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誰も教えてくれなかった不妊治療のあれこれ

1. はじめに

私には卵巣が一つしかない。
入籍直後に腫瘍が見つかり、摘出した際に左の卵巣は殆ど無くなってしまった。

そして術後の通院から流れるように不妊治療を始めることになった。
当時、そこまで強く子を望んでいた訳ではなかったが、「昔は全く欲しいと思わなかった。でも今になって産んでも良かったなって思う」という50代の先輩の言葉に後押しされた。
そういうものなのか、と。

結果、この時の選択が私の人生の分岐点となったので、忘れないように記しておこうと思う。

※治療方針や処置内容、金額は一例です。感じた感想や痛みの程度も個人差があるのでご留意下さい。

2. 女囚気分の卵管造影検査

治療前の不妊検査は多岐に渡るが、その中で最も激痛なのが卵管造影検査と言われている。
検査当日、普段とは違うフロアに行き、一番の奥の部屋に通されると、私の他に10名ほどの女性がいた。
やんちゃそうな若い女の子、ずっとパソコンを見ているキャリアウーマン風の女性、眠っている外国籍の女性、白髪混じりの枝毛をいじっているご年配の女性、、、。

マンガ脳な私は「今からデスゲームが始まりそうだな」と場違いなことを考えながら一番端の席に座った。
同時に、こんなに多種多様な女性が「子を授かりたい」という同じ目標を持っていることに感銘を受けた。不妊治療という、生命の誕生を願って行動している事実が、私と彼女達を戦友にしてくれた。

どうやら私が最後だったようで、看護師は扉を閉めると検査の簡単な説明を始め、「では順番に着替えて1人ずつ検査室に入って行ってください」と言い残して去っていった。
布一枚に身を包んだ女10名が列をなし、緊張した面持ちで次々と狭い検査室に入っていく。
待っている間は刑を執行される囚人のような気分だった。

しかし肝心の検査自体は意外なほどすんなり終わった。私の卵管の具合が良かったのか、担当医に恵まれたのか、とにかく胸を撫で下ろした。
卵管造影検査の痛みは人それぞれ。知らなかった。

3. 意外とシビアなタイミング法

不妊治療には段階がある。最初は排卵日に合わせて夫婦生活を行うタイミング法である。
排卵日に夫婦生活するだけならば通院しなくても良さそうと思ったのだが、そうでもなかった。

いつでも放出できる精子に比べて卵子は毎月一回、たった1つしか放出されないためとても貴重だ。言うなれば工業高校に通う唯一の女子。荒野に咲く一輪の花なのだ。
しかも彼女達はとてもか弱くすぐに力を失ってしまう。排卵された卵子が精子を受け入れるには、一日の誤差が重要なのである。

つまり排卵予定日に病院で超音波検査をしてもらい、「この感じだと明日が排卵!」「もう排卵してるから今日して!」と正確なタイミングを教えてもらって夫婦生活するのだ。

私はこの通院が最もストレスだった。不妊治療院はとにかく混んでいる。
5分の排卵チェックのために2時間待った日の帰り道、タイミング法はもう辞めてステップアップしようと決めた。

4. 精子の運搬クエスト

モンスターハンターというゲームの中で、モンスターの卵を運搬するミッションがある。落とすと割れてしまうため、重くて大きな卵をしっかり持って慎重に運ばなければならない。
タイミング法の次となる人工授精。その要は正にこの運搬クエストだった。

夫婦生活を行った後、精子たちは兵隊となって卵子の元へ向かうのだが、辿り着くのはほんのひと握りだ。それほどに卵管までの道のりは厳しい。
人工授精は予めこの精子隊の中から足の速い選りすぐりの精鋭部隊を抽出し、「今でしょ!」のタイミングで子宮内に彼らを放つ。以上である。

しかし、一度体外に出た精子隊はウルトラマンの如く活動限界時間が存在する。私は大体2時間と言われた。

つまり、冒頭の運搬クエストとは、「放出されてから2時間以内の精子の提出せよ」ということだ。

ベストなのは病院内で採精することだが、「では明後日来てください」とピンポイント日時で指定される上、待ち時間も長いので終了時刻が読めない。会社員には辛い。
1回目は何とか休みを取ってくれた夫だったが、通院していた病院は中々のオンボロ施設だったので、「採精室にある雑誌とDVDが古すぎて出るもんも出ない。イヤホン忘れてスマホで動画も見れないから無理」と何もせず待合室に帰ってきた。そういうこともある。

こうして2回目の人工授精は自宅での採精になったのだが、季節は冬。
精子隊は寒さに弱く、人肌に温めないとすぐに動けなくなってしまう。そして温めすぎても死んでしまう。
なんて繊細。なんて儚い命の種火。

容器をタオルで包んで鞄に入れる等の方法もあったのだが、鞄内の正確な温度が分からないし冬場の冷気が怖い。
何よりチャンスは月に一度。失敗は許されない。

そんなこんなで、私はプリン容器大の精子ケースを小脇に挟み、上からコートを羽織って競歩並みの歩行スピードで電車に乗り病院まで精子を届けたのだった。

「なんなんだこれは。私は一体何をさせられているんだ」
悶々と考えている私の気持ちをよそに、実に淡々と人工授精の処理は終わった。
排卵チェックをし、「では入れますね〜」と注入されて終了。痛みも無ければ実感もない。
私は思わざるを得なかった。
「これ、タイミング法と何が違うん…?」

こうして私は人工授精からのステップアップを決意した。

後から調べたら人工授精は精子の運動率が低い場合に有効な手段らしい。顕微鏡で見せてもらった夫の精子は素晴らしい動きを見せていたので、やはり2回目でやめて正解だった。

5. 体外受精とAKB総選挙

体外受精は、これぞ不妊治療という感じで身体的にも経済的にも負担が桁違いになる。
事前勉強会で仕組みを教えてもらった時、脳裏をよぎったのはAKB総選挙だった。

女性の身体で毎月一つずつ排出される卵子。この卵子こそが精子と出会う権利を得るのだが、その裏には約1000個の卵子が失われているという。
つまりセンターの座をかけた熾烈な総選挙が繰り広げられ、勝ち残った1人がその月の代表として「いってきます!」と卵巣から飛び出ているのだ。

体外受精ではまずこの仕組みにメスを入れ、毎月一つしか選ばれないセンターの枠を取っ払い、ポテンシャルのある子を全員センター級に成長させる。
つまり卵子たちにホルモン剤を投与してブーストさせ、前田あっちゃんとなる卵子を一つでも多く増やすのだ。

この個数はかなり個人差があると思うが、参考までに私は8個のセンター卵子が育った。
ほとんど残っていない左卵巣でも一つだけ育ってくれた。機能していないと思っていた卵巣の中で懸命に生きようとしている卵子がいたことに驚き、左下腹部が愛しくなってたまらなかった。

6. ホルモン剤の自己注射

卵子をセンター級に育てるには卵胞ホルモンを注射する。病院でやると通院回数が莫大に増えるため、会社員の私は自己注射の一択だった。

この注射が本当につらい。自分の腹部に注射する行為にも抵抗があったが、そんなもの霞むほどに薬液が痛いのだ。
針を刺す痛みではなく、薬液が体内に染み渡る時の痛みが辛い。切り傷に消毒液をかけた時のような痛み。
これが私は耐え難く、途中から夫に注射してもらった。打つ場所はお腹かお尻のどちらかなので、そこからは毎夜21時に夫に生尻を突き出す日々が始まった。
最先端の生殖行為である。

毎日同じ時間に打たねばならないので、この期間は夫婦喧嘩が激減した。夫が飲み会で21時過ぎて帰宅した時も「遅すぎるよっ!!」と怒りをぶつけるのだが、すぐにパンツを脱いでお尻を出さなければならない。どうやったって喧嘩にならなかった。

7. 採卵とタピオカストロー

センター卵子たちを育てた後は、病院で採卵してもらう。
ここが体外受精の大一番だと思う。
その方法、なんと、注射器の先端に針をつけて膣に入れ、内壁を突き破って卵巣内まで貫通させ、吸い出すのである!!!
この説明を聞いた時点で吐き気がした。そしてこの採卵手法を最初に引き受けた女性に尊敬と感謝の念を抱かずにはいられなかった。あなたのお陰で幾多の命が産まれたことか…。

採卵当日、気乗りしない身体を引きずるようにして病院に行くと驚いた。
待合室は野戦病院のごとくベッドが並べられ、そこから女性患者が次から次へと採卵室に入っていたのである。
その数10〜15ぐらいだったと思う。私はその仲間の多さと無情なまでのベルトコンベア方式に少し心が軽くなった。
そして、採卵は一回約30万円。
1日15人×30万円×30日=?!?!
と1か月の費用を計算しながら自分の番を待った。

私の通っていた病院は局所麻酔をしてくれたので、痛み自体はそこまでなかったが、内臓をぐりぐりと刺激される気持ち悪さで血の気が引いた。
吐き気を誤魔化すために近くのモニターを見ると、ストローでタピオカを吸い出すように卵子が採取されていた。

終了後は待合室のベッドまで運ばれ、喫茶店のようなドリンクメニューを渡された。
温かいココアをオーダーし、一口飲んで少し泣いた。

8. 「置いてきました」?

シャーレの上で卵子に精子を出会わせてからも熾烈な生存競争は続く。受精卵が細胞分裂を繰り返し、胚盤胞という移植可能な状態になるまで、私の場合は40%の生存率だった。
この間は培養師さんに全てを託すしかないので、合否結果を待つ受験生のような気持ちで病院からの電話を待った。

なんとか胚盤胞まで成長できた卵はいよいよ子宮に移植される。
採卵した日と同じ処置室に連れて行かれ、身体を強張らせて横たわる私に看護師さんが「じゃあ始めますね〜」と軽い調子で告げた。

「はい、終了で〜す」
その間、1分もなかったと思う。あまりの呆気なさに驚いて時が止まっている私に「終わりましたよ」と看護師さんが重ねて言った。

「もう終わったんですか?大丈夫ですか?」
ちゃんと処置されたのか不安な私は、起き上がってもう一度聞いた。

「はい、置いてきましたよ〜」
旅行のお土産を机の上に配り終えたOLのような言い方だった。

え?そんな感じで受精卵って子宮に戻されるの?
採卵の時とは打って変わった淡白さに、私は拍子抜けして処置室を出た。
因みにこの1分間のお値段、約15万円。

9. 初めての妊娠検査薬

移植から約2週間後に病院で結果を調べるのだが、ある朝起きるとダイニングテーブルに妊娠検査薬が置いてあった。
結果を待てない夫が買ってきていたのだ。
まだ早いから正しい結果は分からないのでは…と思ったのだが、試しにやってみることにした。
が、これが予想の何倍も大変だった。
ドラマでよく見るシーンのように易々と検査できる感じではなく、尿を掛ける場所・量・時間、全てが揃わなければ検査結果が出ないというデリケートなものだった。
普通に失敗したので、やっぱり病院できちんと検査してもらおうと思った。

翌朝。
ダイニングテーブルにまた妊娠検査薬が置いてあった。
昨日のとは違い、ちゃんとフライング検査用の妊娠検査薬だった。
こんなに躊躇なく検査薬を買ってこれる夫に半ば感心しつつ、謎のプレッシャーを感じながらもう一度試すことにした。
確実に検査するために紙コップに尿を溜め、きっちり時間を測って検査薬を浸けた。

10. 妊娠後も続く薬物投与

その後病院で正式に検査し、陽性反応の結果が出た。
これまでの努力が報われた瞬間。ホッとしたような、言葉に出来ない気持ちだったのだが、陽性反応を告げた医師の顔があまりにも能面だったのですぐに冷静さを取り戻した。

その後もホルモン剤の投与は続く。
貼るだけでホルモン投与できる魔法のシートと相変わらずの自己注射、そして坐薬ならぬ膣薬だった。

この膣薬は入れたが最後、体内に吸収されるまで動き回ってはいけないとのことで、通勤前に自宅で入れることが出来ず出社後に会社のトイレで投入しなければならなかったのが地味に嫌だった。

そしてこの2ヶ月間、毎日注射をしている私のお尻はもう限界にきていた。
注射負けしたお尻が痒くて仕方ない。見た目も痣だらけで変色していた。
看護師さんから「注射後はお尻をよく揉んでね」と言われ、その言いつけを守らないと翌日硬いしこりが出来て注射できなくなるので、毎日必死に揉んだ。

そうして何とか、着床に成功することができたのだった。

11. おわりに

妊娠は奇跡の累乗だ。
私は現代医学と貯金のお陰でその奇跡を起こす事が出来た。

幸運なことに私は一度目の移植で授かる事が出来たが、この工程を何回も繰り返している女性の気力と忍耐力は計り知れない。
不妊治療のストレスから解放された途端に自然妊娠したという話も多々ある。

それでも妊活に悩む人がいるならば、現代医学に頼ることを選択肢に入れてみて欲しい。

やれるだけやってみる、という意味で。

end.

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