日記:対話する事の大切さ。
こんにちは、今日は曇りの天気。
最近 ヒヨドリが毎朝ベランダに遊びに来ます。他の子より鳴くのが上手ですぐわかる。おはよう〜とカーテンを開けて顔を出すと確認したように次の巡回に行かれます。
昔 じいちゃんがメジロやヒヨドリを飼っていたし、小学生の頃は保護したカワラヒワをクラスのみんなで飼っていた。(いきものがかりだった私の手に乗った写真が今でも実家に飾ってある)
意識して考えてみると、昔から散歩道や公園に行くと鳥に囲まれる。
それは娘も受け継いだようで、彼女の場合は鳥だけじゃなくいろんな動物が寄ってくる。
私が育った環境にはいつも動物がいた。ペットではないが動物が近くにいると心が穏やかになる気がする。
毎朝顔を見せてくれるヒヨドリを通して 心の余裕をもらえます。
対話する事の必要性
外で人に会うより、家で一人で過ごす時間の方が圧倒的に多くなったこの1年。
当然 人に会わない事で対話をする時間が減った。これって別にそんなに深刻な問題じゃないと思っていたのだけど 案外深刻な問題だった。
先日 友人とzoomで久しぶりに話をした。
実際1年以上会ってない。だけど顔を見ながら最近どう?と近状を報告しあうだけでも ふっと心が軽くなった。
別に話した内容は 悩んでいることがあった訳ではないしzoomじゃなくても文面のやりとりでもすむ事なんだけど。
内容や文字じゃなく 相手の声を聞いたり 自分が言葉を発する事で改めて対話の大切さに気づくことがあった。
聴覚
対話は聴覚を使う。当たり前だけど耳から情報が入って内容を認識する。
(これはまた別の話になるけど、人によって認識しやすい器官が違うらしい。聴覚優位、言語優位、視覚優位など。これについてはまたnoteに書こう。)
その、内容をのせる声には明るさや暗さを感じるトーンや、相槌や話出しのタイミングのリズム感がある。
私の場合、自分が話をするときは対話する人によって、話すスピードや声のトーンを変えている。その人が対話をしていて心地いいと思える声を意識していると言った方がいいのかも。
それはある意味 音楽と一緒で。スローテンポが心地いい人もいるし、ハイテンポが聞いていて楽な人もいる。またその日の気分やいる空間によっても違う。
対話とは内容を認識してもらう(伝える)だけが目的ではない、プラスαどう伝わるかで 相手への内容の浸透度は変わってくる思う。
もっと話そう、会話対話をしよう。
近頃 クラブハウスやvoisy、ポッドキャストなど聴くメディアが多くなってきた。(私自身、クラブハウスは未だにリスナーだけの参加)
この”聴く”のは非常に楽で 料理や作業しながらで片手間に利用できる。
でも、聴くだけより 絶対的に会話や対話をするべきだと思う。
聴くは人の意見を知る事ができるし知識がつく。ただそればかりに慣れてしまうと自分のフィルターを通す作業をサボってしまいがちになると思う。
聴くのは簡単、でも会話や対話は片手間では深く話ができない。
それほど自分が思っている以上に頭を回転させていると感じました。
心が軽くなる
気が楽な友人の存在って部分もあるけど、人と話すと なんだか心が軽くなる。
真面目な話だけじゃなくて、くだらない事で笑いあえたりもそうなんだ。
私は主人と毎晩一緒に湯船に浸かりながら話をする。将来のことや子供のこと、いちごがスーパーで特売だったことや 今日の天気の事。
話題って言うほどの話じゃないけど、会話するこの時間がすごく大事に思う。
中々人に会えない時期が続く、だけどほとんどの人のポケットには文明の機器が入ってる。
家族、友人、仲間、職場、どんな場面でもいいと思う
会話、対話でしか得られない事は案外多い。聴くもいいが、話しよう。