【岐阜地区】木を削ることで生まれる「人と人のつながり」
紅葉が見ごろを迎えた2022年11月下旬。ろうきん森の学校岐阜地区のフィールドの1つである、美濃市古城山ふれあいの森で「実のなる木の植栽体験」が行われた。無事に植栽作業を終えたばかりの名和宏(なわ ひろし)さん(グリーンウッドワーク協会・理事)に話を伺った。
名和さんとグリーンウッドワーク(注:生木を加工してスプーンや椅子などを作るモノづくり)との出会いは、今から10年近く前。きっかけはご自身の娘さんの進路を考えた時だという。
「私には娘が3人いるんです。三女が高校を卒業する時、その後はどうするという話になり、進路の参考になりそうな情報を調べていて岐阜県立森林文化アカデミー(以下、アカデミー)を知ったんです。JR岐阜駅で説明会があって参加し、久津輪先生(木工専攻の教員)に話を聞いたところ、伝統工芸の後継者育成などに取り組んでいると聞きました。そこで椅子作りにも取り組んでいますよと聞いて、軽い気持ちで講座に参加したんです。」
「講座に参加したら、いきなり丸太がドドンと出てきてビックリしました(笑)。グリーンウッドワークを全く知らなかったので…。」
スキーが好きで、国道156号はよく使っていたという名和さんは、2001年に開校したアカデミーの名前は国道沿いの看板を見て知っていたという。ただ、林業家の子弟が行く学校というイメージで、他の人は入学できないと思っていたそうだ。
そんな中、2013年にグリーンウッドワークでの椅子づくり講座に参加したことで名和さんのその後の人生は一変した。講座の参加者には、木工家や、材木屋、建築家といった木を扱うプロもいて、延べ6日間にわたる椅子づくりでは、大いに刺激を受けたという。10年近く経った今でも、当時の参加者とは交流を続けているという。
モノづくりにのめり込んだ名和さん。子どもの頃はどんな少年だったのだろうか。
父親が電気関係の仕事をしていたこともあり、自宅には工具がたくさんあったという。子どもの頃はテレビやテープレコーダー、ラジオなど家電製品を分解して遊んでいたという。その後、工業高校の電子科に進学しコンピューターを学び、卒業後の進路はIT化が進む一般企業にシステムエンジニアとして就職、その後転職を重ねキャリアを積んでいった名和さん。
情報システムの世界では、5年でハードやソフトの技術は古くなってしまい機器を更新するという。ところが林業や木工の世界では数十年から百年の単位で考えており、その違いが新鮮だったという。また、グリーンウッドワークの講座を通じてつながった参加者とは、同志のような強い絆が生まれ、家族の悩みなども打ち明けたりすることもあるという。
システムエンジニア時代も、顧客との間でビジネス関係以上のつながりができることも多かったと振り返る名和さん。一旦トラブルに見舞われれば、休日夜間を問わず担当者として顧客とトラブル対応に当たるため、顧客担当者とは戦友のような連帯感が生まれるのは当然なのかもしれないが、自然と笑顔がこぼれる名和さんの人柄がそうさせているのだろう。
「自分はグリーンウッドワークの講座には、モノづくりには行っていないんです。仲間づくりに行っているんです。」と話す名和さん。グリーンウッドワークでの椅子づくりなどでは、みんなで協力してやらないとできない工程もあり、自然とチームワークが試され、チームビルディングが図れるようになっているという。
「あと、出来上がった作品を見ると、作る過程や仲間との思い出がそこにレコーディング(記録)されているんです。この脚を削った時の思い出とか…。」
話は続く。
「自分はグリーンウッドワークの講座に来る参加者の方が好きなんですよね。」モノづくり以上に、人が好きなのだろう。一方で、あくまでモノづくりを通しての関係性なので、一定の距離感もあり、近すぎず遠すぎずという距離感も心地よいのだという。
こうしてグリーンウッドワークの講座に何度も通ううちに、自身の役割は何だろうと考え始めたという。ふと気づいたのが、「技術を教える講師にはなれないが、こうした活動を広めることはできるかもしれない。」ということだった。講座に参加して、隣の参加者に「こんな講座もやっているんですよ。」と他の講座を勝手に宣伝したり、小さいお孫さんがいると聞けば「アカデミーには『morinos』という面白い場所ができたので、お孫さんを連れて行くといいですよ。」と勧めているという。
グリーンウッドワーク協会理事長の小野さんは、「名和さんはうちの広報部長なんです。」と笑って話す。たしかに、名和さんが他の参加者にさりげなく勧めると素直に聞いてもらえそうだ。美濃市片知で道沿いの整備をしている方達との話でも、グリーンウッドワーク協会が運営を委託されている「みの木工工房FUKUBE」の宣伝をしたところ、「今度孫を連れて行くけど、名和さんはいつ行けばいるんだね?」と聞かれたとか。
SNSを含めた口コミや、人づてで認知を上げることの大切さが言われる一方、どのように取り組めば良いのかという悩みを抱えている団体は多い。多くの団体同様、グリーンウッドワーク協会でも広報宣伝に使える予算が限られている中、名和さんの声がけは目の前の人にグリーンウッドワークのファンになってもらう大きなきっかけになっているのではないだろうか。
「講座のチラシを渡すとき、敢えて多く渡すようにしているんです。どうしてか分かりますか。」と笑って話す名和さん。
相手が「こんなにもらっても…。」と言うと「知り合いにも渡しといて!!」とダメ押しをするためだそう。
こうした押しの強さは、最初の勤務先が流通(スーパーマーケット)だったことやシステムエンジニアとして商談することが影響しているとのこと。その経験から、独特の人当たりの良さや、営業センスを磨いていったのかもしれない。
実は4人きょうだい(姉2人、兄)の末っ子という名和さん。一番下は、上の姉・兄たちを見て自分に何ができるか、何が必要とされているかを常に探るポジションだという。つまり、自然と組織の中で自分の役割とかポジションを見つけ出すようになってきたのだろう。そんな名和さんは、グリーンウッドワーク協会の講座でスタッフとして、講座毎にどんなキャラクターを演じたら良いかを常に探り、実践している。例えば、一人ポツンと浮いているように見える参加者がいれば、スッと近づき話しかけ、不安を感じていないか確認している。
名和さんはグリーンウッドワークの世界に来るべくして来たのかもしれない。「グリーンウッドワーク協会が単なるモノづくりの団体だったら、ここまで続けていなかったと思うんです。ろうきん森の学校の活動が始まって、森づくりや染め物などもやるようになって、どんどん広がっていますよね。グリーンウッドワークという手法を使ってモノづくりを極めるのも面白いですが、地域づくりや人づくりにも関わるのが面白いんです。」
こうした背景には、グリーンウッドワーク協会の母体となっているアカデミーの存在も大きい。木工だけでなく、木造建築や林業、森林環境教育など、分野横断的にやっている専修学校である。アカデミーと連携して活動することで、単なる木工体験のイベントにとどまらず、森づくりや人づくり、地域づくりにまで広がる活動と認知されるようになっている。アカデミーがない他県だとグリーンウッドワークの意義など、担当者の理解を得るのはなかなか難しいという。
グリーンウッドワークと出会って10年近く経ったという名和さん。今後の展望(やっていきたいこと)を伺った。
「これまでと同様、自分が面白いと思うことをやって、伝え広めていきたいな。それから幼児から大人まで、モノづくりがどこでも気軽にできる場所をつくりたいなぁ。塾のような感じで、子どもだけでも行ける近所にね…。自分が子どもの頃は、道具とか廃材がたくさんあったんだけど、今は、ノコギリやノミ、カンナはもちろん、ドライバーすらない家が結構あるんです。そんなモノづくりから離れてしまった家から、もっとモノづくりが子どもから大人まで身近に気軽にできる環境ができるといいな。」
嬉しそうに語る名和さんの目は、子どものようだ。
目下、名和さんの夢は、自身の軽ワンボックスカーを木工体験できるようなキャンピングカーに改造して各地を回ることだそう。 大人も子どもも、放課後や週末、気軽に集まっておしゃべりしながらグリーンウッドワークで木を削ることができる「削り場」ができるのは、それほど遠くないかもしれない。
そんな新たな「削り場」で、名和さんがニコニコしながら来た人たちに沢山のチラシを渡す姿が目に浮かんだ。 森からいただいた木を、生木のまま加工するグリーンウッドワーク。 シンプルゆえに、老若男女問わず取り組めるのが魅力だ。 しかし、人と人、人と森をつなぐ力は想像以上に大きいのではないか。 グリーンウッドワークの可能性に引き続き注目していきたい。
【投稿者】ろうきん森の学校全国事務局(NPO法人ホールアース研究所)大武圭介
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