−43日
こんにちは。煙束 魚顕宿者です。
今日は身体改造に対する周囲のことや世間体について書いていきたいと思います。
自傷行為、美容整形、タトゥー施術などを行う際に必ずと言っていいほど付きまとうのが他人の目だと思います。「やったんだ」という事実が相手の目にどう映るかはわかりませんが、気づかれる可能性は勿論ありますし、「親から貰った大事な体に……」的な事を思われたり、言われたり、という事はよくあるかと思います。それが原因で人間関係や社会的生活にネガティブな変化があるかもしれないということは懸念するでしょう。
月並みですが、私は自分が自分らしく生きるために必要な事だと思うので、他人の目や意見は無視しています。私は生きるのが下手なために今回の施術に対しかなり切実な意味を持ってしまっていますが、例えば「可愛いからなんとなくタトゥー入れた」という場合であっても、他人にとやかく言われる筋合いはないです。あなたの体はあなたのものだし、あなたの見た目について口を出していいのは医師だけです。たとえ親でも太ってるとか痩せているとか小さいとか大きいといったことに言及してはいけないのです。身体改造も一様に否定されていいものではない。とはいえ社会に生きる人間なので、仕事上のルールや公衆ルールは守る必要があると思います。例えば見えないようにするとか、温泉には入らないとか。そういうルールを理解した上で楽しむべきだと思います。
しかし、親に言及されてしまっては、無視する事はできません。私の場合父の事は無視できますが、母の事は無視できません。母に何か言われたら、それは説明責任が生じる。「なぜこんな事をするのか」を説明する必要がある。スカリフィケーションの施術後は言及されないように上手くやるつもりですが、施術前の今の状態で理由を話せるようにしておくべきだと思いました。施術後だと言い訳にしかならない。勿論すすんで話すつもりはありませんし、母には気付いてもそっとしておいて欲しいと思っています。ですが自分の為にもなぜこんな事をするのか言えるようにしておくべきだと思いました。思いましたが、全くもって分からず、呆然とした日々を過ごしています。「なぜ皮膚を剥がすのか」。他人に。お金を払って。そうしたいからとしか言い表せません。皮膚を剥がす事で何か利益があるのかと言われると無いような気がします。実際に剥がされてみないと分かりませんが、なんとなく薄っすら「嬉しいだろうなぁ」と感じます。これは私が他人に危害を加えられて喜ぶタイプの人間だからなのか、それともこれまでの日々の救済的儀式だからなのか、現時点では判りかねます。
ボディピアスを開けた時に、母は怒ったり、否定したりはしませんでしたが「やめてよ〜」と笑いながら溢していたのを覚えています。これは母が暴力や痛み、グロテスクなシーンなどを苦手とする為に溢れた言葉であり、自ら産んだ実の子が、自分が与えた身体を大事にしていない事を憂いたような意味ではないと捉えています。が、やはり母に今「なぜそんな事をするのか。やめて欲しい。」と言われてしまったら、言い淀んでしまうだろうし、自分の事を親不孝者だと認定するだろう。母にショックを与えたくはないが、母に何か言われた程度でやめるようなレベルの話でもない。お互い傷ついて、今後の親子関係に溝ができる可能性すらあるのでやはり気付いても言及しないで欲しいなぁと思います。私もそうならないように上手く立ち回るつもりです。内緒にするつもりもないですが、面倒な事は避けたい。そんな感じです。
人は他人の痛みに敏感だと思う。他人の「痛かった話」を聞いた時、自分に起きた事のように苦痛に顔を歪める人が多いような気がする。想像力で自分も痛がっているような。どんなに共感性が低い人でも、痛覚に関することになると本人と同じように痛がるようなリアクションを見せてくる。不思議な現象だ。ドラマや映画のグロテスクなシーンが苦手な人がマジョリティ寄りなのも納得できます。
だからこそスカリフィケーションをしたんだと説明した時に、相手の次の発言ターンで「なんでそんな事をしたのか」が来るのは容易に想像できます(次いで「痛かった?」が来るだろう)。
他人にする説明として、自分の中でしっくりくるものを考え続ける日々です。施術まであと6週間。