ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』For Piano (Mussorgsky)

In this video, we'll be performing the piano arrangement of Pictures at an Exhibition, by Modest Mussorgsky.

This arrangement is from 1874, and is a classic example of the Russian composer's work. Be sure to check out the video to hear it performed in full, and see how we put it together!

00:00 Promenade I
01:20 1. Gnomus
04:24 Promenade II: Moderato commodo assai e con delicatezza
05:09 2. Il Vecchio Castello
09:56 Promenade III: Moderato non tanto, pesamente
10:25 3. Tuileries (Dispute d'enfants après jeux)
11:30 4. Bydło
14:33 Promenade IV: Tranquillo
15:24 5. Балет невылупившихся птенцов
16:32 6. "Samuel" Goldenberg und "Schmuÿle"
19:12 7. Limoges, le marché (La grande nouvelle)
20:40 8. Catacombæ (Sepulcrum romanum)
23:04 Cum mortuis in lingua mortua
25:26 9. Избушка на курьих ножках (Баба-Яга)
29:02 10. Богатырские ворота (В стольном городе во Киеве)

公開者情報 Moscow: Mikhail Arkadiev
演奏者 Mikhail Arkadiev (piano)
著作権 Creative Commons Attribution-NonCommercial 3.0
備考 The Promenade [V] before Limoges is omitted in this recording.
The combined recording has been compressed twice with MP3; thus, it is advisable to use the split files where possible.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

組曲『展覧会の絵』(てんらんかいのえ、露: Картинки с выставки; 仏: Tableaux d'une exposition; 独: Bilder einer Ausstellung; 英: Pictures at an Exhibition)は、1874年にロシアの作曲家モデスト・ムソルグスキーによって作曲されたピアノ組曲である。ロシアの画家であるヴィクトル・ハルトマン(ガルトマンとも)の死を悲しみ、絵の展覧会を訪れた際の散歩(プロムナード)の様子を曲にしている。曲ごとに拍子が違うのは歩きながら絵を見ているという、歩調を表しているとも言われている。後世では、多くの作曲家によってオーケストラ(管弦楽)に編曲された。とりわけ、フランスのモーリス・ラヴェルによる、トランペット・ソロで開始される編曲が名高い。

作品の概要
『展覧会の絵』はムソルグスキーが、友人であったヴィクトル・ハルトマンの遺作展を歩きながら、そこで見た10枚の絵の印象を音楽に仕立てたものである。ロシアにとどまらずフランス、ローマ、ポーランドなどさまざまな国の風物が描かれている。また、これらの10枚の絵がただ無秩序に並ぶのではなく、「プロムナード」という短い前奏曲あるいは間奏曲が5回繰り返して挿入されるのが特徴的で、この「プロムナード」は展覧会の巡回者、すなわちムソルグスキー自身の歩く姿を表現している(使われるごとに曲想が変わるので、次の曲の雰囲気と調性とを的確に感じて弾くことが大切である)といわれる。覚えやすいメロディーと緩急自在の構成(ユーモラスな曲、優雅な曲、おどろおどろしい曲、重々しい曲など)から、ムソルグスキーの作品の中でももっとも知られた作品の一つである。

組曲の構成
絵の印象を描いた10曲と、「プロムナード」5曲(自筆譜では第2プロムナード、第3プロムナード、第4プロムナードは調号を用いずに臨時記号で書かれている)、「死せる言葉による死者への呼びかけ」の16曲からなる。ただし、ラヴェル版は第6曲と第7曲の間の第5プロムナードが削除された15曲で、これと同様に第5プロムナードが削除されている版も多い。「死せる言葉による死者への呼びかけ」は「プロムナード」の変奏であり、6番目の「プロムナード」と位置づけることもできる。

なお、ムソルグスキーは各プロムナードと直後の曲、「リモージュの市場」から「死せる言葉による死者への呼びかけ」、「バーバ・ヤガー」と「キエフの大門」をアタッカで繋ぐ指示をしている。

作曲と編曲の経緯
原典版(自筆譜)

モデスト・ムソルグスキー
ムソルグスキーは音楽史などでは「ロシア5人組」と呼ばれる音楽家集団の1人として良く知られているが、ムソルグスキー1人に限って見ると、後年になるほどウラディーミル・スターソフの影響がきわめて大きい。スターソフはロシアの芸術史研究家であり評論家であったが、指導者的な面もあり、多くの若い芸術家の慈父のような役割を果たした。そして彼のサロンには、音楽、絵画、建築、彫刻家などが集まり、ロシア固有の芸術を探求する空気が醸成されていた。


ヴィクトル・ハルトマン

ファクシミリ版17ページ。「カタコンベ」と「死せる言葉による死者への呼びかけ」
1870年ころ、ムソルグスキーはヴィクトル・ハルトマンという建築家であり画家でもある人物と出会い、交友を結ぶ。しかし1873年8月4日、ハルトマンは動脈瘤が原因で急死してしまう。ムソルグスキーの落胆ぶりは大きく、残された手紙などによると、ハルトマンの体の異常に気づきながら友人としてなすべきことをしていなかったのではないかと、自責の念にかられている様子がわかる。一方、スターソフはハルトマンの遺作展を開くことにした。ハルトマンの作品を整理することと、ハルトマン未亡人のための資金援助が目的であったと思われる。遺作展は、1874年の2月から3月にかけて、母校であったサンクトペテルブルク美術アカデミーにおいて400点の遺作を集めて大々的に開催された。

その展覧会から半年後の1874年7月4日、ムソルグスキーは『展覧会の絵』を完成させた。同年6月24日付のスターソフへの手紙には、この曲について興奮気味に「アイディアが煮えたぎっていて紙に書く暇がない」「今間奏(プロムナード)とそれ以外に(曲集前半の)4曲を書いた」などと書かれており、その前に作曲していた歌曲の完成よりまだ10日程度しかたっていないことから、作業の遅いムソルグスキーにしては珍しく2 - 3週間足らずで一挙に作曲されたものと推測されている。この自筆譜は、現在はレニングラード国立公共M. J. サルティコフ・シェッシュドリン図書館に保存されている(手稿本部門、M. P. ムソルグスキー基礎資料502番、文書番号129)。いわゆる自筆譜とかファクシミリ版と呼ばれているものである。なお、原典版・原曲といった場合、本来はムソルグスキーの自筆譜(またはファクシミリ版)を指すが、ファクシミリ版が1975年まで公開されなかったため、1931年に出版されたモスクワ音楽院教授パーヴェル・ラム(Pavel Lamm)による校訂版が今でも原典版として広く受け入れられている。
#ムソルグスキー ,#mussorgsky,#展覧会の絵

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