自己責任論
最初に。
詳しく学びたい方は、
デュルケーム社会学などのしっかりした本を読むことをオススメします。(NHK+でも配信中)
自己責任論とは、自分の行動が引き起こした結果についてはすべて自分の責任であるという考え方。
今から20年前の2000年を超えたあたりから、アメリカ流の新自由主義的な考え方が日本に流れ込んできた。そのとき、セットで取り上げられたのが「自己責任論」です。欧米は厳しい実力社会であると同時に、キリスト教的な相互扶助の精神が強固に根づいているので、社会のバランスが取れている。欧米人にとって、成功者が慈善活動を通じて弱者を救い上げることは当たり前のことだ。
しかし、日本は「競争」だけを輸入し、「相互扶助」は捨て置いた。
主にエリート階級から始まり、今では多くの人々の間で浸透している考え方です。明確な定義がないため、自己責任論にはさまざまな解釈があります。
例えば、努力した者は報われ裕福になり、努力をしなかった者は報われず貧困になるという考え方もあり、自分の行動の結果が引き起こして危機に陥った場合、自分で責任を負い他人に助けを求めるべきではないという考え方もあります。
まず「自己責任」が声高に言われ始めたのが金融業界でした。
金融自由化で銀行をはじめ金融機関はさまざまな商品を扱えるようになります。そしてリテール部門、つまり個人顧客の開拓に力点が置かれるようになりました。ここで「自己責任論」が出てくるのです。
要は、顧客が購入した金融商品が元本割れをした際、その責任を誰が取るのかという問題です。商品にリスクがあることを自分たちはしっかりと説明する責任を果たす。購入する方はその説明を聞いたうえで、自分で判断する。だから結果に対しては「自己責任」を取らなければいけないという論理でした。
一見、至極当然のようにも聞こえるところがミソなのです。
しかし、言葉の意味をしっかりと吟味したら、この「自己責任論」がおかしいことがわかります。まず、彼らの言う「自己責任」とは、英語で言うところの「own risk」です。すなわち「危険の負担」であって、責任の概念とは違うものです。own riskとは「自分で利益を求めようとして自分で決定した場合には、予期せぬ不利益(リスク)も併せて背負わなければいけない」という考え方です。改めて自己責任などという、いかめしい言葉を出す必要などありません。「商品購入の際はリスクも併せて負担しましょう」ということでいいのです。
バブル崩壊後には政治家も公然と「自己責任」を口にし始めます。
1997年、橋本龍太郎首相(当時)が「バブル後の不良債権の処理で『自己責任』が問われる」などと発言。2001年に首相に就任した小泉純一郎氏は、「官から民へ」をスローガンに、年金改革や医療制度改革、生活保護費の削減で社会制度を縮小、「自己責任社会」を創出した。
生活保護や健康保険の受給者を批判するタイプの自己責任論の源流をたどれば、この時期にたどり着くのではないでしょうか。端的に言えば、このころから本格化した新自由主義的な改革が「自己責任論」を社会全体に浸透させていったのです。
実は、昭和時代まで遡ると自己責任を個人と結びつける記事はそれほど多くありません。
“世界同時不況を回避するための国際協調を米欧に呼びかけるにしても、まず日本が国内の経済運営を自己責任できちんと実行しておくことが必要だろう。”(日経新聞『景気の冷え込みと政策対応の基本(社説)』1982年8月14日付 朝刊)
“「自分で判断し、その結果についても自分で責任を負うという原則を忘れないことです」と株式投資の心構えを強調するのは東京の金属加工品会社に勤めるIさん(55)。”(『無手勝流だが自己責任の原則貫く』1981年10月26日付 夕刊)
“日本ではそれなりの規模にまで成長していない企業に一般投資家が投資するのは危険という判断が行政側にも証券会社にもあるのに対し、米国では「投資は自己責任」の考え方が徹底している。”
(『株式の店頭市場――米国・めざましい隆盛続く 日本・魅力ある市場へ始動』1981年11月04日付 朝刊)
これらの記事から分かるのは、本来「自己責任」は市場用語(基本的には金融機関や大企業、政府に対して使う言葉)だったということです。
株式や債券などに投資すると、高い収益を得られる可能性がある反面、損失が発生する危険も高まります。こうしたハイリスク・ハイリターンの取引を「あえて」する以上、仮に損をしたとしてもその責任は自ら引き受け、助言者や当局のせいにはしない、という原則論を指す言葉だったわけです。
もう一つの変質は、自己責任論の背後にある「自主独立」の捉え方を巡って起きたように感じます。
福沢諭吉の国家論を見ても分かるように、「他人に依存せず主体的に生きようとする精神」は健全な社会を築く上で欠かせないものです。その意味で「なるべく国や他人の世話になりたくない」「迷惑はかけたくない」という態度自体は好ましいと言えるでしょう。
ただ、それが転じて「国や他人の世話になるとはけしからん」「世話になる以上はいうことを聞け」という理屈になると話は違ってきます。
本来、自主独立の精神とは「支配されない」「従属しない」という気概です。もし自分を支配しようとする者があれば、闘わなければなりません。
自分が非力な場合、その方法には面従腹背やサボタージュ、他者との連帯も含まれます。そうした精神を尊ぶのなら、誰かを支配したり、従属させたりする勢力には手を取り合って抵抗すべきでしょう。
しかし、自己責任論を振りかざして他人を批判する人の多くは、そうした支配・従属関係に鈍感です。生活保護の受給者に「国から金をもらっているのだから自由が制限されて当然だ」という態度をとるなら、自主独立の精神を尊重しているとは言えないはずです。そもそもセーフティーネットの多くは、不公正な支配・従属関係を生まないために作られました。生活保護や健康保険の仕組みがなければ、生活に行き詰まった人は誰かに隷属するしかなくなるからです。
近代国家自体も、理想的には個人の自由と独立を保障する仕組みです。
平成を通じて続いた新自由主義的な改革は、国家による「過保護」への反省から始まりました。その意味では明治の近代化を支えた「自主独立の精神」を取り戻そうとする試みだったのかもしれません。
しかし、国家の役割を軍事などに限定する「小さな政府」へと舵を切った結果、皮肉にも真の自主独立精神は失われ、支配や従属を当然のものとして受け入れる風潮を生んでしまったように見えます。沖縄の基地問題への冷淡な態度や、米国への追従を当然とみなす風潮も、根っこには歪んだ自己責任論があるのではないでしょうか。
《自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である》(2004年4月13日)
世間が「自己責任」を強く唱え始めたのは2004年頃です。
1960年代から1970年代のベトナム戦争では、世界中のジャーナリストが戦地で犠牲になり、日本人ジャーナリストも14人亡くなっています。
当時は“戦場に散った者”という扱いで、戦地で亡くなったかたがたは少なくとも“殉職”扱いでした。ヨーロッパでは、戦地や紛争地で、その地に生きる人の権利や幸せのために活動することは、ジャーナリストや報道関係者にとっては当たり前のことだと考えられています。自国内であろうが、海外であろうが報道の使命は変わりません。そして、戦地に向かう彼らが現地で命を落としたり、拘束されるのは『職業上のリスクとしてあり得ること』との認識が社会の中で共有されており、大きく騒がれません。
ところが2004年のイラク人質事件をきっかけに、報道に対する社会の見方が一変しました。市民活動家、ジャーナリストを含む5人がイラクで武装グループに拘束されたものの、最終的に解放された事件があります。この事件に関して多くの人が助けたいなどと応援の声をあげていましたが、武装グループに解放された後、救出に使用された国家費用を支払え、行くべきでない場所に行ったのだから自業自得で自己責任だ、などの声が次第に多くなり問題となりました。
そのときにしきりに論じられたのが「自己責任」という言葉です。
彼らは職業選択の自由の中であえてジャーナリストを選んだのであり、その結果に対する責任は当然彼ら本人にあるとされました。当時は、職場でもプライベートでも「自己責任でやってくれ」とか、「自己責任をきちんと果たしてください」などと、猫も杓子も「自己責任」という言葉を使っていました。その言葉とともに使われるようになったのが「努力」という言葉でした。例えば「正社員になれなかったのは自由な競争の中で彼らが努力することを怠り、しかるべき能力を身に付けてこなかったからで、それも自己責任だ」というものでした。結局彼らの「努力」が足りないために非正規雇用で働かざるをえなかったのだから、それは「自己責任」だという論理です。「自己責任」はいつしか「自助努力」とパラレルで語られるようになりました。いかにも新自由主義的な発想だと考えますが、ここにこの問題のすり替えがあります。
「自己責任」は自然な言葉だ。
そもそも「自己責任」という言葉自体がおかしな言葉です。
まず、「責任」という言葉は英語でresponsibilityと訳されますが、そのもとはラテン語のrespondereだとされます。その本来の意味は、古代ローマにおいては法廷で訴えられた人物が、自分の行為について説明したり弁明したりすることを指しているとされます。
また、近代の市民革命によって市民が自由を獲得した際、
「自由」の行使には「責任」が伴うとされました。
「自由なきところに責任なし。責任なきところに自由なし」と言われ、
「自由」と「責任」は表裏、セットの概念となりました。
先ほどのラテン語の意味と合わせると、
「責任とは自由意思に基づいて行動した結果に対して
その本人が他者に対して説明し、しかるべき対応をすること」というのが、
近代以降の「責任」の考え方です。
ですから欧米で責任(responsibility)と言った場合、他者とのコミュニケーションが前提とされます。なぜなら説明義務が生じるのは本人であることは自明ですから、改めて「自己」をつける必要がないからです。
さらに言えば、「own responsibility」という言葉もありますが、日本語の責任とはニュアンスを異にする独断という意味です。このような言葉をあえて掲げなければならない状況自体がすでに不自然であり、おかしいのです。
そもそも「責任」という概念は「自由」という概念とはつながっていますが、「努力の有無」とはまったく関係のない概念です。
「努力しなかったことの責任が問われる」としたら、それはいったいどういう社会なのでしょう? もちろん「努力しなかった結果はしっかりと受け入れなければならない」という道義的な理屈は成り立っても、そこに「責任」が生じるという理屈は、あまりにも飛躍があります。
新自由主義的な競争社会においては、まさにそのような考え方がフィットするのだと思いますが、本質をはき違えた論理だと思います。
努力は本人が自主的、主体的にするものであって、第三者が努力しろと強制する権利は本来どこにもありませんし、努力しなければいけないという義務など存在しないのです。当然そこに責任など生じるものではありません。
「責任」は「自由」と表裏だとしたら、雇用者と被雇用者ではどちらの自由度が高いでしょうか? マルクスは、資本家は生産手段を持っていて、だからこそ労働者よりもはるかに有利で自由な立場に立っていると言います。自由と責任は表裏一体だとするならば、自由度の高い雇用者のほうがより責任が大きくなるということは当然の帰結です。そう考えるならば、正規雇用と非正規雇用の二極化によって起きるさまざまな出来事に対して、本来責任を持つべきは雇用者であり、資本家の側だという結論になるはずです。
私は、非正規雇用者に向けられた「自己責任論」は、雇用者側が本来取るべき責任を、自由度の少ない弱者に転嫁する「責任転嫁論」にほかならないと考えます。むしろ「自己責任」を追及されるべきは雇用者側ではないでしょうか?流動性が高く、いつでも辞めさせることができる安い労働力を必要としていたのは、雇用者のほうです。自分たちの都合で仕組みを変えておきながら、その責任を被雇用者に押し付けるというのは、二重の意味で厚かましい。それこそ「下品」なやり方です。ことほどさように、世の中は下品力あふれる人たちの厚かましい論理が、あたかも正論のようにマスメディアに乗って流布されるのです。この転倒した世の中で、下品になりきれない多くの人たちが、心を折り、心を病んでしまっています。
ここからはsurume blog参照です。
こちらはコラムと共に私が自己責任論について関連するなと感じたところをかなり抜粋しています。
読んでいただけるのは勿論嬉しいですが、是非スルメコラム(surume blog)のほうでも読んでみてください。
能力主義や生産性至上主義の虜になっていると、自己中心的になる。
自分の業績、自分の成果、SNSでの自己アピール、自分への評価・・・といったものに囚われてしまい、自分のことで精一杯になる。
自己責任論の蔓延する社会では、それが称揚される。
業績中心主義こそが価値である、と思い込んでいた。だからこそ、論文を書きまくらなければならない、講演を引き受けねばならない、と必死になっていた。でも、子育てをし始め、生産性至上主義から戦線離脱をせざるを得なくなってはじめて、「なにが価値であるか」を再考せざるを得なくなった。放っておけば死んでしまう赤子、その赤子のケアに必死になる妻を放置して、自分だけが業績を積み重ねることに本当に価値があるのか?
政治の究極的な課題は、ターナーによれば「価値を領有するための闘争でさえもない」のだ。それはなにが価値であるかを確立するための闘争である。
教育社会学の視点から、桜井さんは能力主義を根源から問い直す。
「能力の個人化」が業績主義に結びつき、それが社会の既定路線になっている。時代のデフォルトは『個人で生き延びろ』(個人化)である。子どもの貧困問題についても、解決の方法として『学習支援』が注目されたため、子どもの将来に大きく関わっている雇用や深刻な不平等の改善という争点は周縁化され、脱政治化されてきた。現代の市民社会において、人々の生存の軋轢は未解決のま取り残されている。経済的に苦労している子どもへの支援には、現金が提供されるのではなく、就学や就職への機会が提供されている。機会を奪われているから、機会を与えよう。そこで力を出しなさいという支援は、彼ら・彼女らに機会を与えれば、がんばることができるだろうという自立支援だ。貧困家庭から抜け出すために、「努力すればなんとかなる」のだから、「学習支援」を受けて、高い学歴をつけて、脱出せよ。その価値前提には、『個人で生き延びろ』(個人化)がある。この問題の個人化こそが、そもそも問題なのだ。子どもが努力を必死にしなくても、生き延びられる社会になっていない。「能力の個人化」がデフォルトになっていて、努力できないなら、支援を受けられなくても仕方ない、とされる。「貧困家庭に学習支援を」という制度設計は、「業績承認=能力主義」を肯定した上で、そこから脱落し塾に行けず基本的な学力が不足する貧困家庭の子どもたちにも、「制度的平等」を果たす再配分を行う、という方法論である。でも、貧富の差の拡大の元凶に「業績承認=能力主義」があるならば、元凶を考えず疑うことなく、貧困家庭にも教育をすれば良い、というのは、貧困を生み出す価値前提を問うことなく、結果的に貧困になった人も、その価値前提の中で闘うための「制度的平等」を用意し、それでも脱落したら「自己責任」「努力不足」と問題を個人化する論理である。今の社会の価値前提を揺るがさない範囲での、「働かざる者食うべからず」という論理はそのままにしての支援に限定される。
世間の求める努力をしなくても、つまり「業績」や「学歴」がなくても、標準的な生き方とは違っても、生きていくことが社会的に保障されている。その前提があるからこそ、「自分で自分を認める、そうなれる状態」が生まれてくるのである。それが「存在承認」である。そのためには、学校など、様々な制度のあり方も変わっていく必要がある。現代では『個人化』と『業績主義』に基づく社会へと移行した結果、あらゆる問題処理は個人に任せられることになり、社会に見放されて孤立した個人が不安や恐怖に飲み込まれている。
学生達が「迷惑をかけるな憲法」に従い、迷惑をかけないように必死に「自らのふるまいを監視」するなかで、その規律権力によって学生達は自ら排除され、自発的に搾取され、剥奪感を抱くようになる。だからこそ、「生きづらさ」がこの10年20年と累積的に子どもたちに広がり、不登校やリストカット、自殺などが増えていく。それはあまりにディストピア的社会である。
貧困家庭であっても、本人に障害があっても、どのような状態の子どもも、社会的に望ましい振る舞いや能力を発揮していなくても、『共同的なものを規定に、自分を自分で承認しうる所得配分を前提にした状況』が「存在承認」であって。そういう共同性は、努力を前提としない所得配分と結びつかないと、「あの人だけズルい」「働かざる者食うべからず」といった価値規範に引きずられてしまう。そういう悪平等からどう距離をとって、一人一人の「他者の他者性」が認められるか、が問われていると、ぼくは受け取った。
著者は努力を否定しているのではない。でも、努力できる環境が剥奪されている人には、努力の前に、安定的に暮らせる経済的基盤が必要だと説く。それを保障せずに、努力しなさいという競争環境を提起することは、過酷だと言うのである。
貧困な家庭の子ども、だけでなく、障害のある子やヤングケアラー、あるいは家族の不和がある、本人が家族や学校とうまく折り合いがつけられないなど、様々に「苦労している子どもは、精神的にも社会関係的にも安定を奪われているという現実の見立て」が、必要なのだ。その際に必要なのは、競争環境の提供ではなく、精神的・社会関係的・経済的な安定の提供なのだ。それはもちろん、学校の役割だけではない。子ども家庭庁が出来たが、子ども福祉として、教育や福祉の垣根を越えて求められるのが、子どもたちの様々な安定的基盤の提供であり、そのサポートなのだ。それがあって初めて、子どもたちは「存在承認」がなされる。そして、自分自身への「存在承認」があれば、他者の存在も認められる。自分たち自身による排除や搾取、剥奪をしあう「迷惑をかけるな憲法」が息巻く社会を越えるためには、そういう価値転換が必要なのだ、と気づかされたキーブックとなった。
「保育園落ちた、日本死ね」というのは、共働きで子育てをしようとしたら「突然ぽっかり開いた」待機児童という法律や制度のすき間にこぼれ落ちてしまった人が、「私はここにいる!」と異議申し立てをした、「すき間の可視化」だった。
個人が経験する逆境は、しばしば社会構造において生じる排除を背景に持つ。そういう風に自己責任や問題の個人化がされると、足元の困難で必死な本人は反論しにくい。
逆境は、排除と連動する。
本人がまず直面するのは足元の困難であり、穴を生み出した横方向の社会構造的な排除は隠されている。
垂直的な逆境と社会的排除の横の拡がりが交差する地点(すき間)に、
人は立たされる。すき間は逆境でもある。
「日本死ね」という悲痛な叫びは、保育園に預けて働きつづけて税金も納めようとするのに、なんなんだよ!という社会構造的な排除に対する怒りの言葉から出てきた。
「社会的排除の横の拡がりと、垂直的な逆境とが交差する地点に人は立たされ」た時に、これは私だけのせいなのか!と異議申し立てしたからこそ、可視化したものである。それほど、縦軸の自己責任や問題の個人化の圧力は強いし、そうやって縦穴の間口を拡げることにより、「穴を生み出した横方向の社会構造的な排除」はますます見えなくなっていく。
幼稚園のは一つのたとえだが、
すき間の穴に落ち込んで、社会的な排除を受けている人を、自己責任だとか努力不足だとか、諦めも必要だとか、そうやって糾弾してはいないか。
自己責任論と相反しそうな、
「ケア中心の社会とは何か」を考えてみたいと思います。
20歳の大学生の世界。今の20歳は、すごく生きづらそうです。
真面目な「よい子」で頑張って社会的な評価を得ようとしています。努力すれば報われる、と言われ続けてきました。彼女や彼は「周囲に迷惑をかけてはいけない」を深く内面化しています。
周囲の目を気にせずしたいことをするのは「わがままだ」と思い、「迷惑をかけない」ために、必死になって取り繕っています。まるで「他人に迷惑をかけるな憲法」の世界の住人のようです。真面目な努力と「迷惑をかけるな憲法」に従うと、「世間にとって都合のよい子」が生まれていきます。弱肉強食的なシステムに順応するにはもってこいの生き方です。でも、何か大切なことが欠けています。それは、自分のありのままを大切にする、という意味での、「自分へのケア」です。
娘の世界には、まだ「他人に迷惑をかけるな憲法」がありません。朝起きた瞬間から夜眠る瞬間まで、好奇心旺盛で動き続け、おしゃべりし続けています。「あそぼー」「おなかすいたー」「つまんない」「ねむたい」と思うことをストレートに伝えてくれます。忖度とか「空気を読む」大学生とは真逆の世界で。娘は世界への信頼感に満ちています。信頼できる親や大人たち、何人もの友だちに囲まれて、護られているという安心感があります。だからこそ、のびのびと自分の気持ちを表現できます。他者から気を配られる(ケアを受け取る)からこそ、自分へのケアができる、そんなケア関係が成立しています。ただ、親や先生が「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」と子どもに圧力をかけると、このケア関係は簡単に崩れ去ります。
そこに「迷惑をかけるな憲法」が植え付けられると、六歳の頃のハツラツさは失われ、「他人の目」におびえる20歳まで一直線です。
なぜ、こんな落差があるのか。
それを考えるのが、三つ目の世界、48歳の私が生きる世界です。
私自身も、中学校から猛烈進学塾に通い、偏差値至上主義に染まってきました。小学校の頃は、いじめによる学級崩壊も経験しました。
自分や他者への信頼感が失われていくなかで、「良い大学や会社」といった社会の求める標準化・規格化された生き方に合わせようとしてきました。ずっと競争し続けるよう、仕向けられ、やがてそれが当たり前だと感じるようになりました。
そんな私が大学院生の頃に、別の世界に出会います。それは、障害のある人と共に生きる世界です。社会の規格からはみ出し、「社会からの落ちこぼれ」「生産性がない」などとラベルを貼られている人々が、魅力的に生きている世界です。この世界を通過すると、逆に「生産性とは何か?」「生きる価値を選別できるのか?」とモヤモヤし始めました。
誰かを排除し、優劣をつける世界は、実に息苦しい世界です。「そんなこと言っても弱肉強食、勝つか負けるかの世界だから、仕方ないじゃないか」と、20歳の大学生はしばしば言いますし、42歳までの私もどこかで同じように思い込んでいました。でも子どもと6年間、共に時間を過ごす中で、もしかして、そんな「生きづらさ」を超えていく可能性があるのではないか、と思っています。
それが、共に思いやる(Caring with)社会です。
「迷惑をかけるな憲法」に自発的に従うことをやめ、それ以外の可能性を探ること。それは、魂が植民地化された状態から脱するという意味では、魂の「脱」植民地化でもあります。
人生は、先生や親が正しい答え(正解)を知っているわけではありません。少なからぬ親や先生も、その正しい答えに縛られて、正解幻想に苦しんでいます。であれば、その正解幻想を捨て去って、自分のことを信頼し、信頼できる仲間を作りながら、ともに関わり合う、豊かな関係性にもとづく社会を作っていけるのではないか。一人一人が己の唯一無二性を大切にしながら、「他者の他者性」を尊重し、つながっていく。それが、生産性至上主義の社会からケア中心の社会への転換です。
そして、
それは自己責任論の極致にいる人には
とても大切な概念だと思います。(私の感想)
言い換えると、“べき”は裁きの言葉でもあります。
“べき”で通し、正しいことを行っている家族がどうして寒々として息苦しいのでしょうか。“べき”とは外側の基準に自分を合わせていくことです。『今』『この』『私の』肯定は、そこにはありません。基準に合致した自分だけが許される。
この本の副題に書かれている、「自己責任の罠を抜けだし、私の人生を取り戻す」ためにまず大切なのは、“べき”(=should, must)から逃れることだ、と信田さんは説いている。『今』『この』『私の』無条件な肯定はそこにはない。そうではなくて、親や先生、大人や世間などの「外側の基準」に合致したときだけ許される。そういう条件付きの承認が“べき”なのである。さらに、査定基準としての「裁きの言葉」を内面化することで、それができていない自分をどんどん追い込んでいく。
『人に迷惑をかけちゃいけません』というフレーズを内面化して、自分の気持ちよりも墨守すべき基準(=“べき”)と頑なに守っている人達が少なからずいる。それは「支配」だと信田さんは喝破する。そして、そういう外的規範が棲みついた時、「真綿で首を絞められるようにその人を追い詰めていく」のである。
つまりそういう支配を受けて今の私がいるということ、まったく純白のところから私たちが色をつけられたのではなくて、支配のもとにあって、影響を受けながら今このように生きていることを認める。
共依存は、アルコール依存症の夫に依存する妻が夫をそそのかす、という文脈で使われていたが、という文脈で使われていたが、それは夫の暴力を免責し、被害を受ける側にも問題があったとする「被害者有責論」につながる危険な発想だという。
能力主義の理想は個人の責任という概念を極めて重視する。
人々に自分(個人)の行動の責任をある程度まで背負わせるのは良いことだ。道徳的主体として、また市民として、自分で考えて行動する能力を尊重することになる。
だが、道徳的に行動する責任を負わせることと、
我々一人一人が自分の運命に全責任を負っている と想定する事は、
全く別である。(p52)
この2つが渾然一体となっているのが、能力主義のややこしいところだ。
道徳的に行動する責任を免責するつもりはない。でもたまたま勉強ができたかどうか、受験勉強をうまくすり抜けることができたか失敗したか。それは、人間の様々な能力の中のごく一部分にすぎないのに、例えば高卒か大卒か、とか、有名大学を出ているかどうか、で、その後の自分の運命が大きく変わったり、それも自己責任といわれると、それは何だかおかしいのではないか、と思う。
自己責任論と向き合い続けてきた。そして自己責任論の背景に能力主義の弊害があるのではないかと思い続けてきた。ただ能力主義を頭から否定することはできない。なぜならばその能力主義社会の中で、僕自身も生きてきたのであり、ある時点まではその能力主義の果てしない競争に自分自身もしっかり乗ってきたからである。
「能力主義者は、あなたが困窮しているのは不十分な教育のせいだ!
と労働者に向かって語ることで、成功や失敗を道徳的に解釈し、学歴偏重主義(大学を出ていない人々に対する陰湿な偏見)を無意識のうちに助長している。事実をよりよく理解しているものは仲間の市民に代わって決定を下したり、あるいは少なくとも彼らを啓発すべく、市民自身が賢明な決定を下すために知るべきことを教えてやったりすれば良いのだ」という「上から目線」は、「大卒の知的エリートである私は事実を知っていて、高卒の無学なあなたはそれを知らない」という非対称性に基づく上から目線の「陰湿な偏見」をはらんでいる。
精神病、ホームレス、自殺、ゴミ屋敷、犯罪者の更生・・・こういうカテゴリーは、どれにも「社会の落伍者」といった偏見やマイナスイメージがついており、かつ「自分はそうならない」と思い込みたい人にとっては、見たくもない現実である。
昔から「自己責任」論や懲罰・排除の対象論、あるいは「仕方ない」「どうしようもない」という諦めのラベリングの対象でもある。「ああいう人って、どうしょうもないね。誰か何とかしてくれないかしら」と。
抱え込んで、結局たらい回しにしたり、自己責任と放置していた案件について、その「悪循環構造」に目を向け、それを断ち切るための手厚い継続的な支援を行った県がある。
「福祉事務所では出来ないことを、ノウハウを持つ民間の支援員チームに委ね、行政の取るべき責任と取れない(それが得意ではない)責任をわけ、役割分担をして総力戦で取り組んだ」
こう書くと、「そんなことをするのは甘やかしだ」「自己責任ではないか」という非難の声も聞こえそうだ。ただ、そんな安易な「思考の節約」をせずに、立ち止まって考えてほしい。では、そうやって自己責任論で問題を放置して、この悪循環サイクルは止まるのか?
むしろ、10年まえには75万世帯だった生活保護世帯が200万を突破したのは、リーマンショックや不況、だけでなく、何でも自己責任論として社会的関与を放置してきた悪循環プロセスそのものの構造的な問題では無いか。
であるならば、行政が取るべき責任は、生活保護バッシングの事後対応としての保護費削減という懲罰的対応ではなくて、この悪循環プロセスそのものの「循環性を認識」し、「別の方向へと出発するプラスの循環」構造を作り出すことではないか。
そして、埼玉県はその好循環構造を、ブラックボックスを開き自らの限界性を察知し、アスポート事業という官民協働の事業を作る事で、乗り越えたのではないか。
この埼玉県の事業の根底にある価値観を、「当事者の変容可能性を諦めずに継続的に支援する」「スティグマや偏見、自己責任論に問題を矮小化しない」「対象者を孤立や孤独から救い出す」「信頼関係の構築が関係性を変える」という点にあるとすると、
実はこの悪循環プロセスを変える「好循環」構築支援は、そっくりそのまま、犯罪者の更正支援という話につながってくる。
「犯罪者は罪を犯したんだから、処罰されて当然。被害者だって許せないはずだし、そういうロクでもない連中は、一生刑務所に閉じ込めておけばいい。」「やっぱり死刑をきちんと執行する事で、犯罪を許さない姿勢を知らしめることが重要だ」という一部の常識や社会通念。
単に問題行動を止めるのではなく、人間的な成長を目指すところにあるといえる。そこに欠かせないのが、人とのつながりだ。
大半のレジデントたちは、ここにたどり着くまでの間に他者を傷つけているが、その以前に自らが深く傷つき、人間不信に陥っている。家族や親族との関係はとっくの昔に断たれ、友人や知人と呼べる人もほとんどいない。いたとしても、利益のために利用しあうような関係だ。
自分への関心が薄く、総じて人生に投げやりだ。
アミティでは、そんなレジデントたちが、自分や他者に感心を持てるように促すところからはじめる。
信頼関係の再構築が支援の全ての基本になる。アミティが行っているのは、免罪活動ではない。贖罪につなげる以前に、「自分への関心が薄く、総じて人生に投げやり」な犯罪者達に、再び「人間的な成長を目指す」希望を持ってもらうことである。
こう書くと「甘やかし」という非難を受けそうだが、本当に罪を購うためには、その罪を直視する勇気を持たなければならない。
牢屋に何年入れられても、牢屋で出来ることは、個人の自由を制限するだけであり、外的な規制は出来ても、内面の規制は出来ない。むしろ、これまで「自らが深く傷つき、人間不信に陥ってい」て、自己への信頼を全く持てない人間に、贖罪という最大級の自己との闘いに向き合えといっても、無理だ。
「問題に直面することは決して容易ではない。なぜなら、それは自分を問題行動へと駆り立ててきた、過去の記憶に向き合うことを指すから。自分につながる他者の声を繰り返し、繰り返し、耳にしなくてはならないから。それは、薬物やその他の暴力で蓋をして、感じないようにしていた『真の痛み』を感じることを意味するから。そして、自分の人生を取り戻すためにも、繰り返し、繰り返し、その忌まわしい記憶を語らねばならないから。」
ホームレスや離職者、引きこもりやニートの若者にも共通するのが、「沈黙と孤立」だ。さらに言えば、僕が関わってきた精神障害者にとって、最も苦しいのも、この「沈黙と孤独」である。
それは、標準的な家族や友人関係から疎外・排除され、「豊かな関わり合い」の関係性を見失い(あるいは幼少期から持たず)、自分自身の生きる希望を持てなくなった(そもそも最初からなかった)人々の、生きる苦悩の根源にある。→自己責任論の慣れの果て
繰り返し書くが、このような支援は「甘やかし」ではない。むしろ、本当に安全・安心な社会を目指したいなら、困り者を隔離収容しておわり、ではなく、「沈黙と孤立」ゆえに「生きる苦悩」を最大化させた人に寄り添い、信頼関係を構築しながら、その人々の人間的成長を再び願う、息の長い支援をするしかない。