パリオリンピックに思う〜美しき失敗:パティ・スミス
https://youtu.be/941PHEJHCwU?feature=shared
パリオリンピックが閉会した。
たくさんのドラマがあった。
素晴らしかったこともあれば、悲しかったことも。
とりわけ、ミスをした選手に対する誹謗中傷が今回も起きたことは大変悲しいことだった。
人は誰でもつまづく。
血の滲むような努力で鍛えに鍛えたアスリートでさえも。
でも人は、そこから立ち上がることが出来る。
それを明確な形で証明したミュージシャンがいる。
ボブ・ディランのノーベル文学賞授与式で、代理として彼の曲を歌ったパティ・スミスだ。
パティ・スミスと言えばNYパンクの女王と呼ばれるほどの偉大なミュージシャンで、誰もが認めるプロ中のプロだ。その百戦錬磨の大ベテラン、パティ・スミスが声を詰まらせ途中で歌唱を止めた。緊張のあまりに。
彼女はそのことを正直に聴衆に告げ、謝り、静かに再び歌い始めた。
その後の彼女はゆっくりと力強さを取り戻してゆき、終盤では何かが降りてきたかのように、ある種の神々しささえ感じさせる歌声を会場に響かせた。
その歌声に涙する聴衆も現れ、最終的には会場にいた全ての人が感勵に打ち震えた。
逆にもし彼女が淀みなく最後まで歌ったとしたら、どうだったろうかと思う。もちろん素晴らしいパフォーマンスになったに違いない。しかし、あの様に何かを超越したパフォーマンスになったかどうかは分からない。
果たしてあれは“失敗”だったのだろうか。
私はそうは思わない。
あの瞬間が彼女の素晴らしい人間性を浮き彫りにし、そのパフォーマンスを特別なものにしたからだ。仮にそれを失敗と呼ぶとしても、それは何と美しく、チャーミングな失敗だろうか。
パティが声を詰まらせたところ、
動揺しているところ、
申し訳なさそうにしているところ、
再開後、まだ少し動揺しているところ、
徐々に声に生気が戻り、アクションも大きくなっていくところ、
そして遂にはその声に言い知れぬ何か大きなものが宿っていくところ…
その全てが魅力的であった。
人はつまずくけれど、つまずくのが人間というものであり、そこからカ強く立ち上がる姿にこそ人間の美しさがある。
パティ・スミスのパフォーマンスは、期せずして人の営みの素晴らしさを表すものとなった。
ボブ・ディランの代わりを務めるだけでなく、彼女は全ての人間の代弁者となってくれたのである。
「席に戻ったあと、大失態を犯してしまったと思ったわ。でも不思議なことに、歌詞の世界に入り込んで、本当にその世界に生きているということを実感できた体験でもあったの」(パティ・スミス談:ノーベル賞授与式での歌唱を振り返って)
失敗したからこそ詩の世界に入り込むことが出来たと語る、パティ・スミス。パフォーマンスの後、世界中の人々がパティに大喝采をおくった。
そして最も大きな喝采をパティに送ったのは、世界のどこかでこの様子を見ていたであろうボブ・ディランその人ではなかったかと、私は思う。
人は誰でもつまづく。
だからこそ、そこから立ち上がろうとする全ての人に私も喝采を送りたい。
了