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メタルエッセイ︰夏に輝くオリオン座

https://youtu.be/TydZ4NAXMic?feature=shared

今年もサマソニの日がやってきた。
サマソニの開催日が来るたびに、私は2013年のサマソニでメタリカを観たことを思い出す。

“Orion”の演奏の出だし、ヴォーカルのジェイムズは星のない曇った夜空を見続けていた。
彼は何を見ていたのだろうか。

【主な登場人物】
ジェイムズ・ヘットフィールド (タイトル写真左)
メタリカのヴォーカリスト&リズムギタリスト。ステージにおけるカリスマ性、扇動力には凄まじいものがあり、ファンの間だけではなくメタル界全体の兄貴的な存在となっている。

クリフ・バートン (タイトル写真右)
かつてメタリカに在籍したベーシスト。1986年9月、次の公演先に向かう際に乗っていたバスが横転し、窓から投げ出されて全身を強く打ち死亡した。享年24歳。

メタリカの絶対的フロントマン、ジェイムズ・ヘットフィールドの人気は凄まじいものがある。

ステージでの堂々たる振る舞い、ドンと腰を落としてギターリフを刻む演奏スタイル、荒々しくも深みを感じさせるヴォーカル、いかにも頼りがいのありそうな佇まいに魅せられる人は数知れない。

そんな彼も、最初からカリスマ性を身に付けていたわけではない。若い頃はステージングも曲間のMCも不器用さが目立ち、それどころかステージ上での存在感は当時のリード・ギタリストのデイヴ・ムステインの方が遥かに優っていた。

MCや曲紹介はムステインが担当していた時期もあったほどで、実は不器用で繊細というジェイムズの姿がぼんやりと浮かんでくる。

ではジェイムズは、どのようにしてメタル界屈指のカリスマ性を持つフロントマンに成長したのか?
それを明らかにするためには、ジェイムズと故クリフ・バートンとの関係性を紐解くことが必要となる。

ジェイムズにとって、一つ年上のクリフは憧れの兄のような存在だった。クリフが好きだったパンクバンド、ミスフィッツのTシャツをジェイムズも好んで着ていたのは、明らかにクリフの影響である。

メタリカ加入前のクリフのステージを見て圧倒されたジェイムズとラーズ(メタリカのドラマー)は、どうしてもクリフにバンドに入ってもらいたくてバンドの拠点をLAからクリフの地元サンフランシスコに移したほど、最初からクリフは特別な存在だった。

そしてクリフは、メタルだけにとどまらない幅広い音楽的な素養を備えており、メタリカの激しい楽曲に深みとドラマ性を加えることのできる卓越したアレンジ力の持ち主でもあった。

メタリカの傑作アルバム「Master Of Puppets」には、クリフが作曲した“Orion”という曲が入っている。“Orion”はクリフ自身を象徴する楽曲としてファンに深く愛され、メタリカの数ある楽曲の中でも特別な存在となっている。

クリフが冬の夜空に輝くオリオン座を見上げて作ったと言われるこの曲は、激しい曲調の中にも胸を締め付けるような美しいメロディが絶妙に紡がれ、クリフの音楽性の深さを感じることができる。

それだけでなくクリフは、ステージングも凄まじかった。ベルボトムのジーンズに身を包み、激しくヘッドバングしながら、ベースのジミ・ヘンドリックスと呼ばれるほど奔放かつテクニカルな演奏で常に観客を圧倒していた。

曲作りでも演奏でも大いに尊敬しているクリフが、ステージで自分の横にいてくれる。
同じバンドのメンバーなんだから当たり前なのだが、根が繊細なジェイムズにとって、そのことがどれほど助けになっていたことだろうか。

「俺の友人を紹介するぜ!みんな、拍手で迎えてくれ!クリフ・バートンだ!」

ステージでクリフを紹介するジェイムズの表情は、いつも本当に誇らしげだった。

しかし、彼が兄の様に慕い尊敬していたクリフは、バスの横転事故の犠牲となり突然この世を去ってしまう。1986年9月27日はメタリカにとって、ジェイムズの人生にとって最悪の日になった。

だが皮肉なことに、この時からジェイムズは徐々に変わり始める。

まず、ステージを端から端まで大きく使うようになった。力強い足取りで移動し、正面以外の観客にも自ら積極的にコンタクトを取るようになった。

そしてMCも荒々しく早口でまくしたてるのではなく、じっくりと観客の反応を受けとめながらコミュニケーションを取る形に変化。ジェスチャーは大きく力強いものになり、それに伴いフロントマンとして観客を自在に鼓舞し、歌わせる技量と度量を身に付けていった。

売れた自信みたいなものも、もちろんあったと思う。 だがそれを奥底で支えていたのは、恐らくクリフ不在を受けての強烈な責任感だ。

爆発的に売れるアルバム。
コンサート会場はどんどん大きくなる。
だが、どんな時でも悠然と構えていたクリフはもういない。

「俺がステージを支えなきゃいけないんだ」

クリフを失ったあの日から、ジェイムズはずっとそう思っていたのではないか。

大きな悲しみと強烈な責任感を抱えたままバンドのエンジンとして動かなければならなかったジェイムズ。
ファンからはカリスマ視されつつも、クリフの後任ベーシストのジェイソン・ニューステッドに辛くあたったり、アルコールに溺れてリハビリセンターに入院したりなど、その精神は実はギリギリの状態だったのではないかと思う。

だが、そういったバンド内のトラブルや自らのリハビリを通して、ジェイムズはようやくクリフの死と正しく向き合うことができたのかもしれない。

その兆候は当時のライブでのセットリストにも見られた。 それまで演奏することを頑なに避けていたクリフ作曲の“Orion”を演奏するようになったのだ。

そして“Orion”の演奏を終えると、ジェイムズは必ず「R.I.P, Cliff Burton.」と追悼の言葉を捧げるのだった。さらにデニム生地にクリフのパッチ(ワッペンみたいなもの)を貼ったステージ衣装を着ることもあり、リスペクトを隠さない。

ジェイムズはきっと、「クリフはもういない」のではなく「クリフはいつでもここにいる」と気付いたのだろう。 それと同時に、ジェイムズはフロントマンとしての不安から遂に解放されたのかもしれない。

それ以降のジェイムズのカリスマ性は紛れもなく本物であり、このうえなく強力だ。
それは、メタリカのライブに行けば分かる。
果たして、あの堂々たる姿に魅了されない音楽ファンなどいるのだろうか?

2013年8月10日、サマーソニック2013のトリとして登場したメタリカは、ライブの中盤で“Orion”を演奏した。

曲が始まってしばらくの間、ジェイムズはギターを弾きながら空を見続けていた。
曇り空だから星は見えないのに、一体何を見ているのだろうと思った観客もいるかもしれない。

だが、きっとジェイムズの目にはしっかりと見えていたのだ。

真夏の夜空に輝く、大きなオリオン座の姿が。

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