NPO 資源日本

資源技術を次の世代に! そして世界に!

NPO 資源日本

資源技術を次の世代に! そして世界に!

最近の記事

ペルーで鉱山開発

喜種壽人 ペルー入国 1983年6月三井金属鉱業㈱神岡鉱山勤務からペルーに転勤になった。 着陸態勢の機内アナウンスがあったが、周りは一面の雲の中(リマ沖合いは、寒流と暖流がぶつかる所で霧が発生する)だった。急に建物の横が見えて来て、深夜12時にリマ国際空港(ホルヘ・チャーベス空港)に降り立った。日本人は、我々三井金属4名(内1人は支社長の奥さん)と家族4人(夫婦、小学校の女の子2名)の赴任者だった。タラップに出たとたんに、強烈な臭いがしてきた。女の子のうち年少が、タラップに

    • ガダルカナル島、そしてニューブリテン島へ    

      喜種 壽人探鉱技師としてガダルカナル島に 1973年3月秋田大学鉱山学部採鉱学科卒業、採鉱屋の仕事が無く地化学探査の地質屋になった。4月からオーストラリアの探鉱会社に就職、鉱山開発をすると意気込んでいた。探鉱技師としてガダルカナル島に赴任した。ガダルカナル島は社会人生活出発の地であった。 シドニー直行便の最初に登乗、生涯初の飛行機、搭乗記念品を緊張で機内に忘れる 4月1日夜に羽田空港を飛び立った。航空会社はカンタス航空。何かセレモニーが行われているようだった。語学がついて

      • おいら三池の炭鉱マン-1

                                  佐々木一雄 人生を振り返り、「誇りに思えることは?」と問われたら、「三池の炭鉱マンであった。」と答えます。気持ちは、今でも三池の炭鉱マンです。三池炭鉱(三井石炭鉱業株式会社三池鉱業所)は、1873年に官営化、1889年に三井に払い下げられ團琢磨を事務長とする三池炭礦社が設立しました。團琢磨が心血を注いだ三池炭鉱は 、1997年に閉山しました。静かに、つつがなく閉山しました。三池炭鉱で働いたこと、その閉山に、少しなりとも関わ

        • 南米実習記

          柳原 國臣                     2023年11月13日 1962年、秋田大学鉱山学部に入学、海外移住研究会(後の海外鉱業研究会)に入会した。日本は鉱物資源に乏しく、海外に大きく依存しなければならない状況であった。鉱業技術を習得し、海外に雄飛し、探査、開発、利用の面で貢献することが使命であると自覚し、海外移住はそれを実現するための大きな目標と認識した。 海外移住研究会は、1962年に日本学生海外移住連盟(学移連)に加盟した。学移連は1955年、海外移住・