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【 アダムとイヴ 】 のサンプラー ー 1664年 ー

 私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。


サンプラーのはじまり

ー 刺繍見本として

 印刷術が発明される以前、また印刷物の図案集が高価で一般的ではなかった15 - 16世紀にかけて刺繍技術の実習と図案集を兼ねたサンプラーと呼ばれる手本が製作されました。

 この時代は亜麻布が非常に高価であったので、生地を幅成りに15から20cmほどの幅の帯状に裁断したものに刺繍などの手芸を施しました。

 これらの刺繍見本はその形状からバンド・サンプラーと呼ばれ、初期の図案集が出版された後もニードルワークの資料として活用され続けました。

 17世紀になると色糸刺繍やカットワークをはじめ、様々なニードルワークを技法や種類ごとにボーダー状に刺繍するようになります。

 リネン地と同色の糸を使用してドロンワークやカットワーク、レティチェロ、プント・イン・アーリアなどの刺繍技法で製作されたこのようなタイプのサンプラーは、イギリスでは特にホワイトワークサンプラーやニードルワークサンプラーと呼ぶそうです。

ニードルレースとカットワーク刺繍のサンプラー   ( 1644年 )
メトロポリタン美術館蔵
アルファベットと年号を刺繍、作者のSarah Thraiの名前がニードルレースで表現されています
メトロポリタン美術館蔵

 とくにサンプラー製作が盛んになったのが17世紀のイギリスでした。

 クェーカー教徒の少女など、公的教育機関での教育の機会が得られない年若い女性たちへの授業のカリキュラムとして取り入れられたことで広く製作されるようになります。

 世紀の半ばにはアルファベットなど文字が刺繍されるようになりました。これは女子教育の一環として行われたサンプラーの製作により、裁縫技術の修練と宗教的なモチーフや道徳的な詩文を刺繍することで識字能力の向上や道徳観念の醸成にも役立てたといわれています。

 初歩では絹の色糸などをもちいた刺繍のみの作品を製作し、技術の向上とともにカットワークなどのレース技法に進んだことが残された作品からわかっています。

1664年のバンド・サンプラー

ー 失楽園のプント・イン・アーリア

1664年の年号のあるバンドサンプラー
《 ドロンワーク 》、《 カットワーク 》、《 白糸刺繍 》、《 レティチェロ 》、
《 プント・イン・アーリア 》などの刺繍・レースの技法が使われて製作されています
レティチェロと呼ばれる格子状のグリッドを利用したカットワーク・レースの部分


 このバンドサンプラーは1664年の年号とS・Rのイニシャルがプント・イン・アーリアによるニードルレースで表現され、ドロンワーク、レティチェラ、プント・イン・アーリアや白糸刺繍などの技法が見られます。

《 プント・イン・アーリア 》による花のモチーフ・イニシャルと年号

 なかでも特筆すべきは、旧約聖書・創世記の中の一場面である【 アダムとイヴの楽園追放 】の物語が描写された部分となっています。

アルブレヒト・デューラーの版画 『 アダムとイヴ 』   ( 1504年 )

 蛇に唆されたイヴが知恵の実をアダムに勧め、実を食した二人は知恵を身につけ羞恥心からイチジクの葉で裸体を隠したという有名な物語の場面がプント・イン・アーリアで表現されています。

 興味深いのは聖書に記述されているイチジクの葉ではなくイヴが自らの長い髪で裸体を覆い隠しているところです。

【 アダムとイヴの楽園追放 】の物語の場面が描写されています
禁断の果実の樹に絡みつく蛇とイヴイヴは
羞恥心から自らの髪によって裸体を隠すイヴの表現が目を惹きます

 一般的に聖アグネスや聖マグダラのマリアなどに用いられる表現を作者はイヴに借用しているのがこのサンプラーを魅力的で印象的なものとしています。

ー スコットランドの小さな骨董店

 このサンプラーはスコットランド・インヴァネスの郊外の小さな町の小さな骨董店で見つけました。

 インヴァネスはスコットランド高地地方の唯一の都市でネス川がそそぐマレー湾の河口に位置してます。

 ある日インヴァネスから西に8kmほどはなれたビューリーという小さな町の骨董店が、SNSでこのサンプラーを投稿していたのを目にしました。

 サンプラーはアンティークの世界ではコレクターも多く、非常に評価の高い染織品のひとつです。

 とくに聖書の一場面やアルファベットが表現されたサンプラーは価値が高く、オークションでも高額になるアイテムなのです。

 そのような実情から、アンティーク・レースをコレクションするなかで憧れの作品が聖書のサンプラーでした。

 この機会にぜひ入手したいとSNSのDMでコンタクトをとり、価格や支払い条件などのやり取りをはじめました。

 小さな骨董店なので支払いが難しい額ではなかったのですが、田舎に住んでいらっしゃったので連絡が取れなくなることもしばしばで気を揉んだ期間が2ヶ月も続いたのを今でも覚えています。 

 ようやく発送の段階になり直接日本には送れないと言い出されて、イギリスから日本へ転送してもらえる業者を手配したり送料の差額分の現金を同封されてしまい国外発送できないと転送業者から連絡がきたりと手元に届くまでとても苦労したのも今となっては良い思い出となっていたす。

 そのようなこともあり、私のお気に入りのレースのひとつとなっています。


おわり



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