【ホラーミステリー】僕らと祭壇の夏(3/3)

 あの日、恭二(中身は遼一)はこう言った。
「遼一、まあ中身は恭二なんだけど。とにかくあいつが死んだら、母はきっと俺とあいつを入れ替えようとする。だから、もしそうなったら元に戻してほしい」
 そして、細かい手順を紙にまとめつつ教えてくれた。やや回りくどい方法だったし、そもそも伯母さんがまた息子の入れ替えを企むかも怪しかった。でも、僕は昨晩、今日とそれに沿って行動してきた。結局、伯母さんは祭壇を取りに来たし、入れ替えも行われた。
 通夜で会った恭二が「家族同士で集まった日以来会っていない」という僕の言葉を否定しなかったのが何よりの証拠だ。


 次の日は告別式とお葬式だった。
 斎場に着くなり、僕は恭二を捜した。彼はすぐに見つかった。準備やら挨拶やらに忙しない大人たちをよけて隅に寄ると、こっちに気づいたらしい恭二の方から近付いてきた。

「久しぶりだね、元君」
 小声でも十分に届く距離まで来ると、彼は声を潜めて言った。
「ちゃんと戻れたんだ!」
 僕も抑えた声で返す。
「おかげさまで、この通り」
「死ぬのってどんな感じだった?」
「直接死の瞬間を体験したわけじゃないから参考にならないかもしれないけど、深いわりに疲れの取れない眠りみたいな感じだった」
「おー、貴重な証言」
 計画がうまくいってハイな僕らは、動き回る大人たちを眺めつつ喋った。

「そういえばさ、なんであんなに回りくどい方法をとったの? 二回入れ替わって元に戻るなんて。一回も入れ替わらずに済むよう、祭壇を隠し通せばよかったんじゃないの?」
「うちの母あたり、執念で別の祭壇とかそれに似たやつを見つけてきそうだからね」
「えー、まさか」
「ああいう祭壇みたいなのって、たぶんこの世にいくつもあるんだと思う。深く関わりすぎたせいで珍しさを感じなくなってるだけかもしれないけど。で、その場合、手元の祭壇はどうにかできても、未知のアイテムはどうしようもない。死人との入れ替わりはいつでもできるから、一生気が休まらない。だからいっそ入れ替わり成功と見せかけようと」

「なるほどね。僕の親はどうしてはじめを生き返らせて、って頼まなかったんだろう」
 この機を逃したらもう祭壇の話をする機会はない。そんな空気を感じた。
「推測だけど、元君の死体が一目で死んでいるとわかるような状態だったからじゃないかな。黒焦げとか。そんなのが生き返ったとなれば周囲が放っておかない」
「本物の彰吾は僕が殺したことになるのかな」
「前にも言ったけど、ならないよ」
「今回、僕がやったことは殺人?」
「違うでしょ。もともと死ぬはずだった人間が死んだだけ。むしろ身代わりに殺されかけた俺を助けてくれたんだから、もっと自信持っていいよ」

「もしかして、兄弟が死ぬように仕向けた?」
 わざと明るい声で冗談めかして尋ねた。口に出してみると、この人ならやりかねない気がして背筋がつっと冷えた。
「熱中症なんて罹らせようと思ってできるものじゃないよ。疑ってるの? 傷つくなあ」
「だよね。ごめん」
 笑い飛ばしてもらえて少し安堵する。

「まあ、疑われるのは仕方ないか。親からもさんざん尋問されたし。最後には納得してもらえたけど。取り調べでも何でもしてくれて構わないよ」
 僕たちは適当な椅子に腰かけた。僕はスマホのメモを起動させる。

「じゃあ、あの晩はどこにいたの? 家?」
「K駅近くの店で一人カラオケ。親が寝静まった後に抜け出して、二時間くらい歌いまくった」
「証明できる人は?」
「家を出る時はうまくいったんだけど、戻ってきた時に父親を起こした。だから帰宅時間は証明できるかな」
「確か、身内の証言って使えないんだよね」
「法廷じゃないんだから。あ、そうだ。カラオケ店のレシートがある。確か入店と退店の時間が記録されていたはず。取ってくる」

 恭二は財布をから三枚のレシートを取り出した。一枚を僕に差し出して言う。
「これがカラオケ店のレシート。十一時三十六分入店、一時五十八分退店。遼一の電力アプリの記録ではエアコンのタイマーが設定されたのは十二時半過ぎ。はい、アリバイ成立」
「アプリのデータは合ってるの?」
「不具合報告はないね。スマホだから時間をずらすことも無理。死亡時刻とも合ってるし、信頼していいんじゃないかな」

「カラオケボックスを抜け出して遼一の部屋へ行った、ってのはどう? あ、ほら、そのカラオケから遼一のアパートまでの所要時間は約一時間だって」
 僕は道案内アプリの検索結果を恭二に突き付けた。恭二は鼻で笑った。
「確かに行き帰りはできそうだね。でもこれじゃ、ほとんどとんぼ返りだよ。行ったところで大したことはできない。第一、何をするっていうのさ」
「エアコンに細工するとか壊すとか。うまくやれば一発で済む」
「遼一は一応変死だったから警察が来て、事件捜査ほどではないけど部屋の中を一通り調べていった。エアコンの故障は真っ先に疑われた。でも問題は一つも見つからなかった」

「じゃあ、カラオケ店に入る前か出た後は」
 恭二は待ってましたとばかりに、残る二枚のレシートを広げた。恭二の家の近くのコンビニのレシートで、一枚目は十一時三十七分、二枚目は二時十五分に発行されている。
「カラオケの行き帰りに買い物したんだ。ちなみに家からコンビニへは数分、カラオケ店は家からもコンビニからも自転車で十五分くらい」

「コンビニの前や後に遼一のところへ……」
「だいぶ苦しくなってきたでしょ。それだと遼一のアパートに着くのは十時半前か三時半過ぎ。飲酒中か死亡中だ」
「ほかの人に買い物を任せてレシートだけ貰えばいい」
「そうだとしてもアパート到着時刻は十一時前か二時半過ぎ。しかもとんぼ返り。やっぱり無理があるよ」

 僕はスマホのメモを前に唸った。遼一のもとへ行くこと自体は十分にできるが、手数をかけて仕掛けを組む余裕はない。エアコンも細工の形跡がない。それにこの件は遼一が泥酔しなければ起きなかった。飲み相手もグルなのか? あるいはそいつの単独犯?

「だけどさあ、一晩に二回もコンビニってやっぱり怪しいよ。わざとらしいというか。一回目はパンで二回目はお菓子。こんな時間にわざわざ買う必要ないじゃん」
「一回目は夜食。カラオケのフードメニューは高いからね。本当はいけないけど持ち込んじゃった。カメラは塞いだからバレてないはず。二回目はメニューに載ってたポテチとポッキーが急に食べたくなって」
「その場で注文すりゃいいのに」
「高いんだってば。あ、夜食のごみとお菓子は親が確認済みだから」
「身内の証言は……」
「親に一番疑われてたんだけど」
 僕は頭を抱えて言葉に詰まったが、場に沈黙が降りることはなかった。入口の方で何か言い合う声がしたかと思うと、甲高い叫びが僕らの下へ飛び込んできた。

 それは喪服の女だった。背はすらっと高く、ヒールと相まってどこか不安定な印象を与えた。女は遼一の遺影の前で泣き崩れた。噴出する悲嘆の塊が見えるような倒れ方だった。
「遼ちゃん、ねえ遼ちゃん。ごめんなさい。あの日、遼ちゃんのお部屋に行けばよかった。そうすれば介抱できたのに。ううん、その前に潰れるほど飲ませなかったのに。ちょっとしたけんかを引き摺って一週間も放っておくなんて、恋人失格よね」

 斎場はすっかり劇場に変わっていた。親戚連中は気圧されたのか、客席の距離感で固まっている。隣では恭二がスマホを構えて、乱入者の奇行を撮影していた。
「あれ誰?」
「噂の川上真理。遼一のトンデモ激やばストーカー彼女。声入っちゃうから黙って」

 川上真理は叫び続ける
「許して。何でもするから。あなたが一緒に飲んでた相手、必ず見つけるからね。悪い奴だったら罰を与えなきゃ。敵討ちよ。素敵な人だったら遼ちゃんのところへ連れて行ってあげる。一人じゃ寂しいでしょ。絶対やり遂げる。誓いの印、見てて」
 川上真理は左袖をまくると、ポケットからカッターナイフを取り出して掲げた。刃のきらめきが大人たちの硬直を解いた。カッターが左手首に辿り着く前に川上真理は取り押さえられ、追い出された。また来るわ、何度でも来るわという台詞の残響が、本人の消えた後も尾を引いていた。

「昨日も来たんだよ。マジありえないよね」
 恭二が端末から顔を上げずにコメントする。横から覗き込むとトーク画面が目に入った。尾張、と上に表示されている。以前話に出ていた変わり者のカラオケ店員だろう。

〈お前からの憶えのない着信履歴がいくつもあるんだけど、電話くれてた?〉
〈それより今日も川上真理が来た。超物騒なこと喚いてた。動画送る。絶対見て〉

 しばらくして、怖すぎ吐きそう二度と送ってくるな、と青ざめた顔文字付きの返信がポン、と現れた。恭二は満足げにスマホを仕舞い、一つ大きく伸びをした。両腕を上へ持ち上げる、一般的な伸びだった。
「肩、治ったの……?」
 僕は驚いて訊いた。
「これもいけるんじゃないかと祭壇に祈ってみたら治った」
「最近?」
「何年も前。最初からこうしてれば良かったのに。馬鹿だよね。母もあいつも」
 あいつ、で恭二は遼一の遺影に視線を投げた。

「そういえば、恭二兄さんは何で腕が上がらなくなったんだっけ?」
「階段から落ちて。それがどうかした?」
「別に」

 遼一が恭二を階段から突き落としたのではないか。そんな考えが一瞬、頭をよぎった。すぐに打ち消そうとしたが、そんな僕に構うことなく思考は進んでいく。
 入れ替わりは当時の恭二なりの復讐だったのではないか。一人暮らしの遼一(中身は恭二)が実家に長居しなかったのは、兄弟の報復を恐れていたからではないか。

 いや、それは考えすぎだ。僕は明るめの声を出した。
「僕ばかり質問してるけど、恭二兄さんは何か僕に訊きたいこととかない?」
「思いつかないな」
「そっか」
「なんかごめんね。でも、これから先のことで頭がいっぱいなんだ。今まで不本意な入れ替わりで他人の人生歩かされてきたけど、それが今、ようやく自分の人生に成り代わったんだ。見かけは変わらないから続きとも言えるけど、状況も気分も、前とは全然違う。続きから新しく始まるんだ、俺の人生」
 嬉しそうに語る恭二に、僕は笑顔を向けた。ほどなく彼がみんなの方へ歩き出すと、遅れて僕もついていった。

*  *

 それから十二年。
 祭壇や「はじめ」の話が僕の家族の中で出ることは、ついぞなかった。成人や就職など人生の節目で打ち明けてくれやしないかという、淡い期待は外れた。少し残念だったけれど敢えてこちらから問うことはしなかった。

 恭二とはあの一件以降、しばらく交流があった。けれどもそれは年の離れた従兄弟同士の当たり障りない付き合いといった程度。秘密を共有する者は仲良くなれると言われるが、知り過ぎてしまったが故に口にできないことも多かった。暗黙の了解や斟酌のフィルターを通すと、大事なことはほとんどせき止められてしまう。
 ライフステージが上がると生活も変わり、顔を合わせることもなくなった。つくづく、遼一の葬儀の時に思い付く限りの疑問をぶつけておいてよかったと思う。

 祭壇はまだ手元にあり、思いのほか役に立っている。
 祭壇を譲ってもらったばかりの頃、スマホを水没させてしまったことがあった。乾かしたりネットで見つけたライフハックをいくつも試したりしたが、溺死した機器が息を吹き返すことはなかった。焦って悩んで神頼み、しようとしたところで祭壇のことを思い出した。断絶を繋ぐ。恭二の肩も治せた。ならばこれも?
 祭具が入った勉強机の前で手を合わせた。十秒としないうちに、メッセージの受信音が立て続けに鳴った。震える指で持ち上げたスマホは完全復活を遂げ、溜まっていたパケットを迎え入れていた。

 高校生の頃、遠くの地方で大きめの地震があった。ライフラインの切断や津波、住宅倒壊や火事のニュースが何日も流れた。僕の家の方は何ともなかったが、被災地域に友人が一人住んでいた。
 僕は彼の安否が心配で、何度も電話をかけた。当然あるいは予想通り、コール音とお繋ぎできませんのアナウンスが繰り返された。基地局の被災や回線の混雑は知っていたけれど、万が一のことを思うともどかしかった。

 どうにかして、電話を繋ぎたい。繋がってほしい。「繋がる」? 僕は通話履歴を開いて、祭壇の前に跪いた。
 ――かつて切れた電話を、もう一度繋いでください。
 ごそごそ、と何かの擦れるような音が耳の端に蠢いた。集中すると話し声が細く響いてきた。生活音っぽいものの出どころは、僕のスマホだった。通話中の文字と経過時間、友人の名前が画面に表示されている。
 僕は呆然とスマホを耳にあてた。状況は判然としないが、友人の声が遠く聞こえた。無事だったのだ。思わず呼び掛けてみたが、友人は気づかないようだった。それからしばらく、毎日電話を繋いで様子を窺った。幸い大した被害はないようで、僕はホッとした。

 忘れた頃にその友人から電話がかかってきた。開口一番、友人は言った。
「毎日電話くれてたんだな。履歴がいっぱい残っててびっくりしたよ」
「今頃? そっか。いろいろ大変でスマホチェックする余裕なんかないか」
「緊急時こそスマホの出番だろ。こっちは運良く大丈夫だったし。だけど変なんだよ。普通、不在着信があればバナー通知が出るはずなのに、一回もなかった。別の留守電聞こうとした時に着歴開いて初めて気づいた。しかも、どれも不在着信になってなかったんだよ。全部応答したことになってて、通話時間も表示されてた。どうなってるんだろう」
 祭壇の力は、問答無用で通話状態を作り出してしまうらしい。確かに呼び出し音を鳴らしているだけでは、電話が繋がったとは言えない。僕は一人納得した。とはいえ洗いざらい説明するわけにはいかない。
「さあ。何度も電話したけど、おかしなことはなかったよ」
 友人は盛んに不思議がっていたが、最終的には何かの不具合だろうと結論していた。祭壇の汎用性を改めて感じた一件だった。

 他にも母のお気に入りのグラスを誤って割ってしまった時や、営業職の父の上客が離れていった時なんかに祭壇は活躍してくれた。でも、もっと頭の良い人ならもっとうまく使って人生を切り開いていけるんだろう。僕の両親や伯母さん、そして恭二のように。

 やはりあの熱帯夜に、恭二は遼一を殺したのだと思う。疑惑が確信に変わったのは、僕の大学入学を控えた春休み。その日、僕は親について恭二たちの家へ行った。
 恭二は既に就職して家を出ていたが、休みを取って帰省していた。親たちが話し込む間、僕は恭二の部屋でキャンパスライフとはどんなものか、その醍醐味と楽しみ方を聞いた。

 僕はとりわけサークル活動に興味があった。恭二は学生時代のサークル旅行の写真やその時のパンフレットなどを見せてくれた。思い出の品々は、箱に適当に放り込まれていた。
 許可をもらって漁っていると、箱根の関所の入場券と八つ橋の説明書きの間から、レシートが三枚出てきた。カラオケ店のが一枚、コンビニのが二枚。日付を確認する。間違いない。遼一が死んだ夜のものだ。

「これ……」
 僕のつまみ上げたレシートを捉えた恭二の動きがほんの一瞬、凍り付いた。
「まだ取ってあったの? なんで?」
「一応アリバイとして。もう疑われるのはまっぴらだから、お守りみたいな感じ」
 見開かれていたはずの恭二の目は、もう笑うように細められていた。

 伯母さんの頭の中では、あなたは入れ替わったことになっているのだから、当夜と中身が「別人」のはずのあなたが疑われることはないんじゃないか。それに遼一の死が明らかになった後、伯母さんたちからさんざん尋問を受けて容疑は晴れたはず。
 その時の僕は、もう無知で考えの浅い中学生ではなかった。齢も頭も、当時の恭二と変わらないほどに成長していた。出来事や情報を丁寧に辿り直すと、従兄の策略の糸がゆっくりと浮かび上がってきた。

 家に帰って一人の部屋で、僕は声なく語った。
 あの晩の恭二兄さんのアリバイは、コンビニとカラオケが支えている。カラオケに行く前は早過ぎ、行った後は遅過ぎ。カラオケボックスから抜け出したとしても、退店時刻までに店へ戻ろうとしたら遼一兄さんの部屋に三十分といられない。これでは酔わせて殺すなど不可能。
 中学二年生の僕はこれで納得していた。恭二兄さんのことを近い存在と慕いながら、やっぱりどこか大人として見ていたんだね。その時恭二兄さんは十九歳。未成年だってことに全く思い至らなかった。

 ――未成年だと、何がいけないの?
 いつの間にか僕の隣に腰かけていた想像の恭二が問いかけてくる。
 未成年はお酒を飲めない。隠れて飲酒すること自体は可能だけど、酔って帰ったら伯母さんたちが気付くはず。
 それに遼一兄さんと恭二兄さんとの間には大きな確執がある。遼一兄さんは飲むと潰れるタイプ。因縁の相手と酒を酌み交わすなんて、寝首を掻いてくださいと言わんばかりじゃないか。
 ――つまり?
 遼一兄さんを酔わせたの死なせたのは別人。そう考えると恭二兄さんのアリバイは崩れるんだ。三十分弱。宅飲みには短すぎるけど、死へ導く仕掛けを施すには充分。部屋への出入りには伯母さんのスペアキーを使えばいい。

 ――どんな仕掛けをしたって言うのさ。
 エアコンを壊したんだと思う。一口にエアコンの故障と言っても、いろんなケースがある。電源が入らない、タイマーがかからない、モード切替ができない、スイングしない、そして冷房なのに温風しか出ない。この場合は温度感知センサーの不具合が多い。
 センサーは機種によって内部にあったり吹き出し口の近くについていたりする。遼一兄さんの部屋のエアコンが後者なら、その部分を棒状のもので突き壊すだけで事足りる。センサーがダメになっても送風やタイマーにはたいてい影響しない。そこで恭二兄さんは三時間タイマーをかけて、遼一兄さんの部屋を後にした。
 エアコンからは温風しか出ず、部屋の温度は外と変わらないほどに上昇する。お酒は脱水を招く。そして遼一兄さんは暑熱によって命を奪われる。一度窓を開け放って冷気を逃がせば、もっと素早く室温を上げられる。

 ――わざわざ壊さなくても、エアコンのセンサーに保冷剤か何かを当てても同じことができるんじゃない?
 あの夏、僕ら三人でゲームをした日、学校の友達がヒーターにヒヤロンを当てて熱風を出させ続けた話をした。その応用だね。確かにそれでも目的を果たせるけど、エアコンに細工の形跡はなかった。
 故障した様子もなかったそうだけど、そっちは簡単に解決できる。あの祭壇を使えば。
 帰宅した恭二兄さんは祭壇に祈って遼一の部屋のエアコンを直してから、祭具一式を僕のもとへ届けに来た。そう考えると筋が通る。

 ――殺しの方は俺がやったとして、じゃあ遼一と酒を飲んでいたのは誰?
 遼一兄さんの交友関係なんてよく知らないけど、一人怪しい人がいる。尾張さん。二人の古い知り合いで、死ぬ前の遼一兄さんがちょくちょく飲んだり遊んだりしていた相手。
 まず恭二兄さんは祭壇を使って、疎遠だった尾張さんとの縁を結び直した。次に尾張さんのSNSをこまめにチェックして、二人が飲むタイミングを狙った。そして尾張さんが遼一兄さんの鍵で施錠して、郵便受けに鍵を入れて去った後、エアコンを壊しに行った。

 ――根拠のない想像じゃないの?
 根拠と呼べるほどじゃないけど、いくつか考えのもとはある。
 一つ目は葬儀の日に覗いた恭二兄さんと尾張さんとのトーク画面。そこで尾張さんは、恭二兄さんからのよくわからない着信履歴があると言っていた。僕が被災した友人にやったように、尾張さんとの電話を祭壇の力で繋いで、盗聴器の代わりにしてたんでしょ?
 SNSの投稿で二人が宅飲みすることを知り、尾張さんのスマホが拾う周囲の音で様子を探った。それからうまくタイミングを見計らって、遼一兄さんの部屋に向かった。

 ――それだけじゃ弱い。
 二つ目。恭二兄さんが尾張さんに川上真理の動画を送っていたことと、それに対する尾張さんの反応。これは飲みの相手が尾張さんだった場合、なぜ名乗り出なかったかにも繋がる。
 僕が遼一の最後の飲み相手だったら、遺族の反応が怖くてきっと名乗り出られない。でも人によっては自分から進んで謝罪に出向くこともありうる。

 恭二兄さんとしては、尾張さんに出てこられたら困るはず。不審な着信履歴が見つかれば、電話のトリックがばれかねない。あるいは二人の間でもっと直接的なやり取りが交わされていたかもしれない。例えば〈今何してる?〉〈遼一と飲んでる〉のように。
 遼一兄さんのスマホにそういうメッセージは残っていなかったけど、それは恭二兄さんが消したとすれば説明がつく。

 尾張さんを何とかして抑えたかった恭二兄さんは、遠回しに尾張さんを脅迫した。川上真理の動画を送ることによって。川上真理の暴走を生で目撃した僕や親戚連中よりも、尾張さんの反応は鋭かった。尾張さんは監視カメラを覗くのが趣味の変わり者だったんでしょ。吐きそう、二度と送ってくるな、なんて肝っ玉の小さいコメントは似合わない。
 尾張さんが川上真理を過剰に恐れたのは、彼女の標的が他でもない自分自身だったから。川上真理に知られて襲撃されるのを避けるために姿を隠し、葬儀にも来なかった。恭二兄さんの狙い通りに。

 ――俺らが共犯だった可能性は?
 もし協力関係にあれば、示し合わせて電話を通話状態に保っておいたり、メッセージを送り合ったりして状況を伝え合うのが自然だ。その場合、恭二兄さんからの「よくわからない着信履歴」は残らない。
 それに、作業のウエイトが恭二兄さんに偏り過ぎている。こんなに役割やリスクに差があるなら、恭二兄さんに尾張さんを共犯者とするメリットがない。

 ――随分回りくどいやり方だよね。
 自分に嫌疑がかからないようにしたかったからでしょ。せっかく手に入れた新しい人生。影もしがらみもなく満喫したい。塀の中なんてもってのほか。
 はっきり言って、恭二兄さんには警察を出し抜く自信がなかったんだ。遼一兄さんが他殺を疑われるような死を遂げたら、必ず警察が出てくる。指紋、毛髪、監視カメラ、靴跡、通信記録、目撃情報、その他警察の誇る捜査の手を掻い潜るのは至難の業。だから本格的な捜査をされずに済むよう、事件性の無さそうな死に方を選んだ。

 ――動機は?
 怨恨。
 僕に語った通り、遼一兄さんが先に死ねば入れ替わりで自分が黄泉の国へ送られかねない、というのも一つあったとは思う。実際に伯母さんは祭壇を使った。だけどそれなら祭壇を隠し通せば済む。似たようなアイテムは、確かに他にもこの世に存在するかもしれない。とはいえその辺にごろごろ転がっているものでもあるまい。だからそっちは副次的なもので、メインは自分の人生を奪ったきょうだいへの復讐。

 ――恨んでいるというなら、前からそうじゃん。なんであの夏だったの?
 その質問に答えようとするたび、百足のような怖気が背筋を走った。
 僕が祭壇を譲ってほしいと頼んだから、あなたはあの夏に動いた。遼一兄さんが川上真理と離れるたびにくっつけ直していた件から、恭二兄さんの執念が窺える。
 もっと酷い目に遭わせてやりたいと念じ、夜毎あの手この手で想像の中の遼一兄さんを殺し、いつか妄想を現実とする日を待ち焦がれていたんじゃないか。そんな恭二兄さんには僕の頼みが好機到来を告げる法螺貝に聞こえた。

 僕を使えば伯母さんによる入れ替えの懸念をクリアできる。僕の気が変わってやっぱり祭壇は要らないと言い出す前に、恭二兄さんは事を済ませようとした。
 それに、あの夏の暑さを利用する意図もあった。自然な死の筆頭は病死。簡単に、人為的に引き起こせる病気の一つが熱中症。

 僕が、遼一兄さんの死ぬきっかけを作った。僕が祭壇を譲ってくれなんて言わなければ、遼一兄さんは死ななかった? 恭二兄さんは殺人なんて犯さなかった?
 答えてくれる人は誰もいない。推理を披露していた時には傍にいたはずの恭二兄さんの影も、ここまでくるとどこかへ行ってしまう。
 それでも繰り言は止まらない。

 何度祭壇の前に頭を垂れたか知れない。遼一兄さんと恭二兄さんを入れ替えてください。そう祈ろうとしては首を振って打ち消した。
 恭二の体に遼一の魂を呼び戻したとして、彼は幸せになれるだろうか。恭二は既に就職して家を出て、まったく新しい環境にいる。幼い頃の一年ならまだしも、青年の五年弱のブランクはあまりに大きい。適応できなければ従兄二人とも不幸だ。


 僕の中に雨が降ろうと嵐が吹き荒れようと、祭壇の世話は続く。こんな便利なものを、母や伯母さんがいとも簡単に手放せた理由が身に染みる。毎日のちょっとした継続の儀式。面倒なのももちろんある。それ以上に祭壇と一日も欠かさず接するのが、忌まわしい記憶と向き合わされるのが苦しい。
 正面から受け止めていては耐えられないから、次第に受け流したり逸らしたりする術を獲得していく。

 恭二による遼一殺しは失敗する可能性が少なからずあった。もし首尾よくいかなかったら、彼はどうするつもりだったのだろう。僕の推測だが、彼は成功するまで何度でも不確実な、それゆえ自身に疑いのかからない死への罠を仕掛け続けるつもりだったんじゃないか。あの日が初めてのトライアルだったとも限らない。もしかしたら既に何回も……。

 僕はきっかけに過ぎない。利用したのも策を巡らしたのも手を下したのも恭二。僕は僕のやるべきことをやって、僕の人生に集中していればいい。
 学業に励み、祭壇に供え物をし、就職し、ヘアドネーションを言い訳に一定期間髪を伸ばし、人並みに恋愛をし、ルールブックを新しいノートに書き写し、結婚した。

 二十六歳になった僕は、妻と二人で平凡ながら楽しい日々を送っている。妻は現在妊娠六ヶ月。子供の性別は男と判明しており、名前も決めてある。元、と書いて「はじめ」。
 そして「元」が生まれたら、誰にも内緒で祭壇に祈るのだ。この子と死んだ僕の弟を入れ替えてください、と。
 祭壇を貰い受けたのは、このたった一つの願いを叶えるためだ。だから「元」の生まれるのが待ち遠しくて仕方ない。僕のせいで途切れた弟の命を、続きからもう一度始めてやれるのだから。

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