【ホラーミステリー】僕らと祭壇の夏(1/3)

あらすじ

 前世の記憶を持つ中学二年生の彰吾には二人の従兄がいる。優秀だが女運のない遼一と、気さくで変わり者の恭二。 
 親戚で集まった帰り道、ひょんなことから彰吾は幼い頃自宅に奇妙な祭壇があったことを思い出す。だが両親を問いただしてもはぐらかされるばかり。不審に感じた彰吾は恭二に知恵を求める。それが自身の出生と、親や従兄たちのおぞましい秘密につながっているとも知らず……。
 祭壇に宿る力と因縁を知った彰吾は、従兄とある取引をする。ほどなく一つの死が。

 悔恨と怨恨にまみれた夏、復讐と悲劇の熱帯夜が幕を開ける。
 絡み合う謀略と交錯する欲、抗えない血脈が織りなすホラーミステリー!


各話リンク(全3話)

第2話

【小説】僕らと祭壇の夏(2/3)|古賀菜美子 (note.com)

第3話(最終話)

【小説】僕らと祭壇の夏(3/3)|古賀菜美子 (note.com)


 僕には、僕のものではない記憶があった。

 といっても、何か重大なことを覚えているわけではない。ただ、いまの僕と違う名前で呼ばれる幼い僕(と言っていいのだろうか)が親や親戚と思しき人たちと遊ぶ様子、そして火や熱のイメージが断片的にあるだけだ。
 それらが自分の記憶ではないと気付いたのは、確か小学校高学年の頃。ちょうど前世とか超能力とかオカルティックなことが流行っていた時期で、自分にも何かあるんじゃないかといろいろ試すうちにその記憶へ行きついたのだ。

 考えてみると、あの断片たちにはおかしなことが多かった。なぜ僕は違う名前で呼ばれていたのか? あの火は何なのか? 他の本物の記憶より妙におぼろげなのも気になった。
 あれこれ頭の中で転がしてみて、僕はあれこそ前世の記憶なのだと結論づけた。前世の僕は幼いころ火事で死んでしまったのだ。そして今、僕はいわば続きの人生を歩んでいる。

 幸い「前世の記憶」は頼りないくらいかすかで現実感に欠けるので、日常に支障はない。今の僕はさほど火に恐怖を抱かないし、ましてや記憶の中の人たちとまた会いたいとも思わない。
 でも、「前世の記憶」は今の僕にとっても大切なもののような気がする。なぜかはわからないけど……。

  *

 夏休みの楽しみの一つといえば、普段会わない親戚に会うことだ。
 僕と同じ「都筑」という名字の表札の横にあるインターフォンを押すと、伯母が出迎えてくれた。両親と一緒に中へ入ると、そこには伯父と従兄二人もいた。両家とも一家勢ぞろいだ。
 挨拶、手土産、飲み物の用意など、各自が久し振りにあった人へのルーティーンを一通り終えると、浮ついた雰囲気が少し落ち着いた。

「そういえば彰吾君、今何年生? もう受験生だっけ?」
 手の空いた伯母が話しかけてきた。
「中二です。来年受験生です」
「そう。早いものねぇ」
「二人は今何年生?」
 僕と伯母の会話を受けて、母が従兄たちに訊いた。二人はそれぞれ大学一年と二年だと答えた。

 従兄の遼一と恭二は年子の兄弟で、恭二の方は実家暮らしだが、遼一は大学が遠いので独り暮らししており、今みたいな長期休暇の時しか帰ってこない。そのうえ帰ってきても、すぐに下宿先へ戻ってしまう。時々、伯母がスペアキーを持って掃除や家事をしに行くが、時間帯が合わず遼一と会えずに帰ることも多いのだとか。
 遼一は偏差値の高い大学に通っているので、勉強とサークルとの両立が大変らしい。そう伯母は言っていた。伯母は離れる時間の長さを嘆きつつも、充実した生活を送る息子が誇らしいようだった。
 伯母は恭二より遼一を愛している。少なくとも僕の目にはそう映る。たまにしか会わない僕ですら気づくぐらいだから、それを恭二が認識していないはずはないのだが、彼には不満も文句もないようだった。心当たりがあるせいかもしれない。

 僕はあまり憶えていないのだが、母の言うには、二人が小学生くらいの頃はむしろ恭二の方がひいきされていたらしい。その頃の恭二は勉強もスポーツもできてクラスの人気者だった。
 ところが小学五年生くらいの頃、階段から落ちて利き腕が肩より上に上がらなくなってしまった。日常生活にはさほど影響なかったが、それ以来、恭二から前ほどの覇気は失われた。そして中学に入る頃にはどこにでもいるような普通の人になっていた。
 それに伴い伯母の愛が弟から兄へと移っていったらしい。薄情といえば薄情だが、人情といえばそうなのかもしれない。

 大人たちは、いつの間にか僕らの話に花を咲かせていた。話のきっかけだったはずの僕らはいじられ役にシフトしていた。小学生時代の僕の失敗談や、一年近くずっと髪を伸ばしていた恭二の奇行、ヒステリックで執念深い彼女とくっついたり離れたりを繰り返している遼一の女運のなさ。それらが勝手な解釈付きで場にぶちまけられていった。
 正直、言ってやりたいことはいくらでもあったが、僕は何もしなかった。反応すれば余計に面白がられる。
 一通り持ちネタを披露すると、大人たちは自らの近況報告へと移っていった。ほっと一息ついて目配せし合うと、僕と従兄二人は話の輪から抜け出した。

 僕らは携帯端末を片手に二階の遼一の部屋へ集まった。この三人でできる遊びと言ったらゲームくらいしか浮かばない。
「ベッドとか机とか、結構いろいろ残ってるんだね。家を出た人の部屋って、もっとがらんとしてるのかと思ってた」
 対戦画面を呼び出しながら僕は言った。

「まだ就職したわけじゃないし、運ぶのも大変だし」
 エアコンを点けながら遼一が答える。今年は例年より異常に暑かった。ゲームをしながら僕らは喋った。画面を目で追い、指で操作しながらでも会話は十分できる。

「そういえば、恭二兄さんって、なんで髪伸ばしてたの? なんで切ったの?」
 年の離れた従兄二人を、僕はそれぞれ遼一兄さん、恭二兄さん、と呼んでいた。ちなみに、従兄二人は互いを名前で呼び合っている。
「なんとなくヘアドネーションに興味を持ってさ」
「最終的にどれくらいまで伸ばしたの? 切るとき寂しさとかあった?」
「かなりあった。一定の長さが無いとウィッグを作れないんだって。切るときは特に何も思わなかった。ねえ、今度はこっちから訊いていい? 遼一さ、川上真理だっけ? あの人とはどうなってるの?」

 遼一の部屋の中、僕らは三角形を作らず、それぞれ好きなところに陣取っていた。そのため、クッションに腰かける僕、壁際に脚を伸ばして座る恭二、床に寝転がる部屋の主、遼一というまとまりに欠ける光景が生まれていた。
「束縛強いし、別れたらストーカー化するし、最悪。ホント何なんだろう。あの女」
「そうやって言いながら毎回よりを戻してんだよね」
「さっき親たちが言ってるの聞いて気になってた。どうなの、遼一兄さん」
「なんで復縁してるのか自分でも謎なんだけど、気づいたら毎回そんな感じになってるんだよな……。復縁とは違うけど、そういえば少し前に尾張とばったり会って、それからちょくちょく飲んだり遊んだりするようになった。恭二、尾張のこと憶えてる?」
「遼一の小学校の同級生で、転校しちゃったんだよね。時々一緒に遊んでた。面白い人だった」
 知らない人の話になって、僕はちょうど現れた強いモンスターに集中する。

「あいつ今カラオケ店員やってるんだって。カラオケって一室一室に防犯カメラがついてるじゃん。あれを塞ぐ客が一定数いるらしい。その部屋をあの手この手で探るのが楽しくてこの仕事やってるって豪語してた。あとSNS依存気味で勤務中もこっそりスマホ弄ってる。職場の方が面白い投稿できるんだとさ。変わり者って治らないんだな」
「さっきからこっちにちらちら目線を走らせてるの気づいてるよ」
「お前、一人カラオケ好きだよな」
「そういう意味の視線じゃないよね。彰吾の身近にはキャラの濃い人っている?」

 従兄らの加勢を得てモンスターを倒した僕は、ちょっと頭を巡らせた
「あー、悪知恵の働く人ならクラスにいる。学校のヒーター、室温がちょっと上がるとすぐエコ運転になるから全然教室があったかくならない。どうにかならないかなって皆で話してたら、そいつが俺に任せとけって。何したと思う?」
「校長に直訴」
「ヒーターの温度センサーにヒヤロン貼ったんだよ! 温風が出続けて最高だった。先生にばれて天国は一日で終わったけど」
 ちなみに、ヒヤロンとは使い捨てカイロの冷たい版だ。



 日が傾き、窓からの日差しが減ってきた頃、大人たちの声が僕らを現実へと引き戻した。伯父と伯母に別れを告げてお土産をもらうと、僕と両親は従兄たちの家を後にした。
 車に乗り込んだ後も、僕は駄弁った内容やゲームのことを反芻していた。遊んだ後の程よい疲労感の中から喜びが滲むような感じが心地よかった。

「ねえ、今日いろいろ昔のことを喋っててつくづく思ったんだけどさー」
 余韻に母親の声が割って入ってきた。声のトーンから、父に向けて言っているのではないのがわかる。仕方なく僕は口を開いた。
「何を?」
「いろんなことがあったなーって。忘れてる部分も多いけど。でも忘れたからってなくなるわけじゃないんだよね」
「で?」
「そういう感慨、ない? まだ若いアンタにはわかんないか」
「まあね」

 掘り返して感傷に浸れるようなものがまだ自分の中にない僕に、そんな気持ちは縁遠かった。
 でも、そう思う裏で僕の気持ちはいつしか過去へ過去へと遡っていた。
 中一、小六、小五……と順に辿り、物心のついた頃まで戻る。そして本来なら終着点であるはずのそこを跳び越えると、「前世の記憶」に行き着いた。なぜかはわからないが、僕にとって特別の思い入れがある「前世の記憶」に。
 大人たちの感傷とはまた違った感覚なのだろうが、これもまた思い出をめぐる感慨の一つといえよう。

「お、ちょっとはさっき言った感じがわかったみたいだね」
 見計らったように母が声をかけてくる。僕は小馬鹿にしたような上げ調子で、別に、と答えてやった。実際、僕は母の言ったことが少し理解できたと伝えようとしていたのだが、なんとも得意げな母の言葉が癪に障った。
 不快感が生み出す暗いエネルギーがまだ残っていた僕は、ついでに話題も変えてやることにした。

「そういえば昔、うちとか伯父さんたちの家に変な祭壇みたいなのあったよね。いつの間にか見なくなったけど」
「え?」
 車体が揺れる。父の注意が一瞬、ハンドル操作からそれた。母の顔も引きつっていた。ふとさっき思い出したことを口にしただけなのに、思わぬ効果があった。

「で、あれは何だったの?」
 平静を装おうとしたが、僕の声には動揺と困惑がはっきりと表れていた。しばしの沈黙の後、ポツリと母が言った。
「そんなもの、なかったわよ」
 石碑のように抑揚のない平坦な声は、それが紛れもない嘘であることを告げていた。だが、異様な雰囲気にすっかりのまれてしまった僕は何も言えなかった。
 車内がすっかり静まり返ると、気詰まりだったのか父がラジオを点けた。交通情報が狭い空間に満ちる。僕らの車は通る予定のない道の混雑具合を流しつつ走った。そしてアナウンサーの、また後ほどお会いしましょう、という挨拶とともに我が家に着いた。


 帰宅後は三人とも、車中の会話など忘れてしまったかのように振舞った。
 最初は皆どこかぎこちなかったが、日常動作を続けるうち普段通りに戻っていた。
 そうして緊張が解けると、凍り付いていた好奇心が少しずつ頭をもたげ始めた。

 あの時の様子から考えて、しつこく粘っても教えてくれないことはわかる。伯母さんたちに訊いたところで反応は同じだということも。と、なれば証拠を見つけるしかない。
 祭壇そのものがあれば最高なのだが、少なくともうちにはなさそうだ。念のためその晩は自室に引っ込んでからも、しばらく起きて耳を澄ませていたが、両親に怪しい動きはなかった。もしまだ祭壇があるなら、隠すなり隠し場所を確かめるなりしているはずだ。
 従兄の家の方はわからないが、そっちにも無いような気がする。もう何年も、たぶん十年近く見ていない。まあ、あったとしても仕舞われているだろうし、僕には探しようがない。

 いろいろ考えた挙句、僕は古い写真を漁ってみることにした。
 翌日、両親が出払うと、押し入れの中からアルバムを引っぱり出した。まさか祭壇そのもののアップ写真があるとは思えないので、求めるものは映り込みだった。記憶の祭壇は四歳から五歳のあたりにあった。そこでまずはその辺を探したが、何も見つからなかった。
 仕方なく僕はローラー作戦を決行することにした。膨大な写真の検分には半日以上かかった。結果、収穫は三枚。

 一枚目はハイハイする僕の写真。隅に赤い壇の端が映っている。二枚目は昔飼っていた猫の写真。あろうことか、猫は祭壇の一番下の段に香箱を作っている。これが証拠としては一番強そうだ。上の方は見切れているが、下の方の段に置かれた鏡や小皿、古い本がしっかり見て取れる。三枚目は僕と「はじめ」のツーショット。左端にあの祭壇がちょっと入っている。この写真で祭壇が三段でできていると確認できた。
 僕は隙を見てアルバムをもとの場所に片付けると、三枚の証拠品を手に取った。あの祭壇があったのはずいぶん昔のことらしい。だって、そのころにはまだ「はじめ」がいた。
 「はじめ」は僕の兄だった。元と書いて「はじめ」。彼は五歳でこの世を去った。その時、僕はまだ二歳だった。だから「はじめ」という兄がいたことも僕にはピンとこないし、親の語る「はじめ」の思い出話も、社会で習う歴史上の出来事のように聞いていた。

 夕食後、リビングに残っていた両親に僕は写真を添えて疑問をぶつけてみた。
「どこでそんなものを見つけたんだ」
「どうしてそんなことが知りたいの」
 両親は驚いた様子で、こういう時定番のせりふを吐いた。正直、僕は勝ったと思った。でも、話を進めるため先に両親の質問に答えてやったのが良くなかった。落ち着きを取り戻し、言うことを考える時間を二人に与えてしまった。

 僕の答えを聞いて、うんうんと頷くと母が口を開いた。
「昔ちょっとね、そういうのにハマってた時期があったの。恥ずかしいことにね」
「そういうのって?」
「オカルトっていうか、宗教的なものというか……とにかくそういう方面のものよ」

 僕は父の方を見た。
「そうなの?」
「ああ、そうだとも」
「従兄の家にもあった気するけど、そっちは?」
「向こうの家? あったっけ?」
 何か隠しているのは明らかだが、僕が次の手を思いつく前に二人は話を変えてしまった。

「見て、ミーコよ。なつかしい」
「可愛かったなあ。壁の色が違うから、前の家での写真だな」
「あの頃、ペット可アパートなんて珍しかったわね」
「そうだな」
 すっかり気勢をそがれた僕は、写真を置き去りにリビングを出た。背後では、まだ二人が話にあだ花を咲かせ続けていた。


 自分の部屋に戻ると、自然に一人反省会&作戦会議が始まった。
 そもそも二人いっぺんに訊いたのがまずかった。一人ずつあたって、その答えの矛盾点をつくのが正しい攻め方だった。さて、これからどうしよう。再アタックをかますにしても、それまでに両親は口裏合わせを済ませているだろう。ディテールにまで気配りの行き届いた嘘を聞かされたら、余計混乱してしまう。伯父さんや伯母さんにあたるのも難しい。二人は親ほど僕に近くない。いざとなれば無視という手が使える。
 僕は突破口を求めて頭をひねった。諦めるなんて考えられなかった。適当にあしらわれ続けたせいで、好奇心はこの上ないほど膨らんでいた。それに、うっすらとした使命感のようなものもあった。
 そうしているうちに、パッとひらめくものがあった。
 いるではないか。頼りになるかはわからないが、少なくとも他の人より立場が近くて情報を持っていそうな人が。


「で、俺のところに来たってわけね」
 僕の話を聞き終えた恭二が言った。少し面白がっているようだった。
 あの晩、恭二に思い当たった僕はすぐに連絡を取り、それから三日後の今日、こうして会う約束を取り付けた。大人ならカフェにでも行く場面なのだろうが、僕は中学生だ。工夫なく従兄の家にお邪魔した。

「そう。近くに住んでてよかったよ。歩いて十分だし」
 割と近くにいるのに大して行き来がないのは、ひとえに歳の差のせいだ。
「夏の十分はきついよ。ところで、遼一には相談したの?」
「ううん」
「あいつはもう二十歳で信用ならない大人の一人だから?」
「遠くに住んでて直接会えないから。それに、変なこと相談するには変わってる恭二兄さんの方がいいと思って」
「言うねぇ」
「だってそうじゃん。髪伸ばしたり切ったり」
「ほかには?」
「特にないけどさ。なんとなく、雰囲気とか」
「あはは」

 僕らはエアコンの効いた恭二の部屋の床に座って喋っていた。今日のこの時間は伯母も伯父もいないとのことだったが、万が一を考えてリビングは嫌だと僕が訴えたのだ。
「で、あの祭壇は何なの?」
 勢い込んで尋ねる僕に、恭二は意外なことを言った。

「さあ」 
「え、知らないわけないでしょ。一つ屋根の下にあったものなんだから」
「親が考えたりやったりしてることって、子供には案外わかんないものだよ」
「うっそぉ。期待外れ」
「勝手に期待して勝手に失望しないでよ。何でそんなに祭壇のこと知りたいの? っていうか、よくそんなの憶えてたね。当時二歳だっけ。そのくらいの歳の記憶はない人も多いんじゃないかな」
「そうかな。ちょっとくらいなら皆、憶えてるよ」
「でもさ、写真探しの時、ほんの端っこだけでそれが問題の祭壇だってわかったんでしょ。結構しっかり頭に残ってるってことだよね」
「確かに」

 記憶を掘り返して祭壇の部分を掬い出す。視野の限界か上の方が切れており、段数はわからないが、少なくとも二段以上ある。段には赤い布がかけてあって、写真にあった通りの鏡、小皿、古い本のほか、お供え物も置かれている。おぼろげで前後の流れもないが、二歳の頃にしては異様に鮮明だ。最初、四歳くらいの記憶だと思ってしまったのも無理はない。
 この感じを僕は知っている。そうだ。「前世の記憶」に似ているんだ。というか、本当に「前世の記憶」なんじゃないか? そうだとすれば四歳くらいの記憶、という感覚とも合う。でも、それには矛盾が多すぎる……。

「どうしたの? 黙り込んじゃって」
「いや、別に……」

 お礼を言って帰ろうか、と思ったとき、いっそ全部打ち明けるという選択肢が頭に浮かんだ。どうせ馬鹿にされて終わりだろう。だけどここでやめたら、もうこれ以上の手掛かりは得られない。それにいっそ笑い飛ばしてもらった方が、すっぱり諦めもつく。
 腹を決めると、僕は姿勢を正した。そして当惑した様子の恭二に言った。

「自分でもおかしな話だと思うし、恭二兄さんもそう思ってくれて構わないんだけど、最後まで聴いてください」
 恭二が気圧されたように頷くのを確認すると、僕は話し始めた。


 もともと用意していた話ではないので、思いつくままに喋った。気が急いてろくな説明もなく先へ先へと進んでしまったり、言い落としに気づいてあとから補足したりと、相当わかりづらい喋り方だったと思う。
 恭二は最後まで真剣に聴いてくれた。思いついたことを全部吐き切ると、僕は静かに恭二の言葉を待った。少し疲れていた。

「前世の記憶、か」
 しばらくして、恭二がぽつりと呟いた。
「今の話は全部本当?」
「本当だよ! 信じてくれる?」
「うん……」
 僕は息を吹き返したように、勢い込んで尋ねた。
「信じてくれるんだ! でも。どうして?」
「信じてって言っといて、どうしてもないんじゃない? 信じる理由か。なんていうか、いろんなことと辻褄が合うんだよね」
「何とどう合うの?」

 つられるように口にした瞬間、うっすらとした寒気が背筋を這い上ってきた。踏み入るべきでない場所に近づこうとしている。そう直感が告げていた。でも、聞かずには、訊かずには、いられない。
「あの祭壇とか、あと、こっちの身の上にも」
「どういうこと?」
 情報と引き換えに、大切な何かを失う予感は確かにあった。でも、好奇心が恐怖心を超えようとしていた。記憶の果てに見たものが何なのか、ようやくわかるのだ。

 僕は息を詰めて恭二の言葉を待った。でも、彼は僕の期待に反して関係なさそうな質問を返してきた。
「君のお兄さん、元君がなんで亡くなったか知ってる?」
「えっ? 病死、だけど」
「誰から聞いた?」
「親。それ以外にないでしょ」
「じゃあ、なんで今の家に引っ越してきたかはわかる?」
「さあ。マイホーム資金がたまったからじゃない? ねえ、これに何の意味があるの?」
 この人も適当に煙に巻こうとしているんじゃないかと、僕は苛立った。僕の気持ちを知ってか知らずか、恭二は本心の読めない微笑を浮かべている。

「本当に言ってもいい? 聞いて後悔しない?」
「いいから早く言えって!」
 この期に及んで焦らされるのはまっぴらだった。わかった、というと、恭二はこちらを窺うような調子で話し始めた。

「まず、元君は病気じゃなくて、火事で死んだんだ。君が今の家に引っ越してきたのは、住んでいたところが焼けたから。いつか家を建てようと貯金もしてたらしいけど、それは直接の要因じゃなかった」
 からかわないで、と言おうとした僕を片手で制すと、恭二はもう片方の手でスマホを操作した。ややあってこちらに向けられた画面には、アパート火災のニュースが表示されていた。場所も時期も、恭二の話と一致している。残念ながら犠牲者の名前は載っていない。

「火元は君たちの隣の部屋。元君が亡くなったのは火元と壁一枚隔てた部屋で寝ていたから。彰吾とご両親が助かったのは、みんな火元とは遠い部屋にいたから。確か叔父さんは風呂、叔母さんは夜泣きする彰吾をあやすためリビングに」
「詳しすぎる……」
「親たちの会話を盗み聞きしてたんだ。身近でセンセーショナルな出来事だっただけに、興味もあって。……あ、ごめん」
 端末を片手にうつむく僕に気づいたらしく、恭二が謝ってきた。でも、僕には不謹慎な発言などどうでもよかった。親すら教えてくれなかった(おそらく)事実をどう受け止めればいいのか。それだけが頭を占めていた。

「次、進めていい?」
「待ってよ。……なんで親たちは本当のことを教えてくれなかったんだろう」
「まあ、ショックだろうからじゃないの。自分たちも思い出したくないだろうし」

 一緒にいた時期があったとはいえ、顔すら覚えていない「はじめ」よりも、僕は両親のことを想った。辛かっただろうに、二人は何事もなかったかのように僕を育ててくれた。
 よくドラマで死んだ家族の写真が居間に飾られているのを見かけるが、僕の家にはそれがない。きっと写真一枚すら両親の傷を抉るナイフたり得るのだろう。火事のことを黙っていたのは、どちらかというと僕より自分たちのためだったのだと思う。でも、何も知らない息子の成長は、苦悩の種にもなっただろう。

「ちょっと、どうしたの。そんなにしんみりしちゃって。元君のことは残念だったけど……」
「それよりも、親が……。そんなことがあったのに、全然、おくびにも出さずに……」
 恭二はちょっと待ってて、と言い残して部屋を出ると麦茶のグラスを二つ、お盆にのせて戻ってきた。

「あのさ、ご両親のことで今、心を痛める必要はないんじゃないかな」
 飲み物をお盆ごと床に置きながら、恭二が言った。僕は慰めてくれるのかと期待したが、違った。
「悩むんなら、この先を聞いてからにしたら。きっとご両親に対する見方も変わるよ。涙も引っ込むと思う。逆にあふれてくるかもしれないけど」
「は?」
 まさに泣きそうになっていた僕の声は、思いのほか低かった。

「祭壇のことを聞きに来たんでしょ。まだ本題に入ってないじゃん」
「火事からどう祭壇につながるんだよ」
「まあ、聞きなよ。君の言う前世の記憶とも絡んでくるから」
「じゃあどうぞ」
 我知らず、挑戦的な調子になっていた。こっちの心境などどこ吹く風な恭二の態度は、ひどく神経に障った。涙の塩水でぬれた神経には特に。


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