走る女アパパネ
僕は走ることが好きだ。足が速いとか遅いとかではなく、とにかく走ることが好きだ。走り出した時のあの身体に力が漲る感じが好きだし、苦しくなって、もうダメだと思って、それでもまだまだと自分を奮い立たせる感じも好きだ。滅多に味わうことができないランナーズハイも好きだ。そして何よりも、走っている時のひとりぼっちで考える時間が好きだ。そう、走ることで僕は自由になれるのだ。
昔と比べると、まとめて走ることはなくなってしまったが、走ることが好きという気持ちは今でも変わらない。自宅から駅まで、駅から職場まで、乗り継ぎがあればそのエスカレーターや階段も走る走る。時間に追われてということがほとんどだが、そうでなくても走る。まるで遺伝子に組み込まれているかのように走る。
とある宴会が終わった途端、走って帰ったら、「治郎丸くん、あれはまずいよ。まるで一刻もその場から立ち去りたかったみたいじゃないか」と翌日、上司に怒られたこともあった。もちろん、駅から競馬場まで、競馬場のゲートからパドックまで、パドックから返し馬まで。ひとりで競馬をするときは走る。競馬場で走っている男をみかけたら、それは僕だろう。
サラブレッドは走るために生まれてくる。僕と違って、速く走るために。ただ、必ずしもサラブレッドは走ることが好きだとは限らない。どちらかというと、走ることが好きではない馬の方が多いのではないか。自分の好きなときに、自分の走りたいペースやフォームで走るのは嫌いではないが、重たい人間に乗られ、手綱で自由を奪われ、ときにはムチで尻を叩かれて走ることが好きなはずはない。だから、角馬場に入るのを渋ったり、調教が終わると一目散に馬房に戻ろうとする馬もいる。レースに行っても、楽をしようと手を抜いて走ったり、途中で走ることを止めてしまう馬もいる。サラブレッドにとっても、走ることは苦しいのである。
「この馬は走ることを嫌がりませんね。喜んで走っている感じなんですよ」という、アパパネに対する国枝栄調教師の賛辞を聞いて、嬉しさがこみ上げてきた。いたいた、久しぶりに、自らの意思で喜んで走る馬が。しかも、クラシックの最前線で3冠を賭けて戦っていた牝馬であり、日々の鍛錬はアスリートとしては極限に達していたにもかかわらず。あの不良馬場で行われたオークスをデッドヒートで制し、燃え尽きてしまった感のあるサンテミリオンに対し、何ごともなかったかのように回復してきたアパパネの秘密はここにあったのだ。本能的に走ることが好きな馬は、精神的に燃え尽きない。そして、僕たちの想像を遥かに超える走りを見せてくれる。
このことは僕の大好きな馬、ブラックホークに教えてもらった。奇しくも、同じ国枝栄厩舎であり、アパパネの先輩にあたる。幾度の骨折や怪我を乗り越え、ブラックホークは4年半以上に及んだ競走生活を常に全力で走り抜けた。普通の馬なら終わってしまっているはずの状況の中、1年以上の休み明けで関屋記念に向けて調整していたブラックホークの走る姿を見て、国枝栄調教師は目を疑った。「あのクソ暑い中で調教しても元気いっぱいだった。他の牡馬は暑さにフーフーいってるのに、1頭だけうなりを上げていた。34秒台を連発して、とにかく元気がよかったよな。大した馬だなと思ったね」その後、ブラックホークはスプリンターズSを制し、安田記念でまさかの復活劇を演じ、自らの走る人生に幕を閉じた。
ブラックホークからアパパネと受け継がれた走ることが好きな馬のバトンは、同厩舎でありアパパネの娘であるアカイトリノムスメに受け継がれてくれないかと、最近あまり走らなくなってしまった僕はひそかに願っている。
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