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リベラルアーツ教育

『ハーバード大学は音楽で人を育てる』を読んだ。

音楽大学が定員割れで潰れそうな日本。

音楽はなにもクラシックが全てではないし、
ジャズ、ポピュラー音楽、アニメ音楽、などもそれぞれ全て音楽。

かつて日本の音楽大学は主にクラシックを中心に学ぶ場所として認識されてきたけれど、今では国立音楽大学や洗足音楽大学もポピュラーミュージックやアニメ音楽を扱うようになっている。

クラシックは色々と法則や禁則があってそれにそぐわないと間違い、という本来の音楽(音を楽しむ)の姿とはかけ離れてしまったことが、衰退の原因の一つなのかもしれないと感じている。あと思うのは「師」という制度。
派閥?のようなものが音楽大学には存在している。〇〇先生の弟子…という感覚はもう令和には合わない文化なのだろう。

私はピアノの先生が苦手で仕方なかった。
やはり昭和の音大出身の先生は特別な存在で、怖かった。
でもピアノの上達ははやい方で、得意だったから続けてきた。

誰よりも『弾けるようになりたい気持ち』が強かった。

本題にもどる。

ハーバードはアメリカの大学。
誰もが知る一流大学ですよね。

海外では音楽や絵画は教育の一つとして大きな価値を持つ。

しかし日本の東大王のクイズ番組で音楽の問題になると
「え?東大生ってこんな初歩の音楽用語知らないの?」と私は感じることが多々あった。

こんなの私のピアノ教室の小学生の生徒なら全員答えられるわというような知識も、日本の最高峰の大学である東大にはいらないらしい。大学受験に音楽の問題は出ない。

しかし、海外の大学ではリベラルアーツは、必須で、音楽や絵画などの芸術の知識は大切な教養の一つなのです。
ここが日本と海外の教育の差だと思う。

日本も芸術の知識をきちんと学校で大切にされていたら、もっと素敵な国になるだろうな…と思う。

一般入試にもリベラルアーツ科目を取り入れたら良いのにと思う。

YOUは何しに?などのTV番組で海外の人達が日本の文化芸能に興味を持ってその、技術を学びに来るのはそういったリベラルな教育が成されているからだと思う。日本や近隣アジアの偏差値教育や差別を広げるような、教育体制とは全く違う。
1人ひとりの尊厳が大切にされ、
〇才だからこの知識という考え方とは違う。

それぞれの発達で早い、遅いがあるのは当たり前で、自分も50代にして、ピアノは明らかに高校の時よりも弾けるようになっているし、勉強への取り組み方や理解力も数倍良くなっている。

意味づけで覚えられるから覚えがはやいし、理解力も高い。

音楽だけでなくリベラル(自由)なアート(芸術)の知識を持った人の教養や品には言葉では表現出来ない雰囲気を醸し出す。 
私がピアノをここまで続けている理由の一つとして自分でも様々な勉強の中に音楽には特殊技術だと感じられる要素が沢山あるからここまで続いたのだと思う。

一般入試はただ、鉛筆で問題を解くだけ。
でも音楽の試験には問題を解く他に
聴音
初見演奏
暗譜演奏
リズム聞き取り
和声学

など、あちらこちらの能力全開で体当たりする魅力がある。

暗譜演奏はとにかく緊張感漂う経験の一つだし醍醐味である。

楽譜を一瞬にして読み取る能力は身に付いて本当に良かった。

初見演奏は特に好きで、楽譜をぱっと見て、曲のテンポ、強弱、イタリア語を理解しながら演奏するこの能力は誇れる自分の能力の一つ。

楽譜がなくてもメロディーを聴けばだいたいの和音をつけて伴奏にあてはめることも出来る。

楽しいったらありゃしない\(^o^)/

「お酒が飲めなくて、人生の楽しみが少なくて可哀想だね」と言われたりもしたことあるけれど、
それよりも何百倍も音楽の能力を身につけた人生は本当に良かったと感じている。

余計なお世話かもしれないが、これからの子ども達の「白いキャンバス」に音楽を少しでも描いていきたいと私は考えているし、昔のわらべうたを廃れることのないようにかたりついでいきたい。

音楽の教科書に新しくJ-popが加わるのは良いけれど、その分消されてしまった曲を私は伝えていけたらな〜と、思っています。

こんな先生で良ければ、いつでも習いに来てくださいね(*^^*)

今日「トンボのめがね」を歌ったけれど、
幼稚園の子ども達に「知らない曲」と言われました(泣)
ならば私が伝えていきたいです。。。
そんな活動したいな〜。