。 優勝し続けない限り毎週のように敗北と直面し、孤独感を深めていくことが多かったです。スポンサーさんを探すのも大変で、履歴書を持参してセールスを行っていた時期もありました。グランドスラムに出場するほどの選手でないと、活動資金を十分に賄えないためサポート環境は充実しておらず、本当に過酷な日々が続いておりました。

柴田プロの方でもテニス以外に自分でやらないといけないことがそんなにあるのですね..。プロの世界は厳しいと言葉では分かっていましたが、生々しい実体験をお聞かせいただき過酷さがものすごく伝わりました。25歳と早いタイミングで引退を決断されたと思いますが、その背景をお伺いさせてください。

藤岡:スポンサー様との契約条件の中で24歳頃は国内大会が主戦場となったことで、世界への挑戦ができない自分の現在地を知り、プロへの熱量が冷めてしまったのが大きいです。これまで「進化できるか、成長できるか」を選択の軸としていたため、25歳で、プロを継続するか、引退してセカンドキャリアで次世代の育成に注力するかを考え、引退を選択しました。辞める方が自分は変われると思ったんです。とはいえ当時を振り返ると、試合で勝つことでしか自分の価値を見出せず、その精神状態を抱えきれずに引退を決意したのだと思います。

柴田:20代のプロ生活では非常に強度の高い環境で挑戦をし続け、成長できる選択肢のひとつが引退という大きな決断だったのですね。「本当に高い強度の中で挑戦し続けているか、やりきれているか」を自分自身にも社員のみんなにも問いたいですね。それでは吉冨さんのプロでの挑戦をお聞かせください。

吉冨私もプロ生活は挫折の連続でした。学生の頃はほとんど負けなかったのですが、国際大会はこれまでに経験しないほど負けましたし、次の試合までのタームが短く、プレーや気持ちを修正するのが難しかったです。プロになり、国際大会のレベルの高さを痛感しました。当時はとにかく勝つか負けるかばかりを気にしており、プロ選手は常に勝利を目指して戦うものという考えに支配されていました。本当に勝ち負けに左右されすぎていたんだと思います。勝ちが正解、負けは不正解。その二択しかないという固執した考え方にいつしか陥っていました。もちろん好きで始めたテニスで、幼少期からプロになりたくて、自分の意志で目指したプロテニスプレイヤーです。しかし自分が思い描いていた戦績、ランキングに届かないことが「悪」と考えるうちに、自分が好きではなくなり、テニスも心から好きと言えなくなった時期もありました。誰のためのなんのためのテニスなのか見失い、当時の私は主語が自分ではなくなっていた気がします。

柴田:勝つか負けるかの二択の世界に何年も身を置かれ、挑戦を続ける難しさが、吉冨さんのお言葉から滲み出ていて、プロテニス選手の過酷さが伝わるエピソードでした。ありがとうございます。吉冨さんも26歳と早いタイミングで引退を決断されておりますが、その背景をお伺いさせてください。

吉冨私はいわば逃走です。「テニスで結果が出せない自分」であるだけなのに、当時はテニスが生活の全てであったため、テニスで結果が出せない=ダメな自分と自らを全否定してしまっていました。それにより完全に自分らしさを見失っていました。「グランドスラムに出場したい」と夢を語れなくなったタイミングで、人様からスポンサードしてもらってプロ活動を継続するのはおこがましいと思い、引退を決断しました。

柴田:「いわば逃走」とは全く思いませんが、厳しい世界にいらっしゃったからこそ響く率直なお言葉ですね。学生時代からプロになられても国内ではトッププレイヤーであったにもかかわらず、国際大会の壁は想像を絶するほどの高さであったことが非常に伝わりました。ただ今のお二方とお話していると、すごくエネルギーを感じます。


2.藤岡さん、吉冨さんが考える「セルフマネジメント」の極意

ー大きな壁に対して“意識したこと”や“今だから思う取り組めばよかったこと”を教えてください。
藤岡:グランドスラム出場を目指し、大きな壁を前に“意識したこと”は、「自己理解を進めて判断軸を強く持つこと」です。自ら判断する場面がピッチ内外で多くあったので、オーナーシップを持ち自ら判断して責任を持つことを意識していました。また“今だから思う取り組めばよかったこと”は、テニス以外の異なるコミュニティや専門家の意見を積極的に聞く機会を増やし、メタ認知能力を高めることです。引退後にA-MAPの受講を通じて、競技のプロフェッショナルな方々とディスカッションする中で、自分の強み・弱みを棚卸し感覚的な部分を言語化する機会に恵まれました。そのことでテニスの実績だけに囚われることなく、広い視野で自らを肯定できるようになったと実感してます。

吉冨:私も自己理解を進めることは大切にしていて、自らの判断に対して自責の念を持ってピッチに立つことを“意識”していました。またプロの世界はかなり気の強い人たちの集団で、その中で勝っていくために内発的なモチベーションを高く維持できるように自分との会話は絶えず行っておりました。“今だから思う取り組めばよかったこと”は、あえてテニスに全く触れない時間を意図的につくればよかったと感じております。大学時代にテスト前などで物理的にテニスのことを忘れるほど他のことに集中しないといけないタイミングがあり、意図せずともそういった時間がより一層テニスへの集中力を高めるきっかけになっておりました。プロ時代にテニスのことを全く忘れる時間を設けるのは至難の業であり、かなり怖いことでもあるのですが、目先の結果に囚われず我が道を突き進めるほど肝が据わってないと世界ランキングで上位は目指せないのかもしれません。

柴田:お二人ともありがとうございます。自己理解を進め判断軸を形成したうえで、様々なバックボーンを持つプロフェッショナルな方々とコラボレーションし、メタ認知能力を高めることで柔軟性をもって自らの考えをアップデートしていく重要性を感じました。またオーナーシップを持ち、自ら判断して、出た結果に対しては自責の念を持って改善を目指していく姿勢がまさにプロフェッショナルであると感じます。


3.まとめ

いかがだったでしょうか。プロの世界は想像よりも過酷で厳しい環境であることに運営スタッフ一同驚かされたとともに、ビジネスの世界でも「プロフェッショナル」を目指すうえで学びの多い対談であったと感じております。

最後までお読みいただいた皆さまにとって、少しでもプラスになる、挑戦したくなるそんな記事になれば幸いです。


藤岡 希さん紹介

■ テニス遍歴
ジュニア時代は全国大会最高3位。19歳で拠点を上海に移し世界を転戦。20歳で世界ランカーとなりプロに転向し、4つの国際大会で準優勝。最高ランキングは日本34位、世界600位。25歳(2019年)に引退し、引退後はコーチ兼ヒッティングパートナーとしてツアープロの帯同を経験。現在は自身のテニススクールを運営している。

吉冨 愛子さん紹介

 

■テニス遍歴
高校在学時にインターハイを優勝し、早稲田大学在学時にインカレ優勝、ユニバーシアード大会銅メダルを獲得。大学を卒業後プロに転向し、グランドスラム出場を目指して海外を転戦する。国内大会である全日本選手権ではベスト8が最高戦績。プロ生活を4年間送り、26歳(2020年)に引退。引退後はテニスの指導やイベント活動を行なっている。2024年よりピックルボール選手として競技復帰。

■特記事項
吉冨さん:1期生としてA-MAPを受講。
藤岡さん:2期生としてA-MAPを受講。


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