![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161811157/rectangle_large_type_2_7c8413af75d72d62ddadc5d5dcb3df13.jpg?width=1200)
拡大・発展・成長に貢献する私
そっか!!ふうは星になるんだね!
でも大多数が(私を含め)就職活動を経て、新入社員研修みたいなものがある会社を選ぶ中、
ふうの、やりたいことに向かって一直線に周りに合わせず選んだ時点で、丸にはもうなってないと思う🤭
尖りが5つまでは行かないけど、尖ってるとこあるな〜ってたまに思うときあるのヨ(もちろんいい意味で!)
それでね、
あくまで私視点のふうちゃん形容詞なんだけど(なんやねんそれ)
芽🌱ってどうかな!
よく言われる言葉だしよく使われる表現でもあって、
今はいろんな養分とか水分とか日光を吸収してる最中で、どんな大きな大木になるか変な形の木になるか分からないけど…
でももう芽が出てるっていうこと!
昔は私ふうのことはスポンジみたいだなぁって思ってたけど
よく考えたらスポンジじゃなくて、ふかふかの良い環境の培養土みたいな感じだったのかなって思ってる。
そこから今、発芽しまして、色んな尖り方したり他思い遣ったりしながら成長中ということで…!
もちろん、芽が成長した後星が生まれるっていう、なんとも素敵なことも起こり得るのさ!!あと、星は星でもどんな星になるのかも楽しみ!!
みんな幸せになりたい
すごく共感した!
忙殺されていっぱいいっぱいで家族に申し訳ないなって思ったり、私なんかは酷い態度とったりもしょっちゅうだからさ(涙)
それこそ、一個前の私の投稿では引越しと通勤に振り回されてる私が見れるけど、その時なんかは特に酷くて。
母が
「引越しとかでできることあれば手伝うよ」って言ってくれてて、
私は今でさえ手伝って貰ってるのに(なんなら私が手伝うべきなのに)そこまで手伝ってもらうのは嫌だから
「自分のことは自分でできるから突っ込まないで‼︎‼︎」とか言って謎理不尽怒りをしちゃったりね…
でも落ち着いて話したら、
母にとっては私の手伝いは「やりたいこと」であって、私が大変そうだから手伝わなきゃ…みたいな無料お手伝いさん的な考えが一切ないことに気がついて、
それなら私も最後に母に頼ろうと思って、少しの手伝いをお願いしたんだよね。
基本的に人がプライベートでとる行動って自分が幸せになるために選択した末の行動だから、それはそれでいいはずなのに
なんでその選択を自分が批判したり、ムカついたりしちゃうんだろうね。
「みんな幸せになりたいんだ」って考えを頭の片隅にいれとくだけで、お互いを尊重できるし自分も自分に集中できるかもしれないね
拡大発展成長に貢献する話
ちょっと話がズレそうで実はめちゃくちゃ繋がってる話があってね。
最近朝井リョウさんの新作「生殖記」を読んだの。
具体的な内容の話はしないんだけど、
この話を読んで、私って拡大・発展・成長に貢献しようとしているのかな〜って思ったの
高校生のときくらいから「自分は将来どんなことをしたいんだろう」って考えて、やりたいことを見つけたら、そこからはずーーーっと、
昨日の自分より成長
を意識して過ごしてきたんだよね
いつか忘れたけど、なんかそういうスイッチが入ってからは、ご存知の通り、なんとなく主体性のある側の人間になっていて、
社会人になっても、全く自分の利益には直結しない仕事を「いつかは私に返ってくる」とか「ここが少しでも改善されれば」とか「お客さんが喜んでくれそう」とかの気持ちで、めちゃくちゃパッション持ってやってるの
だからこそ、仕事の先々で出会うやる気のない方々にずっとイライラムカムカしていたのね。
でも、「生殖記」を読んでから、
あーーなるほど、私みたいに大きな絨毯を率先して重さを感じながら運ぶ人もいれば(それが正義だと思っていて、それが当たり前で、少し辛くても良い)
一緒に運ぶことはするけど手を添えるだけの人もいるんだなあって思ったの。
そしてその感覚はめちゃくちゃ覚えのある感覚で、
例えば中学生のとき、文化祭の出し物で委員会の子が頑張ってクラスをまとめてアイデアを練っているけど、私は特になにも考えずにクラス投票に「手を挙げるだけ」しかもみんなと同じやつに。
みたいな感覚
なぜ、大きな絨毯運びに手を添えるだけをするのかっていうと、
やっぱり「どうでもいい」があるからみたいで。
今私が、大きな絨毯を先導して運べる理由は、自分の置かれた立場とか環境に対してめちゃくちゃ興味があるし、好きなことだし、周りからも認められることがあるからなんだよね。多分。
けど、これが、全く興味もないし、その環境がいくら変わったとしても自分に何一つ良い変化とか認められるとかそういう利益がないと、そりゃ手を添えるだけになるよね。
色々面倒なことを書いたけど、つまり何が言いたいかというと、
私は今「拡大・発展・成長」に貢献していて、大きな絨毯を頑張って運んでいる(つもり)だけど、
いつ絨毯に手を添えて歩くだけになってもおかしくないっていう話なんですわ
それでね、そういう、手を添えるだけの人も、決して邪魔をしようとして手を添えているんじゃなくて、あくまでも先導する人の邪魔にならないようにしているんだなって。
言い換えると、その人はその人にとって良さげな(幸せになれそうな)選択の結果が「手を添える」なのだと。おもうのです。
拡大・発展・成長に貢献してる私たち
絶対に私たちって今拡大・発展・成長に貢献しているよね?
なんの?って言われたら、「それぞれの環境の」もしくは「自分自身の」
だって、星になりたいふうと、芽なんだよって言う私だもん
でもたまには、大きな絨毯に手を添えるだけの時間を作ってもいいのかなって思ったの。(特に理不尽なときや追い込まれている時)
なぜかと言うと、
生殖記をよんでから、拡大・発展・成長に貢献しない私をやってみたのね。
そうしたら、めちゃくちゃストレスが少なくなったの。
お客さんから何言われても、会社の理不尽すぎる制度を知っても、上司にムカついても、夜中に資料作成しても「あーこれは私とは違う星の出来事だ〜ワレワレワ…」って受け流せたの
もちろん、ずっとこれやってたら、これからやりたいことに近づけないし、周りにそういう人だってバレちゃうから危険なんだけど、
精神衛生のために、一旦「この星の方々は大変だな〜ま、私は違う星だからノーダメージだけど」みたいなマインドになることもアリかなって思うよ。
それはそれで、自分の選択肢だし、やる人とやらない人、先導する人と手を添える人、成長に繋げる人とキープでいる人、そういうバランスで社会が回ってるんだなって最近やっと気づいたんだ。
もちろん、私は結局、拡大・発展・成長に貢献しますが!!
あくまで自分自身のね!!
p.s. 更新またおそくなりました!
なんだかんだこのnote楽しいから書きすぎちゃう!