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我儘(わがまま)とは 学級通信『Sagittarius』vol.58 2021.9.14発行
苦難のもとはすべて“我儘(わがまま)”である。己の“我儘”な心が困難を作り出している。
さて今日は昨日に引き続き“心の在り様(ありよう)”についてのお話です。ちなみにこの“心の在り様(ありよう)”という言葉,私は結構好きで,よく使います。心の在り様とは,その人の心の形はどうか,今の状態はどうか,心と体(心と行動)はどうつながっているか。そんな状態を表す言葉です。さて,本題,今日のテーマは“我儘(わがまま)とは何か”です。
“我儘”とは「自分の思いのままにしたい心」です。例えば子育て。子育ての時に出る“我儘”とは,自分が子どもを自分の思いのままにしたい時に出るのが“我儘”です。部下の育成の時に出る“我儘”とは,部下を自分の思いのままに動かしたい時に出るのが“我儘”です。
そして,この“自分の我儘”が“相手の我儘”を作っています。だから,自分が「相手を思いのままにしたい」と思うと,相手も「自分の思うまま」にしようとするということです。つまり,あなた自身が「言うことを聞かせよう」と思っている時には,その人も自分自身の“我儘”,自分の思うままに行動しているということです。
この“我儘”はスパイラルを生みます。まず最初に“我儘”が自分の中にある。すると,この“我儘”が“心配”となって現れる。自分の思うままにしたいと相手のことを思うけれど,思うままにならない。すると「大丈夫か?」と心配になる。この“心配”がだんだん育って,“不安”になる。「うちの子大丈夫なんだろうか?」とか,「うちの新入社員大丈夫なのか?」と不安になる。
この“不安”が表に現れた状態を“責め心”といいます。「相手を自分の思うがままにしたい」という心があると,それが相手への“心配”になり,それが育って“不安”となり,それが現れとして“責め心”となります。
この“責め心”は2種類あります。1つ目は外交的責め心。これは相手をやっつけようとする心です。これは分かりやすいです。「なんであいつ言うこと聞かないんだよ!」というやつです。2つ目は内向的責め心です。これは「私が悪いんだ」と思う心です。「相手のことを責めてしまうよう自分って,本当にダメだ」と反省することって,いい人・やさしい人とも言えますが,これはどちらも“責め心”です。
ではどうすればいいのか。“責め心”をなくそうとしてはなりません。“我儘”をなくすのです。なぜなら原因は“我儘”だからです。“責め心”をなくそうとしても,“我儘”“心配”“不安”があるわけです。
“我儘”とは「自分の思いのままにしたい心」です。これを変えるのです。つまり答えは「諦(あきら)める」です。諦めるとは“ありのままを受け入れる”ということです。つまり,「鏡の中の自分の顔に墨がついていたら,鏡を拭いてもその墨は取れない」ということですね。
さて,“責め心”が全くない人間っていますか?みんな“責め心”を持ってますよね。年配の人も,若い人も“責め心”を持ってますよね。この“我儘”の考え方は本当に考えさせられますね。“我儘”とは自分の思いのままにしたい心,でもすべての人が思いのままにすることは不可能なんですよね。
実は自分に自信がなく,自分を責めてしまう人も,実はそのスタートにあるのが“我儘”なんですよってのがこの考え方です。
この考え方を実践し理解するには,「実践と理論」「心と現実」「変えられるのは自分の心だけ」といった,倫理的な考え方を知ってないと難しいかもしれませんね。
とっても難しいお話でしたが,ここからしばらくこの「倫理」のお話を紹介したいと思います。私もこの「倫理」の考え方は,実践しながら勉強しています。次回は「心と現実,どっちが先ですか」というお話をしてみたいと思います。