地元エッセイ(14)バイクで探報、地元のオススメスポット
保育園小学校中学校高校と通うところが変わっていくにつれて、距離が遠くなっていった。高校に至っては車でも20分以上はかかる。毎朝送ってもらうわけにもいかず、バスがあるところまで自転車で行くくらいならもう原付に乗ってしまえ、ということで免許を取った。父親がバイクが好きで、原付とはいえ息子が乗ることにどこか興奮している様子だった。ヘルメットやガソリン代を出してくれたし、故障したり、何か困ったことがあって聞いたら大抵解決してくれた。
父親に感謝していることが二つある。一つは音楽に触れさせてくれたこと、そしてもう一つが原付に乗れるようにしてくれたこと。
どちらも僕が感じていた窮屈さから抜け出せるものだった。音楽は孤独を肯定してくれ、外側に行くことの希望と内側の心の救済をしてくれた。
原付は、通学以外でもよく使った。暇だなと思ったらまたがり、用事もなく色々なところを回った。通学は派手なバイクは禁止だったので、Dioというタイプのザ原付という感じのものに乗っていたが、休みの日はJazzというアメリカンタイプの原付でよく旅をしていた。
バイクは風が気持ちいいと良く聞くが、本当にその通りだ。地元の森と川に挟まれた道を走るのは、いつでも空気が澄んでいて心地よかったし、季節によってその澄んでいる空気が変わるのを肌で感じるのは、季節の移り変わりの美しさを教えてくれた。
今回は原付でよく行った場所をオススメしていく。
まずは家の近く。
と言ってもバイクで五分以上はかかるのだが。
はじめに紹介するのは権谷小学校。
僕が本当に小さい頃に廃校になった小学校で、校舎は地元の歴史を知ることのできる資料館、体育館はイベントごとに使われるスペースになっていた。
どちらもオススメではあるのだが、今回オススメしたいのは校庭。
校舎と体育館は道路を挟んで分かれているという不思議な小学校で、そのどちらにも校庭がついている。校舎側には現在は石が敷き詰められており、駐車場のように使われている。紹介したいのは体育館側。
そちらは土が剥き出しになっており、整地されていないため、でこぼこだ。グラウンドの端には草木も生えていて、少ない遊具も錆びついている。プールの近くには屋根と畳二畳のスペースもない小さすぎる小屋があって、雨を凌げるようになっている。
その小屋も屋根も古くなっていて、全体的に廃校の雰囲気が校庭には漂っている。
そこが僕は好きだった。
かつて人が触れていたであろうもの、人が触れていなかったことで温度が失われ朽ちた、その空気感が自分のことを考える時間に最適だったし、何も考えなくてもそこにただいるだけで、孤独を味わうことができた。人がたくさんいるのにひとりぼっちは嫌だが、誰もいない本当のひとりぼっちは心地よい。
そこからさらに奥に進んでいくと、奥野川と言われるエリアだ。愛媛県の県境にもなっていて、実家に帰る二つの道のうちの一つである。ここは本当に人の気配より自然の方が多い地域で、民家にも緑の気配が迫っている。小学校同様、ここも退廃的な雰囲気があっていい。奥に行くと滝があるのだが、滝というには小さく、水の量も少ない。ちょっとした伝説がありそうな雰囲気ではあるが、昔話程度のものだ。
奥野川には実家へ帰る道と滝へ行く道のほかに、宇和島に向いて行く道がある。宇和島に向いて行く道の途中で左折するとすぐにかの有名な四万十川が見えてくる。ここは有名すぎるので、おすすめスポットからは外しておこう。
しばらく道なりに進むと、この街唯一の信号がある。そこを左折したところが次のおすすめの場所。道の駅、よって西土佐だ。わりかし有名なので、ここも紹介するか悩んだが、ここのお弁当は絶品なので、是非食べてみて欲しい。ここのお弁当と、ストローベイルSANKANYAというケーキ屋さんのケーキは、アルバイト代が入ると自分へのご褒美に食べていた。おすすめは栗系と、いちご系、そして一番おすすめがほうじ茶系だ。栗は四万十栗が有名で、いちごは店名になっているから、ほうじ茶系は、完全に僕の好みでしかない
ご飯とスイーツを食べ終えたところで実家方向に帰る。
次のおすすめは君が淵。ここは、平家の落人伝説がある場所だ。逃げてきた平家側の人間がこの地で恋に堕ちたが、身分の差から叶わぬ恋で、二人で身投げした、といったもの。少し上に登れば祀られている場所があって、そこから見る景色は、圧巻。下から見た景色も、ここから身を投げたのか、と思うとゾッとするが、下に広がる深緑の川、崖に打ち当てらてる波はどこか遠い日の陽だまりを思わせるほど暖かい。
このエッセイの写真は、そこから見た景色である。
まだまだたくさん紹介できる場所はあるが、それはいつかのエッセイでまた話すことにして、今回はここまでにしよう。ガイドブックでは知れないようなスポットを紹介できたような、結局ガイドブック以下になってしまったような、どちらともつかない。