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馬を止めるのも騎手の仕事(追記)

「馬を止めるのも騎手の仕事」を書いたところ、ブログやFACEBOOKのコメント、メールにてたくさんのご意見をいただいた(当時はTwitterはなかった)。賛否両論があると思ってはいたし、あくまでも問題提起をしてみたつもりだったが、多少なりとも誤解を招いてしまったと感じている。含みを持たせたつもりが、論点がずれて伝わってしまっていること、そして、もしかすると上村洋行騎手の批判として解釈されてしまったのであればと思い、足りなかった分を補う意味でも加筆したい。

まず上村騎手に対する競馬ファンの質問や批判が、「なぜ故障を発生した(と思われた)アドマイヤコスモスをゴールまで完走させたのか?」という点に集まっていることに違和感を覚えた。異常に気がついた時点ですぐに止めていれば、もっと軽症で済んだのではないか、なぜ明らかに怪我をしている馬をゴールまで走らせたのか。確かに、これも小さな問題ではなく、アドマイヤコスモスの関係者のみならず競馬ファンにとっても、実際に騎乗していた騎手に問いたいはずだ。

しかし、結局のところ、上村騎手も自身のブログで綴っているように、除々にスピードを落としながら止めた方が良かったのか、それともすぐにスピードを落として止めた方が良かったのか、どちらが正しかったのかは正直分からない。どちらの止め方にもメリットとデメリットがあり、最後は騎手の判断に委ねるしかないだろう。今回の場合は、上村騎手がゆっくりと減速しながら馬を止めた結果として、最悪の事態は避けられたという事実だけは残っている。

私の論点はもうひとつ手前の段階にある。もっと早く止められなかったのかという問いは、突き詰めて言うと、異常(故障)が発生する前に止めることはできなかったのかということである。脚を痛めたという結果が出てからどう対処したかということよりも、結果が出る前に未然に防ぐことはできなかったのだろうかという問いである。横山典弘騎手の言葉の中にある、「止めてみたけどなんともない」という状況は、決して止めるべきではなかったという誤判断ではなく、異変を感じてすぐに止めたからこそ未然に防ぐことができたということである。なんともなかったのは、横山騎手が馬の心の声を聞いたときに止めたからではないだろうか。

ここで今度は私たち競馬ファンに問いの矛先が向く。もし上村騎手がアドマイヤコスモスの異変に気づいて、すぐその瞬間に馬を止めたとする。そして、その場で検査をしてみると何ともなかったとすると、私たちはどう思うだろうか。なぜ止めたのだという追及は当然のこととして、もしかすると猛烈な批判につながる可能性だってある。八百長だと言う輩も出てくるかもしれない。その論調は下手をするとマスコミにも伝播して、オーナーの耳に届き、上村騎手が騎乗停止になるだけではなく、騎乗する機会を失ってしまうことにつながりかねない。もし馬を止めることに対する競馬ファンの無理解が、騎手の判断を鈍らせることがあるのであれば、これは私たちの問題である。馬を走らせるだけではなく、止めるのも騎手の仕事だと私たちは理解しなければならないのだ。

最後に、競馬ファンからの問いに真摯な姿勢で答えた上村騎手には心から感謝したい。その文面からは、騎手としてではなく、人としての誠実さが伝わってくる。大きな責任を感じつつ、失ったことの苦しさにもだえつつ、真実を伝えようと勇気を振るって書いたはずだ。ブログに公開する前に、何度も繰り返し、自分の書いた文章を読み直したに違いない。大きな誤解を招いたり、誰かを傷つけたりすることがないよう、その表現には細心の注意を払ったはずだ。そうして今回、騎手と競馬ファンがきちんとした形でやりとりができたことは、案外、革新的なことなのかもしれないと思う。


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