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ショートショート05 明後日の方向
彼女はよく明後日の方向に飛ぶ。
彼女の口からそう聞いたのは、私が嫌というほどそれを思い知ったあとだった。
息を整えながら、申し訳なさそうに眉を八の字にして告げる彼女は、息一つ切らしていない。どびゅうんと大きな音を出して飛んでいったというのに、そのインパクトと相反して落ち着き払っている。
二人でコーヒーショップに入り、注文をしているときだった。俺はブラックコーヒーを頼み、彼女に何がいいかたずねた。おごってやるつもりだったのだ。
じゃあ、キャラメルマキアート。アートのちょうど伸ばし棒のところで彼女は外に吹っ飛んでいった。時同じくして入店してくれたお客様がいたので、すれすれのところで、ドアが開き、なんとか弁償は免れたが、そのお客様のスカートは勢いよくめくれ、僕は思わず目が奪われてしまったのもあって、彼女がどの方向に飛んでいったのか見るのをすっかり忘れ、彼女を見つけるのに多くの時間を要してしまった。
ごめんなさい。私、よく明後日の方向に飛ぶの。
返答は、うん、知ってる。以外の何物でもなかった。
でも今回のような室内にいる際に飛んでいくのは初めてだ。これからは室内デートは避けるべきかもしれない。
出会って最初の頃は、拳一つ分浮くくらいだったのが、鴨川の等間隔くらいになり、そして川を渡るようになった。手をつないでいる間は飛んでいこうとするのをなんとか食い止めることができたが、彼女が一人のときは、まるで風の強い日にひとりでにコンクリート道路の上に転がるビニール袋のように簡単に飛んでいった。それが今では口を結び忘れた風船が空気を吐き出しながら飛んでいくようなスピードに。
彼女の手を握る。明後日の方向に飛んでいかないように祈りながら。
ばびゅうん。
夜景がきれいだった。思わずプロポーズしてしまいそうな景色の上を舞いながら、僕は「ごめん、もう無理」と別れを告げる。
彼女は涙をこぼす。彼女の涙は空に舞う。彼女の涙の一部が川に混ざる。
さよなら。彼女が言う。そしてついに彼女は絡めるようにして握っていた手を離した。
どぼぉん。
鴨川に落ちた。
大丈夫ですか。等間隔に座るカップルの間にいた一人の女性が、心配して、スカートを濡らしながら近寄ってくる。
どうやら恋にも落ちてしまったようだ。