いい人という縛り
よく言われる言葉
「かげってめっちゃいいやつだよね」
この言葉はいろんな人に言われる。
仲良くなりたての人とかは特に。
その言葉は実際嬉しいし
そんなふうに思ってもらえることは
受け入れてもらえてるような感じがして
嬉しいしありがたい。
ただ今までそんな言葉をかけられた後
なんだか縛られるような
思うように過ごせなくなる自分がいた。
今まであんなに楽しくやってたのに
あんなに一緒にふざけてたのに
なんか固まる。なんか息苦しい。
そんなことを感じては
一緒にいる時間が微妙な感じになったし
俺自身もなんかモヤモヤする
そんなふうになることが多くあった。
そんで最近も。
こんな言葉をかけられた。
「1人でいるときめっちゃ可愛い」
いつもふざけてることばっかで
わりとうるさいやつの俺が
1人の姿でケータイをいじって
noteを書いてる姿に可愛さを感じたみたいで
純粋に可愛いと伝えてきた。
そう、相手は純粋に思ってることを
伝えてくれてるだけ。
何も悪気はないしただありがたい。
そのはずなのに
そんなことを言われると
急に顔のあたりが強張って
とりあえず笑ってる俺がいた。
どうしたらいいかわからなくなる。
そんなことは過去にもあった。
野球でも新しいチームに入ったときは
イキイキとしていてプレーしてたのに
入ってからある程度すると
目の前のことに集中できなかったりして
エラーしたり不調になったりしてた。
それまでふざけて遊んでたのに
「お前はめっちゃいいやつなんよ」
「まじでイケメン」
って言われた後は
遊んだときになんかかしこまったり
ふざけることはせず笑って見守ってた。
そんなことで共通して思うのは
相手のイメージを崩したくない
期待に沿った自分になりたい
要は
承認だったり信頼だったり繋がりだったり
そんなことを自分は求めてた。
より大事にしたいことだから
失うことを恐れたり不安になったり困惑したりする。
そうやって目の前のことに
手がつかなくなる。
でも同時に
自分自身でいること
つまり
正直で素直な影澤亮佑でいること
「自然体」とか「ありのまま」とか
を大事にしたいから
不安や困惑してる自分にモヤモヤしてる。
きっとアドラーが伝えたかったのは
こんなところなんじゃないのかなって
改めて思う。
相手から認めてもらうことも大事だけど
自然な自分でいることで認めてもらうことが
とてつもなく大事な気がする。
だから自分を表現することを大事にしたい。
良い一面だけを見せるのではなく
自分の中で感じてるいろんな一面を
ちゃんと表現できる人になりたい。
いや、なっちゃおう。
認めてもらいたい気持ちをなくすのではなく
自分を表現することに集中しよう。
そしたらそんな自分を認めてくれる人が
勝手に出てくる気がする。
そんな自分どの繋がりを大事にしてくれる人が
信頼してくれる人が出てくるはず。
だからこうやってブログにすることも
自分について話すことも
大事にしちゃおう。
読んでくれた人ありがとう。
めちゃくちゃ嬉しいです。ありがとう。
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