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『六区』 第四章

ようやく春めいて、昼間は暑いくらいですね。
すっかり内容を忘れていたけれど、改めて読み返すと、疑問点が多い。今書いたら又全然違う話になっているだろう。一部書き直そうかな、と考え中。自分が満足出来る作品って中々書けないもんですね。しかしながら、現実とかけ離れた世界で遊ぶのが好きなんです。
今週もご一緒に違う世界へ旅しませんか?



金湖城(KAM WU SHING)

 何やら薄暗い中にギラギラとネオンが光っていた。小さな店が所狭しと並んでいて、バーやクラブのような店が次々と現われる。今まで見てきた所に比べると一番の賑わいだ。決して広くはない通りだが多くの人が行き交っていた。すぐ傍にある中華料理屋から八角や唐辛子などの香辛料と油が混ざったような刺激的な匂いが流れてくる。同時に大音量の演歌なのか歌謡曲なのかよく分らないような音楽も聴こえた。

『ここが金湖城です。左に行くと、歓楽街で、右に行くとファッション街、まっすぐ進むとここに暮らす人達の病院や幼稚園があります』
「じゃあ、まっすぐ行ってみよう」
 薇は頭を下げた。
『では、私はここで失礼します。この街は土鳳山よりごちゃごちゃしてはいるけれど、道を覚えたら迷う事はないと思います。ただ……』
薇は一呼吸置いてから続けた。
『この入ってきた通りの向こう側は行かない方がいいと思います』
 薇が指差す交差点の先の道も別段変わった様子はなく、店も煌々と電気が点いて明るく続いていた。
「どうしてですか?」
『この先のずっと行った先には廟があるんですけど、そこから先は時空が歪んでいるんです。そこに入り込むと二度とこちらには戻って来られないそうです』
『廟? それは、天后廟の事かな? そういえば、かつてうちの住人で天后廟まで行った勇気ある若人がひとりいた。その先に行くも何も、言葉に出来ないほどの気持ち悪い空間で、先に進む事は出来なかったと言っていた。薇ちゃんは行った事あるの?』
『私自身は近づいた事もないんです。知人に教えて貰ってから、つまり、ここから向こうの事は全く知らないんです』
「それはここの住民でも同じでしょうか? それとも僕らのような別の場所から来た人間だけが気をつけるべき事でしょうか?」
『どうでしょう、分かりません。ここから続く通りに人が歩いているのを見た事はあるので、大丈夫なのかもしれませんし、或いは、ここの通りまでは安全地帯で、廟から先だけが危険なのかもしれません』
 佑はしばらく向こう側を見つめていたが、特に何も感じなかった。
「分かりました。とりあえず、水樹を探してみます。薇さん、ここまで案内してくれてありがとう。僕らだけではきっと辿り着けなかったと思います。本当に助かりました」
 佑とラシータは薇が右に曲がって行くのを見送った後、ゆっくりと進んだ。確かに診療所のような小さな病院が見え、その先に店があった。看板に永祥乾洗とある。クリーニング店だろうか。そこへ入って、話を聞いてみる事にした。
「こんにちは。誰か、いませんか?」
 中から太った中年の女性が出てきた。驚いた顔をしている。
「すみません、あの」
『お客さんかい? 見た事ない顔だね』
「僕達、月圓から来ました。人を探しているんです。僕らと同じようによそから来た女の子を見掛けませんでしたか?」
『おかしな事を聞くんだね。ここはあちこちから人が集まる街だよ。よそから来る人間なんて、大勢いるさ』
「そうですよね。分かるんですけど、念の為に聞いています。名前は水樹と言うんです。もし似た人が来たら、教えてもらえませんか。僕は佑と言います」
 言いながら、カウンターにペンと紙のようなものを見つけた佑は、借りますと言って、そこに水樹と自分の名前を書きつけた。
「これ、僕の名前です。僕の名前を言えば、水樹は分かると思うんです。あとよければ、人が沢山集まる場所も教えて頂けますか?」
 中年の女性は呆気にとられたように何も答えなかった。その様子を見て、佑はポケットから天河石を取り出し、それをしばし眺めて、またポケットに戻した。中年の女性の視線が明らかにこちらに向いたのが分かった。
『うちはほとんど常連の客しかやってこない店だからねぇ。それ以外の人間はすぐ分かるさ。その水樹っていう子を見つけたら、どうやって連絡したらいいのさ。あんた達はどの位ここにいるんだい?』
「水樹を見つけるまではこの街にいるつもりです。この近くに宿泊施設はありますか?」
『そうだね。そこの永祥街を左手に曲がると、婦人服の店があると思うけど、そこをまっすぐ進むと左手に集会所があって、その横にゴールドレイクシティホテルがあるよ』
 紙に、金湖城市賓館と、書きつけた。
「ありがとうございます。連絡はそのホテルに下さい、今から行ってみます。ちょくちょくこちらの店にも来ますね」
中年の女性は最後に言った。
『あたしの名前はマリーだよ、宜しくな』
 佑とラシータは軽く会釈して出て行った。

 外に出るとさっき気づかなかった永祥街と書いたプレートが目に入った。ここの通りを左に曲がるのか。先程、薇と別れた場所に戻った。右手に服屋が二軒程並んでいる。靴屋が出てきた時、ラシータが声を発した。
『佑ちゃん、こっち』
 そこには集会所らしき建物があった。多くの人々が集まっていていかにも今から何か始まりそうだった。
「ここの住民の人達なのかな。一体何の集まりだろう」
 集会所の様子は気になったがそのまま通り過ぎた。すぐにマリーが言った通り、金湖城市賓館と書いてある看板の建物が見えた。薄汚れていて、入りづらい雰囲気が漂っていたが、二人は迷わず入った。
小さいなりにもフロントがあり、そこに男性が立っていた。
『いらっしゃいませ』
 今度はラシータが前に出る。
『今日の部屋はありますか』
 フロントの男はコンピューターに向かうとキーを叩き、すぐ返事した。
『はい、ございます。お二人様ご一泊で宜しいですか?』
『もしかしたら、数日滞在させて頂くかもしれません』
 フロントの男は再び視線を落とし、キーを叩いた。先程よりは少し時間が掛かった。
『一週間程度で宜しければ、ご用意出来ます』
 佑が横から口を出した。
「あの、ここに水樹という名前の女性が泊まっていませんか?」
 フロントの男は眉を顰めた。
『お客様の情報はお教え出来かねます』
 佑はここでもペンと紙を見つけて、名前を書きつけた。
「でしたら、それらしき人がいたら、僕の事を教えてもらえませんか? 僕が会いたがっている事を伝えて頂くだけでいいのです」
 フロントの男は無言でこちらをただ見ていた。
『とりあえず、チェックインさせて下さい。僕らはとても疲れているので』
 ラシータはカードのようなものを見せていた。フロントの男はそれを見て驚いた様子をしつつ、丁寧な態度でホテルの説明をし、鍵を渡した。部屋は902だった。エレベーターで上がり、部屋に入った。必要最低限のものだけの簡素な部屋だった。
「さっき見せていたものは何? あの人急に態度が変わったようだったけど」
『さっきの、身分証だよ。僕が月圓の代表だと知って、びっくりしたんじゃない?』
 そうだ。時々忘れがちになるが、十代の少年のようなラシータは佑よりずっと年上なのだ。もっと言えば、さっきのマリーよりも。
『でも、身分証より、佑ちゃんがさっき取り出した天河石の方が、よっぽど人の心を開く力があるね』
 佑は笑った。
「むしろ俺だけがその価値が分からない」
『伝説の石だからね。でも佑ちゃんにとっては危険な石でもある。無理矢理奪おうとする人間だっているだろうし』
「水樹と会えたら、石なんかどうでもいい。でも、この石は彼女と会う為に必要みたいだ。俺も記憶が朧気だけど」
『その石を持つ者は、佑ちゃんに理解出来るように言うとしたら、神とか王とか、地区関係なしに、とにかく皆が崇めるべき存在だよ。だから皆、その石を欲しがる。しかし、持つに値しない者が持つと危険だ。持つべき者には自然に手に入ると聞いた事がある。乱暴者は、とにかく持てば何とかなると思っているかもしれないが』
「水樹に会えるまでは、絶対に手放さないよ」
 佑はポケットの中に手を入れ、石を握りしめた。

「ラシータ、どうする? 万一、水樹がもう既にここを発った後だったら。この先はどこになる?」
佑は地図を出して聞いた。ラシータが覗きこみながら答える。
『金湖城の隣は“火道(ふぉどう)”という地区だね。ここは更に特殊な場所だから、もしここに向かったとしても、長くはいれないと思うよ。噂では灼熱地獄らしいから。だから逆に言うと、戻ってくる確率は高いと思うんだ』
 佑が更にその次の“水郷(そいひょん)”地区を指差した。
「戻らず進む可能性は?」
 ラシータが佑の差している地点を凝視しながら言った。
『たぶん、ないね。僕が知る限り』
 一呼吸を置いて続けた。
『そこには陸がないから』

ラシータの話が真実なら、この金湖城をくまなく探せば、水樹に会える可能性は高そうだった。しかし、“水郷”地区の陸がないとはどういうことか。
 佑はその夜、夢を見た。水樹がベッドで眠っている。窓からは日が差して眩しい位だ。水樹は規則正しい呼吸を静かに続けている。佑はそれを見つめている。その呼吸音と自分の呼吸音が重なる。祈るように見つめていると、ゆっくりと水樹が目を開いた。目と目が合うと彼女は微笑んだ。ありがとう、と。

 その瞬間、佑も微笑み返す。はっきりと自分にも言い聞かせるように言う。

きっと、うまくいく。どんなに長くかかろうと諦めない。水樹も覚えておいて。想像を超えたところに、真実があるということを。

 目を覚ますと、涙が零れた。夢を見て泣くなんて女々しいなと思いつつ、手で拭うと、ベッドから起き上がった。
『おはよう』
 ラシータは既に身支度を整えてソファに座っていた。
「おはよう、早いね」
 ラシータは肩を竦めた。
『朝には強いのさ。朝食を食べたら、街に出よう』
 佑は頷き、まず顔を洗って、気を引き締めた。

 ホテルのレストランで軽く食事を済まし、外に出た。あてもなく歩いて昌安街に入ってすぐに亞星水族と書かれた大きな看板の熱帯魚専門店が目に入った。
「綺麗な魚がいるね」
店前にワイヤーネットにパンパンに膨らませたいくつもの水袋がつり下げされている。赤や黄、緑や青などカラフルな色の魚が袋の中に入っている。下には水槽が置かれていて店の中へと続いている。ディスカスやネオンテトラ・・・奥の方にはアロワナもいた。紅尾金龍と書かれてあって、尾が紅く体が金色だ。
『こういう店って儲かるんだろうか』
ラシータは水槽を見つめながらも、熱帯魚には興味がなさそうだった。佑は真剣に見つめている。客は他にはいないようだが、店員が出てくる事もなかった。ラシータが奥に入ってから佑を呼んだ。
『あそこにチケット売り場がある』
 ラシータの指差す方向へ目をやると、カウンターのような窓口があって、そこには三人程列が出来ていた。熱帯魚のお店でもあり、色んな公演のチケットも扱っているようだ。全然関係性のない分野だが、それで均衡が取れているのだろうか。二人で近づくと、舞台やライブなどの情報が壁一面に貼ってある。流し目で見ていて、一枚の広告に目が止まる。
 場所、空藍箱 開演時間下午七時、出演、高田水樹、張燕、王青夷、etc.…
「ラシータ、これ!」
『この、ひとりだけ浮いたような名前は』
「水樹だよ。どうして舞台に…」
 とにかくチケットを買うことにした。今日の当日券が買えた。
「この空藍箱という芝居小屋にとにかく今夜行ってみよう」

夕闇が深くなった景色をホテルの部屋の窓から眺めていた佑は、ここからの眺めは自分がかつて居た場所とかなり似ていると感じていた。それでも、この街並はどちらかと言うと水樹の好きな香港に酷似している。
 ドアがノックする音がしてからややあって、ラシータが入ってきた。
『佑ちゃん、ずっとここにいたの? 近くの粥麵屋でテイクアウトしてきたから、軽く腹ごしらえしてから舞台見に行こう』
 ラシータがビニール袋から、プラスティックの容器に入った粥とゆがいた青菜のオイスターソースをかけたものと焼きそばのようなものをテーブルに広げた。
芝居のチケットを購入後、ラシータは金湖城の街をひと巡りしてきたらしい。佑はそのまま空藍箱という芝居小屋の場所だけ確認して部屋に戻った。その場所は薇が近づかない方がいいと忠告を受けた“通り”だった。しかし、別段おかしな所はなく普通だった。

 食事を終えて芝居小屋へ向かった。金翔道というプレートが交差点の先に光って見える。それを見て、ラシータが言った。
『ここ、薇ちゃんが行かない方がいいって言っていた道じゃない?』
「そう。さっき下見に来たけどね。何も怪しい感じはなかったよ。芝居小屋がある位だし』
 ラシータもそれ以上は何も言わず、佑の後をついてきた。この通りはバーやライブハウスが並んでいて、むしろ賑やかな位だった。しばらく歩いて右側に空藍箱が出てきた。更にその先を見ると、随分先まで繁華街が続いているように見えた。
 空藍箱の受付カウンターでチケットを提示して中に入る。お客さんは結構来てるようだった。三百人程が入る小さめの会場だった。指定席ではなく自由席なので、なるべく前方を選んだら、端の席になった。会場には静かなピアノ曲が流れている。ステージの臙脂色の幕を見つめつつ、佑は胸を高鳴らせた。
 ややあって、幕が上がり、先程のピアノ曲が大きく流れ、観客は拍手した。物語は病弱な女の子がベッドの上で寝ている所から始まった。場面は変わり、深いジャングルの中に入ったり、変わった世界に行ったり、珍しい場所から場所に移り、最後は再びベッドに戻った。女の子が不思議な場所にあちこち行って色んな体験をし、精神的に成長して戻ってきて、目が覚めると体も元気になっていた、という内容だった。
 物語は変化に富んでいて、飽きなかった。知らず知らずの内に惹き込まれた。しかし結論から言うと、佑は絶望していた。登場人物ひとりひとりに目を凝らし、カーテンコールでさえ注意深く見たが、そこに水樹の姿はなかった。
 終演後、スタッフをつかまえて水樹の事を聞いてみた。
『高田水樹は昨日までの公演で終了しました。本日から別キャストで公演を行っております』
 高田水樹の連絡先を聞いてみたが、教えては貰えなかった。外に出て改めて貼ってあるポスターを見ると、確かに水樹の名前はなかった。佑は何度も出演者のリストを見直したが、間違いなかった。
「ラシータ、これタイミングが悪かったって事? 今日あの店で見たポスターは新しいものに貼り替える前だったって事? 昨日気づいていたら、こんな事には…」
『落ち着いて、佑ちゃん。とにかく戻ってこれからどうするか考えよう』

 ホテルに戻ると、フロントの男が声を掛けてきた。
『お客様、メッセージが届いております』
 そう言うと、紙を渡された。佑は礼を言って、すぐそれを開いた。クリーニング店のマリーからだった。横からラシータが見て読んでくれた。

『探している水樹って子の事だけど、空藍箱の舞台に出ている、だって。もう遅いよ、この情報』
 佑は更にその下に並んだ数字を見た。
「これ、電話番号かな?」
 部屋に戻ってから電話をかけてみた。すぐに繋がった。
「メッセージ受け取りました。さっき、舞台も観に行ってきた所です。マリーさんはこの情報どこで知ったんですか?」
『佑かい? この女の子には会えたのかい』
「いえ。一足遅かったようです。昨日だったら居たようですが」
マリーは一瞬黙った。それから躊躇うように言葉を発した。
『本人が来たんだよ』


 佑は耳を疑った。
「いつですか!」
『今日の夕方だよ。衣装を取りに来たんだ』
 舞台を観ている頃だろうか。
『受け取り票を見て気づいたんだ。佑が捜していた名前の子だってね』
「連絡先分かりますか?」
『電話番号しか分からない』
マリーの言う番号を急いでメモに取った。
『あんたの名前をあの子に伝えたよ』
「そしたら?」
佑は思わず受話器を握りしめた。
『知ってる、と言っていた』
 知ってる? どういう事だろう。捜している事を知っているならどうして目の前に現れないんだろう、と佑は思った。
「他には?」
『他には何も。佑が会いたがっている事だけは伝えておいたよ』
「それを聞いても水樹は何も言わなかったんですか?」
『そうなんだよ。でもあたしが見る限り会いたくないという風でもなかったけどね』
 電話を切った後で佑はよく分からなくなった。水樹は自分を捜し出してほしくないのか。ポケットの中の天河石を取り出して見つめた。
『佑ちゃん、水樹の居場所分かりそう?』
ラシータが心配そうに尋ねる。
「マリーさんから聞いた電話番号に掛けてみるよ」
 電話の受話器を再び取った。
『お電話有難うございます。こちらは空藍箱です。只今の時間は営業時間外です』
 どうやらあの芝居小屋の電話番号のようだ。電話を切って、溜息をつく。
「今日の夕方にマリーさんの店にいたのなら、まだこの街を出ていない可能性だってある」
 佑はそう言うと、ホテルの部屋から飛び出した。ラシータも慌てて後を追いかける。


空藍箱のあった金翔道に戻ってきた。ここは電気が消えていたが、周囲の店はまだ煌々とネオンが光っている。そのまま真っ直ぐ佑が走っていくと、ラシータが後ろから声を掛けた。
『行き当たりばったりで捜すの? そっちは薇ちゃんが行かない方がいいって言っていた方向だよ』
 佑は走り続ける。明るかった道が段々寂しくなった。細い十字路に出て、左手に廟らしき建物が見えた。
『佑ちゃん、天后廟だよ! その先は行っちゃダメだ!』
 その言葉でようやく佑が立ち止まった。ラシータが追いついた。
『もう遅いし、明日また捜そうよ』
 佑が天后廟を見ると、真っ暗な中、二つの明かりが見えた。
「月圓の人がここまで来たんだよね? 進みたくても進めない程気持ち悪かったんだよね? 俺、何ともないけど」
 ラシータは佑の顔を見た。それから自分の両手を見て頭を振った。
『そうだね。今の所何ともない』
 佑は少しずつ天后廟に近づいた。ラシータも後に続く。
『中に入るの?』
 佑が石造りの閉じられた門の前に立った。門の左右に灯籠が掲げてあり明るかったが、その門を押してもびくともしない。
『この門は開きそうにないね』
 ラシータが、門の中心に円形に模られた所に右手を置いた。
『大体門の取手がないから引っ張る事も出来ない』
 佑がラシータの手を置いた所を見た。確かにこの丸い部分は浅く凹んでいて、掴んだりするようなものではなさそうだった。

「明日改めてもう一度クリーニング店に行ってみるよ。電話だけでは分からない手掛かりが他にあるかもしれないし」

 翌日、クリーニング店が開店する頃に“永祥乾洗”に行くと、マリーがシャッターを開けている所だった。声をかけると、こちらに気づいて、中に入るように言った。
『まだ聞き足りない事があるのかい?』
「昨日はメッセージ有難うございました。マリーさん、僕の名前を伝えてくれたんですよね。そしたら水樹が逆に僕の事を捜してくれるかもしれないって思って。もし再びここに来る事があったら、全部話してほしいんです。僕が今ゴールドレイクシティホテルに居る事も」
 マリーは頷いた。
『勿論伝えておいたよ』
 でも連絡はなかった。何故だろう。本当に会いたくないのか。それならば自分が必死になって捜す意味はあるのだろうか。佑はどうすればいいのか分からなくなった。
 黙って佇む佑を眺めて、マリーは溜息を吐いた。
『その水樹って子がどう思っているかは置いといて、あんたはずっと捜して来たんだろう? そしたら見つかるまで捜すしかないと思うよ』
 佑はただ自分の足元を見つめていた。
『手掛かりらしい事は何もないけど、一応まだこの街にいる可能性はゼロじゃないし』
 マリーはカウンターの中に入って、引出しを開けて、一枚の紙を取り出した。
『これ、水樹が持ってきた受け取り票だよ』
 差し出すマリーの手から紙を受け取った。広げると、受付日、名前、預かった物の種類などが記載されていた。紙を裏返すと、○×○×→F0 と暗号のような文字が記されていた。
「何だろう、これ」
『ああ、あたしも気付いたけど、メモ用紙代わりに使ったんじゃないか。意味は分からないけどね』
「これ、貰っても構いませんか?」
『いいよ。取りに来たら破棄するものだしね』
「後ひとつ聞いてもいいですか? ここの天后廟って、特殊ですか?」
『うーんどうだろうね。他の天后廟を知らないから比べようもないね。なんだい、行ってみたいのかい?』
「もう行って来ました。でも、中に入れなかったんです」
『ここの天后廟は決まった日しか一般の人は入れないんだ』
「どうしてですか?」
『さあ、よくは知らないけどね。ここに海の神様を祀っている事自体、あたしには不思議でならないよ』
 佑とラシータは礼を言って店の外へ出た。
「どうしてこの街に海の神様を祀っているんだろう?」
 ラシータも首を捻る。
『それも疑問だけど、決まった日がいつなのか気になるね』

 二人は恒豊街に入ると、前から薇が歩いて来るのが見えた。
『薇ちゃん、今日も買い物?』
ラシータが手を振りながら大きな声で言った。薇は軽く会釈して答える。
『ええ、偶然ですね。あれから進展はありました?』
「昨日までこの街に居た事は分かったのですが、また一からって感じですね」
 佑はかいつまんで、今までの経緯を話した。

『舞台ですか。私の知り合いがその空藍箱にいるので、訊いてみましょうか?』
「是非、お願いします!」
三人で向かった。例の交差点まで来ると、ラシータが金翔道のプレートを指して言った。
『この間、ここで薇ちゃんがこっちには行かない方がいいって言っていたけど、大丈夫だよね?』
『ある所までは。でも、その境目がよく分らないので、あえて避けた方がいいと思ったのでそう言いました』
「昨日この道のずっと先まで行きましたが、特に変わった様子はなかったですよ。天后廟があったくらい」
 薇は佑の方に顔を向けた。
『廟まで行ったんですか? 大丈夫でした?』
「門扉が閉ざされていて中に入れなかったですけどね」

 空藍箱に着くと、薇が一人中に入っていて、しばらくすると戻ってきた。
『今、呼んで貰っています。ロビーの椅子に座って待ちましょう』
 三人で革張りのソファに腰を下ろした。
『天后廟って、決まった日しか入れないんだって』
『そうですか。いつです?』
「僕らもそれが知りたいんですよね」

 一人の男性が近づいてきた。反射的に佑は立ち上がった。
『薇、どうしたんだい?』
『忙しい所ごめんね。ちょっと訊きたい事があって。一昨日まで出演していた人の事だけど』
「ずっと捜してここまで来たんです。高野水樹の居場所を教えて下さい」
 佑は、薇が説明するのを待つ事さえもどかしくて途中で話し始めた。
 男は、今ここにはいません、と言ってから一瞬黙ったが、ややあって口を開いた。
『主役が倒れて、急遽代役を探す事になったんです。オーディションを開いたら、高野水樹が抜群に上手くて大抜擢されたとか。最初のうちは“土鳳山”からここまで通っていると聞いた気もします。昨日からは元の主役が戻ってきて、この舞台での彼女の役目は終わりました』
『今も“土鳳山”にいるのかしら』
 あのややこしい移動手段で水樹がここまで通っていたなんて信じられない。
「何か他に気づいた事があれば何でも教えて下さい。どんな些細な事でも」
 男はちょっと考えてから、そう言えば、と思い出した事があったようだった。
『彼女は天后廟の参拝をしたいと言っていました。でも、あそこはたまにしか一般に開放されないからまだ参拝は出来てないのじゃないかな』
 佑は思わずラシータの顔を見る。
『いつ一般開放されるかご存じですか?』
ラシータが畳みかけるように聞く。
『そこまでは残念ながら分かりません。そうだ、成和街の集会所に行けば知っている人がいるかも』
 佑は自分が泊まっている金湖城市賓館のすぐ横に集会所があった事を思い出した。
「ありがとうございます! 行ってみます!」

 三人は空藍箱を後にした。
「今日は本当にありがとう、助かりました」
 佑は薇に心から感謝した。薇がいなければ、ここまでの情報を掴めなかったからだ。
『少しでもお役に立てたなら私も嬉しいです。集会所に廟について詳しい人がいるといいですね』
 薇とそこで別れた。ラシータは大きく手を振って名残惜しそうにした。

 集会所に着くと、前と違って閑散としていて人がいない。事務所のような窓口に一人いたので、話しかけた。
「すみません、お尋ねします。天后廟の一般開放はいつか分かりますか?」
『少々お待ち下さい、……次は、三日後ですね。その次は一ヶ月後になります』
 三日後! 余りの急展開に佑は全身に鳥肌が立った。
「ところで、高野水樹という人を知りませんか」
 聞いてみたが、事務所の人は頭を左右に振った。
『開放の時間帯は朝十時から夕方五時までなのでご注意下さい』

 佑とラシータは晴々とした気持ちになっていた。街を歩きながら、スキップでも始めてしまいそうだった。 
「三日後、朝一から天后廟の前で待てば、必ず会えるはず」
『よかったね、佑ちゃん。今度こそ会えるね』
 三日後、早めにホテルを出た。天后廟に向かう道すがら、話した。
『会えたら何を話すの?』
「ずっと捜していたよ、心配したよ、きっとそんな風に簡単には言えないかも。今度こそ会えると思ったら、緊張してきた」
 ラシータは佑の肩を叩いた。
『何も言えなくても、思いは伝わるんじゃない? 彼女は佑ちゃんが捜している事を知っているんだろう? マリーが言っていたじゃないか』
 水樹がどう思っているかは分からない。もしかしたら捜さないでほしいと思っているのかもしれない。それでもあってきちんと話したかった。
 
空藍箱までやってきた。更に進む。すると人だかりが見えた。近づくと、その人だかりはどうやら天后廟まで続いているようだった。
「何これ。こんなに大勢の人が」
『皆、参拝の人だろうか』
二人は戸惑いつつも、人々を掻き分けながら、水樹を捜した。
『ちゃんと並んでくれ。何時から待っていると思っているんだ』
 一人が佑に注意した。
「すみません、人を捜しているんです!」
 前に進む度に人の密度は高くなり、次第に前に進めなくなった。見かねたラシータが近くの人に尋ねる。
『いつもこんなに人が多いのですか?』
『そうでもないね。今日は特別多いみたいだよ。巫女の選出があるから若い娘も各地から来ている』
 周りを見ると、確かに若い女性も多くいるようだった。「巫」と書いた襷を付けている。
「こんな大きな行事のある日だなんて思わなかった」
 佑は溜息を吐いた。
『巫女の選出は誰でも参加出来るものじゃなく、申込をして、あの襷が届いた者の中から、今日最終選出で決められる』
「どんな人が選ばれるのです?」
『最終的に何が決め手になるのかは分からんが、霊験あらたかな廟の巫女だから、霊能力が問われるだろうな』
 水樹も今日が巫女の選出の日と知っていたのだろうか?
 佑とラシータは少しずつでも前に進みつつ、水樹がいないか捜した。時々、人を捜していますと言いながら。
次の瞬間、どよめきが走った。太鼓の音が鳴っている。始まったのかもしれなかった。
『佑ちゃん、彼女がこれに参加している可能性もあるのかな』
水樹が? まさか。何の為に。
「とにかく、中に入ってみよう」
 やっとの事で天后廟の前まで来た。門が開いている。そこからは水樹の名前を呼びつつ中へ進んだ。
 白い衣に身を包んだ若い女性が一列に並んで、自分の立っている前に桶を置いている。そこに一旦足を入れてから、手を合わせ、一心に念仏のようなものを唱えて、桶から出て、敷かれている白い布の上を順に歩いて、本堂に入っていく。しばらくするとこちらへ戻ってくるが、その時には巫と書かれた襷は外されている。

 目を凝らして周辺に水樹がいないか見た。その様子を見ている人達をまんべんなく見たが分からなかった。念の為、巫女の選出から戻る女性達も見たが、いなかった。
『朝一番に来て、もう帰ったのかな』
「それか、見逃がしているかだ」
『僕は彼女の顔を知らないからね。佑ちゃんが見つけるしかないんだよ。これに関しては、僕はサポートする位しか出来ないから』
「うん、分かっている。ラシータはいてくれるだけで心強いよ」
 その後も長い間人の流れを見たが、水樹は見つからなかった。気づくとひどく疲れていて、お腹も減ってきた。
「ラシータ、腹ごしらえする? 何か食べて来たらいいよ。俺はここを離れられないから」
『じゃあ、何か適当に買ってくるよ。ちょっと待っていて』
 ラシータは来た道を素早く戻って行った。
 ややあって再び、太鼓の音がドンドンドン、と鳴った。様子を窺っていると、どうやら巫女の選出は終わったようだった。終わって安堵の表情を浮かべた娘達が親御さんに付き添われて帰って行く。しかし、一般参拝客の人の波はまだ途絶えない。

 これだけの人出があって、本当に水樹に気がつく事が出来るのか?
 第一、水樹が今日ここへ来ている可能性は高いとはいえ、100%ではない。

 佑は段々自信がなくなってきていた。これだけ待っても、徒労で終わるのではないか、また、糠喜びさせられるのか、と暗い気持ちがどんどん膨れ上がってきた。自分が捜している事を水樹が知っているのが事実なら、どうして姿を現わさないのか。やはり捜してほしくないのではないか。

急に、木地で会った五郎が、石の持ち主が捜してくれるのを待っていると言っていた事を思い出した。そう、確かに確信があるような口振りだった。

最初に会った一郎だってここは観念の世界だと話していたじゃないか。だったら、俺が思った通りの展開になってしまう。つまり、もうダメだと思った時点で、水樹は現れないのだ。

肩を叩かれて我に返った。ラシータが戻ってきたのだ。
『佑ちゃん、ぼうっとしていた? ごめんね、遅くなって。これ、テイクアウトしてきたから』
ラシータは右手にビニール袋をぶら下げていた。ソースのような匂いがした。
「ありがとう。でもここでは飲食は出来そうもないし、もう帰ろう」
『え? 諦めるの?』
「違うよ。ホテルに帰ってまたどうすればいいか考えるよ」
『でも、今から来る可能性だってあるよね?』
「そうだね。でも今は、ここにいても見つからない気がするんだ」

 ホテルに戻ると、またフロントの男が声を掛けてきた。
『お客様、メッセージが届いております』
『マリーさんかな?』
 ラシータが受け取って、すぐ読んだ。
『水樹が天后廟の巫女の選出に応募したらしい、だって。それはもう予想していたよね』
「うん、改めて電話をかけてみるよ」
 佑は落ち着いていた。

 部屋に戻って、マリーに電話を掛けた。
「マリーさん、メッセージ見ました。その情報はどこで分かったんですか」
『お客さんで巫女の選出に参加した女性がたまたま来てね。彼女は落ちたみたいなんだけど、見たんだって』
「何を?」
『まさに神に選ばれし女性を、だよ。丁度その人の前にいたようだよ。名前を名乗って本殿の中に入るらしいんだけど、圧倒的な存在感だったから水樹って名前も覚えていたようだ』
「僕らも天后廟まで行ってずっと見ていたんですけど、見つけられなくて」
『ああ、朝一番だったらしい。その女性が自分が一番だと思っていたら、門が開く前で頭を垂れてずっと手を合わせて祈りを捧げている人がいたんだって』
「それが水樹…」

 朝一番に来ていたのか。だから分からなかった。自分が来た時には既に中へ入っていたんだな。
 今までの佑ならここで酷く落ち込んでいただろう。しかし不思議な位頭の中が澄みきっていた。

『今日一日は火道への扉も開いているかもしれないね。天后廟の一般開放日だから』
「そしたら、今日は火道へ行けるんですか?」
 横でラシータの目が光った。
『分からないけど、あの天后廟の先の道だから。ただあそこは普段灼熱の世界らしいから誰も近づかないんだ。でも、廟が開放している時は通る事が出来るようになっていると聞いた事がある。身近の人間で行った事ある奴なんかいないけどね』
「水樹が行く可能性はありますよね」
『そうだね。可能性としてゼロじゃない。ましてやあんたに連絡がまだ来てないなら、もう金湖城から立ち去ってる事も考えないとね』
 佑は礼を言って、電話を切った。そして、ラシータがテーブルに置いたビニール袋から発泡スチロールの弁当を取り出した。開けると、白飯の上に肉の甘辛炒めのおかずがのっていた。
『もう冷めちゃったね』
「お腹も空いたし、冷めても美味しいよ」
 ラシータが冷蔵庫からペットボトルに入った水を取り出して、佑の前に置いた。
「ありがとう。ラシータも食べる?」
『僕はもう食べてきたから。佑ちゃん、今日、火道へ行くつもり?』
「うん、試してみようとは思う」
『じゃあ、フロントに事情を話して、一旦ここまでの分の宿泊代を清算してくるよ』
 出て行こうとするラシータを呼び止めた。
「ラシータ、ずっとお金を出してもらっているけど、ごめん。このまま甘えてばかりでいいのかな」
 ラシータは笑った。
『元々一緒に連れてってとお願いしたのは僕の方だし。佑ちゃんは例の石を持っている人だからね。月圓地区代表としては最大のサポートをするつもりだよ』
 佑は申し訳ない気持ちを隠すかのように素早くご飯をかき込んだ。ラシータはその様子を横目で見ながら笑って出て行った。

天河石がある限り、いつだって守られている。今までも、これからも。水樹の事もきっと大丈夫。ラシータだって傍にいる。

佑は確証もないのに、何故か自信が満ちていた。ラシータが戻ってくる前に荷物を整理して用意を整えた。二人とも荷物が少ないので時間はかからない。

 水樹がもう金湖城から出たとしても、後を追いかけるだけだ。

 ラシータが戻ってきて、二人は天后廟に向かった。もう外は暗くなっていた。金翔道のネオン街を過ぎて、天后廟が見えた時には辺りは奇妙な静けさが漂っていた。門は閉じてあった。

『あれ? 今日は一日開いているんじゃなかったの』
 ラシータが扉に手をついて、素っ頓狂な声を出した。
「そう言えば、解放時間は夕方5時までって集会所の人が言っていたような」
『万事休す、か』
 佑はふと思い出してポケットを探った。
「このメモさ、ずっと気になっていたんだけど」
『ああ、水樹ちゃんが書いたって言うメモ?』
 佑は取り出した紙を広げた。○×○×→F0
「うん。このマークさ、何かの暗号なのかな」
『F0って、火の事?』
 佑は何か思いついたように、扉の中央の丸く模られた所に手を当てた。
「ここで、丸、バツ、丸、バツ」
言いながら、指で描いてみた。ラシータが扉を押すと、嘘のように動いた。
『開いた!』
「F0って、火道の事だったんだ!」

 水樹は扉の開け方を書いていたのか。まるでこのメモが俺に渡るのを気づいていたかのように。

目の前に本堂があるが、明らかにその向こう側が大きな炎のようなものが見えた。熱風がここまで届いた。近づくと、熱さが増してくる。本堂の裏へ回ると火傷しそうな位の熱波が来た。ずっとここにいると死にそうな位の温度だ。時々火の粉も飛んできた。ラシータもさすがに怯んで、後ずさりした。

『佑ちゃん、これ、近づけないよ、どうする?』
 佑は炎をじっと見た。よく見ると、大きくなったり小さくなったり揺らぎがある。小さくなった時に近づくと、確かに道が続いているのが見えた。炎が大きくなると又後ろへ下がった。
「ラシータ、火が小さくなった時に向こうへ渡るんだ!」
 佑は渡れそうな位に炎の勢いが弱まった時に、思い切ってそこを飛び越えた。そして、ラシータに手招きした。

つづく

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