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自分の性格

性格がとても暗く、1人行動が好きなぼっちで陰気な大学生。
それが今の私である。同年代の大学生とかは大体キラキラした生活を送っているのだろうが、どうしてもそういう事をしてみようという気になれない残念な人間だ。 まあ残念というのは客観視した時の総評であって、自分自身としてはこういう性質の人間なんだから仕方ないとは思っている。

あらかじめ言っておくと、所謂拗らせ陰キャと言われる人達がしばしば行うとされる、社交的な人を侮蔑したりけなしたりして自らを正当化したりする行為は嫌いだ。これは自分自身の問題であって他人の問題ではないわけだし。

そんな内気な人間の私だが、幼少期の自分はもう少し他人に積極的に関わっていた人間だったと思う。正確に言えば”周りのおかげでうまく関わることが出来ていた”と言えるかもしれない。思い切った発言をして多少の揉め事や喧嘩をしたことは多少あったけれども、逆にそれが他人と深く関われる機会を生むきっかけになっていた。

今はそんなことが出来ない。

誰かと関わろうとするもんなら、共通の話題に詳しくならなければならない、相手の興味関心に合わせなければならない。
そうしなければ私になんぞ関わる利益なんてない。
けれども、全く興味のない話に詳しくなろうと頑張っても興味がないから、それの何が良いのかとかが全く分からない。
だったら初めから関わるのをやめよう。

こういう思考をするようになってしまったがため、交友関係を持つことがとても難しい人間になってしまっている。かといって特定の趣味を共有するコミュニティに加われるかというとそうでもない。

実はこれまで趣味嗜好が似てそうな人達とネットで繋がろうとした。しかし既に完成して内輪で盛り上がっているコミュニティに、部外者であり中途半端な知識しかないミーハーな私が入ろうとしたところであまり歓迎はされなかった。私の積極性が欠けていたのもあるが、彼らには私と関わるメリットなど特になかったのだろう。

故に私は1人で行動する事が基本になった。
元々兄弟がいない事もあり1人でいる事そのものには抵抗はない。
そもそも知り合いを作る、友人関係を築くという事は本来そんなに苦しい事ではないし、自然と出来上がるはずである。無理してまで他人と繋がる事にあまり意味はないと思う。
最後に、ひねくれ者の私と関わってくれる友人も(少ないけれども)確かにいる。彼らの存在を無下にしたりせず、去る者は追わず来る者は拒まず、の精神で生きていくのが一番理にかなっている気がしてならない。


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