インドの印象1第1話「犬」
これはインドに滞在した時に体験したことを思い出しながら書いたものです。インドへは旅行で行ったのではなく、音楽を学ぶためでした。従ってあちこちの遺跡とか明媚なものを堪能したというようなことは全くなく、地理的には非常に限られた場所、コルカタに居続けたということになり、勢い、人との関わりが多くなる、いや深くなります、色々な意味で。
タブラというインドの太鼓を当地の先生から学んだわけですが、いや、初めからそうするつもりだったのではなく、本当はシタールという弦が多くてビンビンと鳴る楽器を習う気でいました。なぜ気が変わったのか?弦楽器と太鼓ではだいぶん見た目も内容も違いますよ、となります。確かにそうです、しかしインド音楽に限らずその他の映画とか諸々のインドの文化が日本でかなりポピュラーなものとなっている現在からでは推しはかれない事情というものがありました。
当時はまだインドへ行くこと自体がほとんど冒険に近いものであり、音楽のこととなればなおさら紹介されている本も少なく、学校なんかがあるのかどうかなんてわからないし、何しろ演奏家だって数名しか知りませんでした。ラヴィ・シャンカール、アリ・アクバル・カーン、アララカぐらいでしょうか。どれもLPレコードを聴いて自分もやってみたいと思ったわけで、従ってそこに書かれてる程度の知識しか持っていません。だから「行って探せば誰か教える人いるだろう、もし見つからなきゃ道端でやってる人に習ったとしても、それはそれで面白い」というぐらいのイメージでした。
もちろん、すでに多くの日本の先人たち、留学生の方たちがいたりして、行った時驚いたりしたんですが、あまり準備よく物事を進める性格でも無いので、「なんとかなる」式で行ってみた、という感じでした。当然学ぶ効率は落ちてしまうことになります。次々と立ちはだかる問題で自分の諸能力が試されることとなり、ガックリきたり、必要なものを痛感させられたりしたりの連続。そういう中での体験を通した、自分なりのインドの印象を描いてみたいと思いました。
自分のサイト(http://doyatabla.namaste.jp)にすでにページ(印度の印象)を設けて、その印象を書き始めています。しかしnoteを使えばもっと多くの人の目に留まるかなということから、しばらくはそこから数話ずつを転載という形でこちらに紹介していこうと思います。書きたいことはまだあるので、新しいことが書けたら順番を無視して載せることになると思いますが、元々時間軸は無視して書いていますので支障は生まれないと思います。そのページの前書きは次のようになっています。
40数年前のインドでの体験、面白かったことや、感慨深かったことを通して、印度の人々の印象を書いてみようかと思います。ルポとか記事ではなく、あくまで個人の感想なので恣意的だったり、また読む上での潤滑油としての筆が走っての踏み外しもあるかも知れません。一時、こういった類いの旅行紀や滞在の体験記がたくさん出版されたため、余りめずらしいものではないので、読者を得られるかどうか分りませんが、そこはかとないおかしみを求めて、書けていけたらと思います。思い出したものから、少しずつ書いて行く予定です。インドも大きく変わってきているようです。そういう意味では40年前のインドを描くというのも、悪いものではないでしょう。順序は全く時間軸に沿ったものではありません。
第1話「犬」
初めてインドに行った時、私は長くチベット人が経営するドミトリーに宿泊しました。ティベッタンボーディングハウスといいました。日本では普通チベットといいますが、そのチベット人が「ティベット」と言うわけですから、仕方ありません、ここではティベットと表記することにします。発音してみると分りますが、その方が何となく可愛らしく聴こえ、愛着が持てます。
そこで経営する人達だけなのか、あるいは皆そうなのか知りませんが、大変親日的な人達でした。私が初めての日本人という訳ではもちろんなく、詳しくは知りませんが、多くの日本の方々がそこに宿泊され、交友をもっておられたようです。立派な先人達の遺産を知らずのうちに貰い受け、その恩恵に浴していた、ということでしょう。初めてのインドで、全く何も分らなかった初めの頃、大変お世話になった方に、そこを紹介してもらいました。音楽を習う、という目的で行った訳ですから、余り雑事にかかわりたくもなく、結局最後までそこで過ごすことになりました。まあ、それだけ居心地も良かったと言えるでしょう。
長くいると、えらく信用されてしまいました。あれは、半年くらい経った寒い冬の頃、コルカタですから雪が降る訳ではないのですが、2月だったか、結構寒くなるものです。その当時、経営しておられたのはお母さんとその息子さんペンバ氏の二人だったんですが、娘のいる所へ会いに行くというので、十日間くらいだったか宿を空けるということになりました。えっ?その間、宿泊客はどうするの?とまあ当然そう思いますよね。するとその間のことは「あなたにお願いする」というのです。でまた、えっ?と。
あの僕「骸骨人」と言いたい、もちろんすぐ「ホワイ?」と訊きました。だって使用人は居るし、他に誰かいるでしょう、と思ったからです。ところが日本の常識は通用しないようでした。結局すぐに引き受けました。それだけ厚い信用を受けているから、というより、まあ、他に頼る人がなかったのでしょう。そこは日本人、「よし、ならば引き受けよう」と固い決意のもと、という程のこともない、何しろ次々と新しい客が押し寄せるというような所ではなく、私のような長期逗留者とか、その辺はまた別の所で書けたらと思いますが、いろいろとは言っても縁故や人伝で来るような人しかいなかったので、お客に対する心配はいりませんでした。
さて話変わって、インドには路上たくさんの犬がいます。中型犬ばかりとは言っても、やはり恐ろしくはあります。が、大抵明るいうちはその辺で寝そべっていて何もしません、ただ寝ているだけ。しかし、夜になると動き出して、本性を出して、敵対する犬同士がいがみ合ったりするので、途端に人間は近寄らないようにします。インドの人は、その辺慣れたもので、扱い方をよく知っています。各国の事情というものがあるので、今外国の価値観で糾弾するというようなことはしたくありません。ただ、事実を書いて行こうと思います。
「犬も歩けば棒に当たる」という諺があります。意味は何でも「じっとしていてはダメだ、動けば何かきっかけのようなものにぶち当たって、運命が開かれるかもしれない」というような意味があるそう。また、これは新しい解釈で、本来は「ウロウロするんじゃない、ろくなことないぞ」というのが正しいことらしい。インドの犬は正にこの本来の意味で生きているのかも知れません。人が犬をコントロールする方法は、そう、この棒なんです。太いんです。その太いので思い切りぶん殴ります。背骨の辺りを。折れたらどうすんの、とか余り考えてないように見受けられます。「キャイ~ン」と啼いてすごすご退散。人間の怖さ強さを思い知らせればいいのです。それが現実です。ただその分、犬狩りとかはありません。同じ所で生きていても、違う人生を送っているのです。彼らは彼らなりに、好きなように生きて、インドという地を人間と共有しているのです。
前置きとしての予備知識は伝わったかと思います。さて、そのボーディングハウスに、1匹の犬が何時の頃からか、いつくようになりました。ごく普通の色柄、黒と茶の斑、腹面が白っぽくちょっと明るい、というような、若いからか少し細身でしたが、インドでは一般的な犬でした。ただ寝ています。別に飼われていたのではなく、誰が構うという訳でもありません。多分、本来はその辺の路上で生まれ育ち、ウロウロするうちにそこに到達したのでしょう。確かそこは5階にありました。まあ、全て偶然がもたらしたもので、それを誰も気にもとめません。ドミトリーというよりはボーディングハウス、つまり賄いがついてるので、希望の宿泊者には3食作ります。私もそれを食べていました。ティベット人、つまりヒンドゥー教徒ではないので、いつも牛肉のカレー、その方が安いと聞きましたが、「日本でこんなに牛肉喰ったことない」というくらい、毎日食べていました。その残りでも食べていたのでしょうか。
昼の間は、スンダリという名の、若い女の子が綺麗に拭き掃除した、冷たいコンクリに腹を載せて、その犬は安心し切って寝ています。でも、夜9時だったか10時だったかになると閉門の時が来ます。するとママさんがかんぬきに使う太い棒を手に持ち、どすんとコンクリの床を打つや、うなだれた犬はそこからとぼとぼ立ち去って行きます。多分次の朝まで、階段で待っているか、路上へ降りて、元気に跳ね回っていたかでしょう。しかし、すぐに動き出さなかった時などは容赦はありません、すぐにその棒で突っつかれます。時にはその役目を隣に住む坊やが買って出たりすると、途端に力が入るというか加減ができません。それが、ちょっと気になっていました。
そんな所にある日、前段でお話ししたように棚から何かが落ちてきたかのように幸運がめぐってきて、突然の留守居役の依頼により「一国一城の主」になってしまいました。期間限定でも構いません。こんな機会は又とあるものじゃありません。---とは言っても「この隙に」と特段悪いことや私利私欲にまみれたことをやり始めた訳ではありません。当然賄いのためのスンダリ母娘がいたり、他の宿泊者達がいますし、引き受けた以上責任というものがあり、信頼を受けたからには全く落ち度のないように事が運んで行くのを、しっかり見守っていくしかありません。もとよりそのつもりです。お殿様は気分だけで、本当は臨時管理人です。何しろそのフロアーの鍵まで預かったのですから。
入り口の扉の朝と夜の開閉は当然自分担当ということになり、初めてその重いカンヌキ棒を手にしました。そして最初の夜がやってきて、閉門の時「さあ、出るんだ」とばかりその犬をドスンと、‥‥追い出さなかったのです。これだけは「我意」というものが、どうしても働いてしまいました。おかげでその十日間というもの、ずっと犬は部屋の中にいることができました。きっと向こうも、
「なぜだろう?」
と思ったことでしょう。でも食べ物をやった訳ではありません。ただ夜、追い出さなかったのです。期間限定のお殿様になってやったことはただそれだけです。
2、3日たったある夜、寝ていると、妙に掛けていた毛布が重く感じます。
「ん?」
と思ってそっと目を開けます......。
インドにはこれまた野放しの、日本人から見れば「巨大」な30cmくらいのヤモリがどの部屋にもいます。彼らにも縄張りがあるようで、時々追っかけっこをしたりしますが、サルも木からで、壁を天井を掴み損ねて、寝ている上に落ちてきたりします。その重みにしてはちと重い、といぶかしみながら。
な、何と中に入れた犬がベッドの上、私の横で寄り添うように寝ているのです。「それが?」と思われるむきもあるかも知れませんが、余りインドでは見かけない構図です。
第一、その当時「犬を飼う」なんていう概念は、余りインドになかったことだと思います。日本で言えばカラスのような存在でしょうか。カアカアうるさいし、時々ゴミをあさって散らかす、困ったもんだが、さりとてまあ、向こうもこの自然界で生きてる訳だから、皆殺しという権利も人間にはなし、といったような。そこら中にいる困ったもの、といったカラスと同じような存在。それを敢えて飼うというような、そこまでの余裕は当時のインド人には、おそらくなかったんじゃないかと思います。
ところがこの懐きようです。このことって、いくらインドの現実の中でも、犬と人間の関係に完全な「断絶」のようなものができていた訳ではない、ということの「あかし」のようなものではないでしょうか。おそらくその犬も、この特例を許してくれているのは誰か?という問いのあと、
「ハハーン、あの日本人に違いない」
と気付いたに違いありません。そして、「恩返し」ではありませんが、いつの間にかちょこんとベッドに乗って親愛を示そうと。こんなとこ綺麗好きな宿主のママさんに見つかったら大変です。何しろ私だけ、特別に丈夫で上等なベッドで、しかも信仰厚いラマ教の結構立派な仏像の安置されている部屋で寝ていたのですから。でも不在です---
「あんしん、あんしん」
とまた寝入りました。寒い頃だったのでちょうど良かったのです。犬もそんな柔らかで暖かい所で寝たのは、多分生まれて初めてのことだったでしょう。
やがて約束通り、家主のお二人は帰って来たので鍵を返し、その間、お客から徴収し保管していた宿泊料を全額渡し、感謝され、私の役目は終わりました。また従前の一宿泊客に戻ることとなり、当然その夜から犬は追い出されることになりました。しかし、どうもその後その犬は姿を見せなくなり、何処かへ行ってしまったようでした。せっかくいい住処を見つけたのにまた追い出された、という失望感から、
「もういい!」
と、飛び出して行ったのでしょうか。よく分かりませんが、余り気にも留めていませんでした。
ひと月ぐらい経った頃、もうかなり暑くなっていました。段々暖かくなる、というような感覚ではありません。春になるといきなり暑くなります。まぶしい、ホコリっぽい道を、ボーディングハウスから少し行った所にある郵便局に向かって歩いていました。その時、いきなり犬が道の脇のある家の階段の下から、慌ててもぞもぞと這い出てきます。そして尻尾を振って体を寄せて来たではないですか。よく見るとあの犬でした。
「なんだ、こんな所にいたのか!」
と、嬉しさの余り声をあげてしまいました。
それにしてもよく私だと気付いたものだ。ずっと通るのを待っていたのだろうか?そこを通るなんて知る由もないことなのに。
コルカタには古い建物がたくさんあります。イギリス統治時代の名残のようです。中にはずいぶん立派な邸宅のようなのもあちこちあったりします。そこまででなくてもちょっと大きいものになると、入り口が少し高く、上がるためのコンクリ製の階段がしつらえられています。するとその下、または裏というものができます。普通日本だったらこういうものができないよう左右を蓋をする、または全部コンクリで固めてしまうんでしょうが、インドはそんなもったいないことはしません。当然そこには狭いながら空間が生まれ、犬達にとって格好の隠れ家となります。すぐにその犬は自分が這い出てきたそこへ、私を案内するそぶりを見せます。「なんだい」とついて行って、体をかがめ覗いてみました。
すると、その狭い隙間には生まれて間もない子犬が5、6匹寄り添って母犬の帰りを待って「クンクン」と啼いています。その犬が雌犬だということは分っていましたが、あのとき妊娠しているとは思ってもいませんでした。もともとほっそりした若い犬だったので、そんな風に見えなかったのかも知れません。
「うわ、子供が生まれたんかあ!」
何だか異国で家族が生まれたような、幸せな気分にもなりました。その現場に立ち会えたような。あっ、でも言っておきます。だからと言って飼おうとか思った訳ではありません。そんなことできません。こっちはただの異国の者、過客にすぎません。覗いたのはその1回だけで、その後またその犬に遭うことはなかったです。でもその時、母犬は大変満足そう、仕合せそうでした。その記憶は今でも鮮明に残っています。若い犬は棒で打たれながらも、諺のもう一つの意味、「歩き回って幸運を探す」というのを実行していた訳で、そしてそれからもその「生命の基本方針」を続けていったことでしょう。きっとその子孫達は、繁栄かどうかは分りませんが、今もコルカタでその生命の連鎖、サイクルを繋げていると思います。犬達よ、永遠なれ。
(第1話「犬」終わり)2020.4.14