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悲しみのダービー

2011年の日本ダービー後、オルフェーヴルのあまりの強さに圧倒され、馬券は外してしまったものの、未来の凱旋門賞馬を見てしまったような、ある種の恍惚感に浸っていた矢先、Yさんからメールが届きました。

Yさんとは私主催のライブでお会いしたことがあり、それ以来、「ガラスの競馬場」の書き手と読者という関係を超えて、競馬の素晴らしさを共有する同志として、やりとりさせてもらってきました。Yさんの競馬を愛する気持ちに1点の曇りもないことを、誰よりも私はよく知っています。

そんなYさんから、「悲しみのダービー」というタイトルのメールをいただいたのです。私はちょっと意表を突かれた気がしました。確かに雨は降っていて残念でしたが、これだけ強い馬が出て来たのだから、競馬ファンとしては喜ばしい、競馬の祭典として終わったのではとどこかで思っていたからです。

ところが、読み進めてゆくうちに、Yさんのおっしゃっていることの意味を私は少しずつ理解し始めました。そして、競馬の陽の部分しか見えていなかった自分を恥じました。馬は人との信頼関係があってこそ走る、と偉そうに言っておきながら、陰に隠れた馬と人の哀しさを見逃してしまっていたのでした。

懺悔の念も含め、Yさんからのメールを全文ここに掲載し(Yさんも承諾済み)、それに対しての返事を公開する形で答えていければと思います。まずはYさんのメールを読んでみてください。

治郎丸さん、こんばんは。先週のダービー、オルフェーヴルめちゃ強かったですね!雨の府中をあれだけ伸びてくる姿は、タイキシャトルを彷彿とさせましたね。

今日は、治郎丸さんに聞いてほしい話があってメールいたしました。オルフェーヴルの強さが目立ったダービーでしたが、私にとっては少しほろ苦いダービーとなってしまいました。

ダービーの本命馬はトーセンレーヴと書きましたが、実は今年からディープ産駒がデビューということもあり、POGをはじめたんですよ。勿論、私はディープ産駒のみ指名していたのですが(笑)、その一頭がトーセンレーヴだったわけです。

実は先週のダービーにもう一頭指名していた馬がいました。2枠4番のリベルタスです。でもリベルタスの馬券は記念馬券以外、買うことはありませんでした…。というのもリベルタスがとてもまともに走れる状態ではないと思っていたからです…。

リベルタスは2010年10月2日のデビューから2カ月半で4走という過酷ローテを課され、ディープ産駒のお披露目目的か、金子オーナーの未制覇GⅠ奪取が目的かわかりませんが、朝日杯FSに参戦。死に物狂いで3着に健闘した将来性豊かな馬に対して、疲労回復のための放牧や休養をとらせず年明けの若駒S出走という選択を…。

若駒Sは何とか押し切ったものの、陣営からは「状態が悪かった」(当り前です…T0T)とレースに使っておきながら信じられないコメントが…。馬が完全に疲弊してしまい、小手先の休養を挟んだものの十分な仕上げもできずスプリングSに出走して13着に大敗。馬はすでに燃え尽きて前進意欲を失っていたように私には映りました。

私はこの時点でせめてダービーに向けて立て直してほしいと思いましたが、陣営は皐月賞を選択。勿論、この大敗は次のGⅠへの調整と言えなくはない。結局、皐月賞出走したものの追走一杯、とても走れる状態でないと最後の直線で横山Jが大事をとって上がり3F43.2をかけてゆっくりとゴールしシンガリ負け。骨折か心房細動か、リベルタスは大丈夫か?と心配いたしましが、馬体検査の結果、身体的に異常なしということでした。

ケガでもなく、あのような競走になってしまったということは、精神的に競走意欲をなくしてしまっているのではないか?とにかく只事ではないというのは素人目にも明らかでした。

そして、この大差負けで放牧に出してもらえるだろうと思っていたところ、驚愕のダービー出走。馬は中間の調教でも走るのを放棄するかのような悲しくなるような状態で(調教VTRを見たときは泣きそうになりました…)、もうダービーではケガなく無事に完走してくれることしか望むことはありませんでした。

そしてダービー当日…。スタート直後から走るのを拒否するようにズルズル後退、四位Jが後方で何とか走らせようとするも3コーナー過ぎから姿が消え、ついに競走中止に…。もう私にはリベルタスが、人間でいう鬱状態か競馬に対して心的外傷を負っている状態に映りました。

心配していたことがついに現実に…。パトロール映像を見て胸をえぐられるようでした。皐月賞の尋常でない負け方、馬の状態を総合的に見て、陣営ではダービーへの出否について十分な話し合いが行われたのか、中間の馬の状態をどのように把握していたのか、身体的故障でもなく2走続けてまともに競走できない状態の馬をレースに参加させたことについては、陣営もしくはJRAからファンに対して何らかの説明があってもよいのではないかと思うのですがいかがでしょうか(JRAからは「異常歩様」との発表のみ)。

もし、競走できない状態だと認識した上で競馬に参加させたのであれば、それはある種の「無気力競馬」ではないかと思いますし、それはダービーを目指す他の競馬関係者にも大変失礼であり、馬券を購入するファンに対する冒涜でもあると思います。また、馬にとってはもうそれは「虐待」にあたるのではないでしょうか?

モハメド殿下も観戦に来られるような国を代表するようなレースに、日本では肉体的に異常もないのに競走できないような馬を競走させるのかと思われます。こんなことを続けていてはいつまで経っても日本は競馬後進国のままです。ダービーは出走するだけでも栄誉である…それはわかります。でもこのような暴挙が、牡牝三冠を達成したオーナーと牝馬でダービー制覇を成し遂げるような日本競馬を代表する調教師のコンビで行われたことは本当に悲しいです。人間だけでなく、馬までこんなに生きにくい世の中だなんて競馬に夢も希望もなくなってしまいます。

「単に馬が弱いだけ」と言ってしまえばそれだけかもしれません…。でもデビューから関西のレースは全て観戦に行ってリベルタスを見てきた者としては、決して気性難があるとかいう馬には見えませんでした。逆にすごく真面目で性格も従順そうな素直な印象を受けていました。事実レースでも上手く鞍上と折り合っていましたから…。立派な馬体でもあるので、若駒のときから無理使いをせず、古馬での完成を見届けたいと思っていた一頭でした。トレーナーが角居調教師、オーナーが父ディープを所有していた金子オーナーならきっと大切に育ててくれると思ったのに…。

「ROUNDERS」の「走れドトウ」を読みながら、リベルタスはどんな気持ちでこの春の競走に臨んでいたんだろうと思うともう悲しくてやりきれませんでした…。ちょっと競馬がイヤになった2011年日本ダービーでした。長々と読んでいただいてありがとうございました。どうしても心ある方に聞いていただきたかったのです。

私はYさんに返事を書きました。

Yさん、こんにちは。
蒸し暑い毎日が続き、夏の到来を少しずつ予感しています。

日本ダービーにおける、リベルタスについてのメール拝読させていただきました。Yさんのご心中察します。POG馬として、ディープインパクトの仔として、まるで我が愛馬のようにデビュー戦から見守ってきたからこそ、どうしても納得ができない、合点がいかない部分が見えたのでしょう。ディープインパクトの仔であり、同じ勝負服を着ている(同じ馬主である)以上、大いなる期待と思い入れをしないわけにはいかないですよね。でも、別にYさんは誰かを責めているわけではないことも知っています。

Yさんからいただいたディープインパクトの新馬戦の写真、今でも大切に持っていますよ。ディープインパクトがゲート前で輪乗りをしている瞬間の、あの写真です。誰にとっても未知の存在であったディープインパクトを写した貴重な1枚ですよね。そうやって、埒の外から、1頭1頭の馬に想いを込めながら応援するYさんは、本当の競馬ファンだと思います。

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おっしゃるように、リベルタスの使われ方(ローテーション)は、若駒にとってはかなり厳しいものでした。10月にデビューして、12月に行われた3戦目のレース(千両賞)を勝ったところまでは良かったのですが、そこから朝日杯フューチュリティSに向けて中1週のローテーションが組まれました。血統的にはローエングリンの下ですから、距離は長い方がいいはずです。なぜラジオNIKKEI賞ではなく、無理をしてまで朝日杯フューチュリティSなのかと私も不思議に思いました。

もちろん理由を知る由はありませんが、朝日杯フューチュリティSに臨むにあたっての中間の調教を見た限りにおいて、リベルタスは決して万全の体調とはいえず、なんとか前走の疲れを取って、走れる状態にして出走させたというのが現実でした。そういった体調にもかかわらず、あのグランプリボスやリアルインパクトを相手に、正攻法の競馬でコンマ1秒差の3着を確保したのですから、もはや将来を嘱望されたも同然でした。

今思えば、このレースで2着に粘っていれば、リベルタスの運命は変わっていたかもしれません。本賞金が獲得できなかったことで、陣営はリベルタスを若駒Sに向かわせました。厳寒期に行われるオープン戦に、これだけの血統の馬を出走させるのですから、何が何でも本賞金を上積みしておきたかったのでしょう。無理をさせた馬にさらに無理を強いるわけですから、陣営としても苦渋の決断だったはずです。しかし、レース後には「体調が良くなかった」というコメントが出ました。体調が悪くても勝ってしまうのですから、リベルタスの能力の高さが伺い知れます。パートナーだった福永祐一騎手からは、この時点でクラシックを意識できる器と評されました。

いったん回り始めた歯車は元に戻りません。クラシックに出走することが至上命題のように、歯車はさらに前向きに加速していきます。もしかすると、リベルタスがそれにも耐えられる強い肉体の持ち主だとみなされていたのかもしれません。わずかに間隔を開けて、リベルタスはスプリングSに出走し、そこから皐月賞、ダービーと突き進んでゆきます。もはやスプリングSに出走してきた時点で、リベルタスは精神的に燃え尽きていたのだと思います。スプリングSでは直線で走るのをやめてしまいましたし、皐月賞やダービーに至っては、もはや前向きにさえ進もうとしませんでした。レース振りを見ると、少しでも早くこの場から逃げ去りたいと、全身を使って訴えかけているようにも映ります。不良馬場や歩様が異常だったということではなく、明らかにリベルタスが走ることを拒否していましたよね。気持ちの問題だと思います。

だからこそ、普段調教をつけているときには肉体に異常がないだけに、出否の判断が難しかったのかもしれません。もしかすると、リベルタスは気持ちを隠してしまう、気持ちを人間に伝えるのが下手なタイプなのかもしれません。そうは言っても、結果を見る限りにおいて、皐月賞とダービーを使うべきではなかったことは明らかです。あらゆるホースマンが見守る大舞台で、(結果的に)まともに走れない馬を出走させてしまったのですから、他の誰よりも、リベルタス陣営が最も恥じているはずです。それを責めることに私は意味を覚えません。どれだけ優秀な調教師だって、間違いを犯すことはあるのですから。

角居勝彦調教師も大きく影響を受けたであろう、日本のトップトレーナーである藤澤和雄調教師も、たくさんの失敗を経験してきたと言います。ロンドンボーイという青葉賞を2着した素質馬を、日本ダービーに出走させ、22着と惨敗させた当時のことを振り返り、こう語っています。

「結果から判断すると、ロンドンボーイの体調が充分ではなく、能力を出し切れるような状態でなかったことが明らかだった。もとより体質的に弱いところのある馬だと承知していたから、未勝利戦を勝った3戦目までは、2ヶ月半から3ヶ月のレース間隔で使った。それが、青葉賞、ダービーが視野に入ったとたん、1ヶ月のローテーションに変わったのである。

自分では馬の体調を見ながらローテーションを決めているつもりだったのに、ダービーという大レースを前にして、いつの間にかそうではなくなっていた。トライアルから本番という、レースのローテーションに馬を合わせようとしていた。
(中略)
調教師が犯す失敗で、いちばんいけないのは、馬を壊してしまうことである。それは競走馬に関わっている誰もがわかっていることだ。

しかし、競走馬はペットではないから、大事にさえしていればいいというものではない。鍛え、レースに出走させて勝たせるという目標がある。この2つの命題が、どうしてもある部分で相反してしまう。だから「馬を壊してはいけない」と分かってはいても、そのためのノウハウを積み上げてないとうまくいかない。
(中略)
馬を壊さないためにどれだけの努力ができるか。私たちの未熟のために競走生活を全うできなかった馬や、不幸にして生命を落としてしまった馬たちへの「ごめんね」は、仕事を通じて伝えるしかない」
(「競走馬私論」より)

ロンドンボーイはその後、1勝を挙げたのみで、ターフを去ることになります。無理をしてダービーを使ったことが原因かどうか分かりませんが、それだけサラブレッドは繊細だということです。ちょっとしたボタンの掛け違いで、サラブレッドの一生は変わってしまうのです。そして、この話は同時に、ダービーというレースがホースマンにとってどれだけ魅力的かを示しています。藤澤和雄調教師にとってはロンドンボーイが初めてのダービー出走馬でした。たとえ初めてでなかったとしても、1度ダービーを獲ったことのある角居勝彦調教師にとっても、ダービーは僅かな可能性があれば、リスクを犯してでも挑戦したいレースなのです。そうやって、角居勝彦調教師は牝馬であるウオッカでダービーを制したのですから。

それでも、こうして残念な結果が出てしまった以上、調教師としてその責任は重く受け止めているはずです。何の非もないリベルタスに対し、「ごめんね」と心の中で言っているはずです。私は最後の最後の部分では、角居勝彦調教師を信じています。角居調教師が人一倍悩み、決めた以上、その判断は正しいはずであり、様々な紆余曲折があろうとも、最後はリベルタスを最高の形で牧場に帰してくれるものと信じています。それは彼の著書に書かれた一節を信じているからです。

サラブレッドはしゃべれない。

どんな扱いを受けようが、ただ黙って、人間にすべてをゆだねて生きていく。

馬が生を受けるとき、父馬と母馬は、人間が人間の都合で選んだ種牡馬と繁殖牝馬である。生まれた子馬は、人間の都合で厳しい育成を受け、人間の都合で売買される。そして、人間の都合で激しいレースを闘わされ、これに勝ち抜いて生き残れば今度は、人間の都合で父馬や母馬として優れた血を伝えることを求められる。彼らの生涯は、すべて人間の都合によって支配されているのである。それでも、サラブレッドはしゃべれない。

何という儚い動物なのだろう。わずかなアクシデントでも命を失う過酷な宿命、熾烈な淘汰のための競争、人に委ねられた生活。そういう研ぎ澄まされた毎日を、まるで綱渡りでもするようにして、サラブレッドというガラス細工の芸術作品は、少しずつ少しずつ作り上げられていく。

この美しく儚い動物を守っていきたい、と私は思った。私が競馬を仕事にしようと決めたのは、そういう思いが原点だった。サラブレッドの人生を守り、より良い生涯を送れるように、私ができる限りのことをしたい。牧場での毎日から生まれたそんな思いが出発点になって、私は競馬の世界に足を踏み入れていき、そして、サラブレッドと競馬の魅力の虜になって、離れられなくなった。
(「勝利の競馬、仕事の極意」より)

確かにサラブレッドは経済動物であり、ギャンブルの牌です。しかし、人間とサラブレッドのもっと奥深い結びつきにおいては、決してそうではないでしょう。ホースマンはサラブレッドという美しく儚い動物を守っていかなければなりません。しゃべれないサラブレッドの人生を守り、より良い生涯を送れるように、出来る限りのことをしていくのがホースマンであるとも言えます。そういったホースマンの愛情に応えるために、しゃべれないサラブレッドはレースで限界を超えて走るのです。

金子真人オーナーもまた立派なホースマンです。あれだけ多くの所有馬を抱える馬主さんで、自分で牧場を歩いて回って、1頭1頭の馬を自分の見て決める人は珍しいです。それだけサラブレッドが好きで、競馬が好きなのでしょう。彼がサラブレッドにつける名前には愛情が溢れています。馬は馬主の運を背負って走ります。彼の馬がこれだけ走るのは、ディープインパクトが彼に舞い降りたのは、彼がそれだけ馬に愛情を注いでいるからだと思います。もしかすると、リベルタスには思い入れが強すぎたのかもしれませんね。Yさんと同じぐらい、いやそれ以上にディープインパクトの仔でダービーを勝ちたいという想いが強かったからこそ、わずかな望みに賭けてしまったのかもしれません。彼もまたリベルタスに対して「ごめんね」と言っているはずです。そもそも、競馬というスポーツに賭けている私たち競馬ファンも、馬たちに対して、いつも「ごめんね」の気持ちはどこかで忘れてはならないと肝に銘じています。

彼らにできることは、リベルタスを再びターフで復活させること。そして、私たちにできることは、それを応援すること。かつてトウカイテイオーが1年のブランクを経て有馬記念を制したことがありましたよね。あの奇跡の復活も、トウカイテイオーの不屈の精神とたずさわる関係者の懸命の努力とあきらめないという気持ち、そしてファンからの熱烈な声援があったからこそ成し遂げられたのだと思います。どれかがひとつでも欠けてしまっていては、トウカイテイオーは復活しなかった。そういう意味で、復活を願う私たち競馬ファンの声は大きいのではないでしょうか。リベルタスの生命力を信じ、彼らを信じ、自分たちを信じて、これからも一緒に競馬を応援しませんか?




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