影澤亮佑
影澤のここまでの軌跡をちょっとだけ覗けます。
熊本県の三角という場所にあるエコビレッジ「サイハテ」 1万坪の土地で約30人が暮らすコミュニティです。 そこで過ごす24歳の心の動きと暮らしの日々を通して見えるコミュニティの豊かさや葛藤などを赤裸々に綴っていきます。
ここでは日常の心動いたその瞬間を言葉で、詩で、表現しながらそこにいる自分や世界に見えるリアルな声と美しさをただ残していきます。
実は7月の終わりから8日間かけて 埼玉から熊本まで自転車で行ってきた。 理由は馬鹿なことをしたかったから。 いや、馬鹿なことをしないと おかしくなりそうだったからって言ったほうが 正確な気がする。 6月中盤から7月の終わりまで 生きていたというよりも 死ななかった って表現の方がしっくりくる。 大袈裟に聞こえるかも知れないけど 死ぬ理由がなくて生きてた感じ。 6月中旬まではほぼ毎日 オンラインでなんかしてたけど それ以降の期間はバイトもしてなかったし オンラインで
無料体験を受けていただき ありがとうございました! 礼に始まり、 共感の質感や自分と繋がる感覚、 そして感謝を込めた礼で終わる。 そんな弥栄部屋の時間は どんな体験になりましたか? もし弥栄部屋の時間で 生きることをお祝いする感覚を 感じて頂けていたら こんなに嬉しいことはありません。 お祝いのサイクルの共創 改めて私が弥栄部屋でしたいことを お伝えさせてもらうと 「感覚・感情から本音と繋がる、体と意識と空間の使い方」 を磨く習慣を身につけて 「生きることをお
暮らしには心の動く出来事が散らばっている。 子供がいると尚更にそうなることを 実感している父親7ヶ月目だ。 奥さんと娘一人と3人で暮らす中で 片付けや家事のやり取り、 泣く娘とそこへの対応、 色々やっている中でふとした時に感情が溢れて お互いの声が大きくなる。 「あれやって」 「つかえない」 「生理的に無理」 こんな言葉が交通事故のように不意に現れる。 (よく気にしておけば不意にはならないけど) すると全てを放り出して逃げたくなったり 絶望を避け相手にいかに非
最近の日々の中で 「カゲがここにいるのはでかい」 そんなふうに言ってもらえることばかり。 自分としては本当に好きでやってるし 周りのメンバーがいることの大きさも ちゃんと感じられているから 感謝の嵐が起きてる。 一人一人がいてくれること、 存在してくれてることの大きさを 日々感じてる喜びが止まらない。 俺自身がただそこにいることに 価値を見てくれていて 俺もみんなに対してそこにいることに 価値を見つけている。 これをやったからとかの損得の部分ではなく これをやらなく
3月25日25歳の誕生日にサイハテを旅立ちました! 本当に大好きな場所で 受け取ったものは数えきれないし これからも受け取り続けてるんだろうなと そんなふうに思ってます。ありがたすぎます。 サイハテを飛び立つときも 最高のギフトをもらいました。 俺の人生がガラッと変わってしまった体験です。 それは 「自分で自分の道を信頼すること」 です。 サイハテに来たとき家づくりをする枠で サイハテの住人になりました。 実際やってみてたくさんの学びと経験をしたし
人生は 味 体全てを使って味わう魅惑の世界 辛さも苦さも甘みもうまみも 全てが人生を彩る味だ 時にはおやつも必要さ 時にはコーヒーなんていいんじゃない そんなノリで世界を味わう 私 でありたい おやつばかりは美味しいけど どこか飽きていく単調な味 麻痺してるみたいだ やっぱ苦味も欲しいんだよな やっぱ苦味あっての甘みなんだよな 世界の味わいはそんなノリで 一人で立つことに必死で でも頑張るんじゃなくて 遊んでたら立っていた子供みたいに そ
「覚醒」 をテーマに書き綴った250ページのノートが 今日ラストのページを書き終え終了した。 綺麗な金色だったのに使い古して だいぶ色あせてる。 サイハテに来てからすぐこのノートを買って 日常の出来事の中での心の動きを書いていた。 一番最初のページには そのときの覚醒の捉え方について書いてあり 「お好きにどうぞの空間で自分の感性を大切にしながら感謝の心を持って愛の器を広げる」 「今感じてるこの瞬間を真っ直ぐに、遊ぶように笑って生きる」 「喜びから今を生きる」 こんな言葉
時々自分が嫌になる。 いや、 なっちゃいそーな時がある っていった方がいいかも。 まあ大体の人はあるよね、たぶん笑 (ない人もいるとは思うけど人生で一回くらいは、、 あってほしいな〜しらんけどw) それは 人の目を通して伝えられたこと、 誰かに言われた一言、 そんなことがきっかけで起こってるって気づいた。 ここで大事なのはその人が 「きっかけ」 でしかなくて それをどう受け取るかは自分が決めてるんだー って最近気づいたよって話。 自分に対して嫌だなーとか情けないなーと
オンラインのイベントで聞いた話。 アフリカのある土地を買い17世帯くらいが集まって 村を作ろうという流れが起きているらしい。 この流れが今サイハテで起きていることと リンクしすぎて本当に感動したし やっぱりその流れになるんだということが まさに希望でしかなくて楽しみになった。 アフリカの歴史の中で歩んできた文化的な生き方を 資本主義という仕組みに 飲み込まれてやるのではなく そこにいる人たちで、 そこにある文化ややり方で みんなで話しながら共創しようとしている。 その動
僕は今穏やかに廻ってる 誰かに廻されてるような でも自分で廻っているような 宇宙に廻されてるような 魂が廻しているような わからないけど穏やかに廻ってる 焚き火の火に薪をくべるように ただ当たり前に、ただ思いつくことを 廻っていく そんなことで喜んでいる誰かがいる 誰かは傷ついてるかもしれないし 何も感じてない人もいるけれど 何はともあれ今日も僕は穏やかに廻ってる まだ小さくて見えづらいけど 新しい場所を廻ってる 僕が好き勝手やることは 誰かのためにはなっているし 誰かのため
次の日は仕事。 そんなことも忘れて朝まで話した。 俺が俺のこうしたいを話した。 相手のこうしたいを聞いた。 そう、俺は俺のエゴで進むのがたぶん面白くて 相手は相手のエゴで進むのが面白くて エゴを尖らせた先で最高のお前に会いたくて 本気で話した。本気で伝えた。 うるせえって、ムカつくって、最高って それが生まれたらそれが俺なんだ。 その中に俺の持つ美しさがあるんだ。 それを偽った言葉を伝えても それを裏切るような反応をしても そこに俺の美しさはない。 俺の思う面白さはない。
【コミュニティに俺は何を求めてるの?】 ふとした時、なんで自分が今まで コミュニケーションとかコミュニティとかの 話し合いだったりとか交流の場が 自分にとって大切だったのか 意外と考えてないことに気づいた。 俺の中で言えるのは自分自身が言いたい事を言える場所を求めていたからだ。 自分の中でパッと出てくる言葉たちを口にすることはできてない。体の中に埋まってる。 それは攻撃的な言葉だったり場の雰囲気を壊す言葉だったりもするから。そこで自分自身を責める声が出てきてもう自分の中が
ムカつく。 よくある感情だ。 この気持ちにいつも翻弄されてる。 今日だってそうだ。 家づくりをしている中で 材木を俺が支えて一人が釘を打つ。 釘を打つ時に時々トンカチの取っ手が 俺の手にぶつかる。 1度ではなく数え切れないくらいぶつかってた。 そして一人でいろんな言葉を呟いてる。 うわーやってしまったー これどうしよう、まあいいか いろんな言葉を話していた。 ムカついた。 その時にとる俺の行動は 無口になる、そして目を見ない。 距離をとりたかった。 怒りから自分を遠ざ
2/2 今日は休み。 サイハテ村で家を立て始めて5ヶ月が経った。 棟梁が去る前の二日間、 本当に楽しい時間を過ごせた。 そんなみんなとの楽しい時間が過ぎて これからこうして行こうかという話もして ゆっくり過ごしていた今日。 本を読んだり昼寝をしたり 1日なんもしないってなってたのは久々だった。 そんな日に現場に行って住人の人たちに 終わってない外壁、床、内装、水道の話を聞いた。 そこである変化が自分の中に起きた。 それは"重さ"だった あー、まだこんなにあるのかよって。
自分を晒すこと。 剥き出しの状態にすること。 今のおれにこんなに怖いことはない。 でもこれが大切であり信頼できると そう思わせてくれた話。 ここ5ヶ月間はサイハテという地で 家を建てるために動いてきた。 そして1月31日をもって棟梁は このサイハテを出るということが決まっていた。 とは言っていたものの 外壁も終わってない、内装もまだまだの状態で 3月から住まなければならない。 不安でしかないしこの状況に怒りすら感じてた。 いや、このまま帰るのかよ、まじかよって 年内に
最近気分が落ち込んでた。 そんな時にみた映画「ソラニン」 幸せなんだけどどうしようもなく不安だって自分に 気づかされた。 バイクで走ってるシーン。 俺は幸せだ。そう心で呟く主人公。 ほんとうか?そう3回問われて 徐々に表情が崩れていき 叫んでアクセルを握るシーンを見て なにか共鳴するものがあった。 俺も幸せなんだ。 ここでの生活は楽しいんだ。 素敵な人たちや新しい人との出会い、 豊かな自然にやりたい家づくりまでやれてる。 だけど怖くって不安でどうしようもない 全てから逃げて