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鬱とチャリ旅

実は7月の終わりから8日間かけて
埼玉から熊本まで自転車で行ってきた。

理由は馬鹿なことをしたかったから。
いや、馬鹿なことをしないと
おかしくなりそうだったからって言ったほうが
正確な気がする。


6月中盤から7月の終わりまで
生きていたというよりも

死ななかった

って表現の方がしっくりくる。

大袈裟に聞こえるかも知れないけど
死ぬ理由がなくて生きてた感じ。
6月中旬まではほぼ毎日
オンラインでなんかしてたけど

それ以降の期間はバイトもしてなかったし
オンラインで週に二回の運営だけ。

それ以外は何をしてたからというと
みたらし団子にNetflix、漫画、オナニー、寝る。

4月に決意表明したとは思えない
今振り返ると
笑ってしまうくらい怠惰な日々。笑
(4月にした決意表明はこちら↓)

https://note.com/royalroad/n/n1051369ebf7f

この時間が快適で
そんで死ぬほどしんどい。
あの瞬間の自分は少なくとも
笑える余裕なんてなかった。


自分なりに決意して始めた
4月からの生活の中で
いろんなことが積もりに積もっていた。

人に伝える立場だからこういないといけない
とかで縛られたり、

自分なりにチャレンジしたことで
結構エネルギーを使って
どこか燃え尽きてしまったり

オンラインばかりで
パソコンを開くたびに
胸も頭も痛くなったりした。

悩みが多すぎて
自分自身がわからなくなったし
たくさんのものを見失っていた。

その時住んでたシェアハウスのみんなには
なんか情けなくて
そのときの自分の気持ちを隠しちゃったし
心配をかけたくないと思って
よく1人でどこかにいったりした。

コロナで人に会うことも少なかった。
自分の中にあるものは
人に聞いてもらうようにしよう
と思ってたけど
毎回電話をしようとすることにも
エネルギーを使う。
そのうち動く気も失せて
どんどん溜め込んでいき

気づけば死んでない生活が始まった。

そこには希望はなく
恥とか情けなさとかが
常に付きまとって動けなくなる感覚。
抜け出したくても抜け出せない

いや、心のどこかで抜け出したくなかった。
ぬるま湯のように居心地がいいけど
そこから抜け出せなくなるような生活。

とにかく初めてだった。
ここまで鬱のようになるのは。

それで6月の終わりくらいから実家に戻って
生きる心地のしない時間を過ごした。
ほぼ避難したって感じ。


そんなおれが
5月から考えていた理想の場所が
「サイハテ」
という熊本のエコビレッジで
そこには8月から1ヶ月いく
ってことは6月の頭に決めて
予定も全て空けてた。

でもこの状態のまま行くのは怖かった。
そこで人と当たり前に関われるか、
なんだかこんな自分で人に会うのが怖かった。
何も手につかない自分でいるのは不安だった。

それだけ関わった人とのつながりを
大事にしたかったし
恥とか苦しむことから
自分自身を守ろうとしてた。

けどこのままだと
本当に大切にしたいことが見えなくなる。
なんかわからないけど
自分がどんなことをしたかったのか
忘れそうな気がする。


それを取り戻すために
一回ばかのことをしてみたかった。

ぐちゃぐちゃしてるところから
出てみたかった。

だから自転車を漕いだ。
埼玉から熊本まで。

ギアが重いところから動かない
錆びついた8年目のママチャリで。

雨の中の箱根も
横に長い静岡も
琵琶湖に架かる橋も
蒸し暑い夕方の大阪も
瀬戸内海のしまなみ海道も
愛媛の海沿いも
真夏の阿蘇山も
ひたすらに進んだ。

その中で自分の癖というか
よく出会う言葉たちがいた。

まあいいや、面倒だから、きついから。

上り坂になってちょっとキツくなると
すぐに漕ぐのをやめた。
自分の目的を見失って
ペダルを踏む足が重くなって
勝手にしんどくなった。
夕方暑すぎてふざけんなって
1人で勝手にイライラした。

もういいや。面倒だな。きついから

そんな言葉でやめる自分にたくさん出会った。
そしてそれが今までの自分を
苦しめてた言葉だった。
一歩を踏み出せなくなっていた。
全てに対して

もういいや。面倒だな。きついから。

けど漕ぐしかない状況だったし
体を動かしたからか
そんなところもぶっちぎれた。
意識的にそんなところを超えてみた。

その言葉が出ててくるたびに
ペダルを踏んだ。
一回一回超えてみた。
その瞬間進むことだけを考えた。
きつい坂では
ペダルを踏めなくなるところまで漕いだ。
今その瞬間に出せる力でペダルを踏んだ。


高校の野球部の頃

最後の一歩まで走り抜く
最後のひとスイングまで振り抜く

そうやって体を動かして学んだことが
自分の中に蘇ってきた。

そうだった。
苦しくても求めるものがあった。
自分の中の納得感があった。
妥協ももちろんたくさんした。
でもあと一歩を頑張り続けた自分は
ちゃんと成長して
結果的に喜びに繋がっていた。

高校の時に学んでた大切なことを
ちゃんと思い出せた。

先のこととか前のこととかどうでもいい。
今その瞬間に自分が大事にしたいことに
ちゃんと手を伸ばすこと。
辛くても苦しくても
大事にしようとすること。

無理しないことも大切だと
鬱っぽくなってわかった。

そのバランスだった。

無理せずに、無理する。

真剣に、遊ぶ

アルケミストという小説ででた言葉が
ふと浮かんだ。

「もし今に心を集中していれば幸せになります。」

「人生は私たちにとってパーティでありお祭りでもあります。なぜなら人生は今生きているこの瞬間だからです。」

チャリ旅の経験をしたから
すごくしっくりきたことばだった。

今ペダルを踏むこと
それ以外に進むことはできなかったから。

日々生きるってなった時
やることはここまで
シンプルじゃないかもしれないけど

ひとつだけ分かったことは

「今を生きればきっと笑える」

ということ

少なくとも今は幸せを感じれてる

また何かにぶつかる時が来るだろうけど
その時はまた
その瞬間を生きようと思う。

また今日からこの瞬間に生きちゃお。

ここまで読んでくれた方
ありがとうございます。

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