Narumi
自作ショートショート(短いフィクション小説)を書いていきます。
私のライフスタイルについて、環境や性のことについて
この頃考えていること、近況を文章にしてみようと思います。 憧れであり好きな仕事だった記者を辞め、 いまはフリーランスとして働いています。 なんでかと聞かれ、状況に応じてそれっぽく答える時もありますが、「なんとなく今だと思ったから」が一番しっくりくるような。 退社を決めた時は、次に何をしようか決まっていなかったのですが、結果的にいま、面白い仕事ができています。よかった。 エンパワメントと言葉 あえて突き詰めるなら、 私がやりたい仕事はここにある。 いま受けている仕事
「したかったこと、私には向いてないみたいで」 20歳の女の子がそうこぼす。 立ち話ついで、"たった今思いついたんです"くらいのノリで、あまりに自然に言うものだから、これといって気の利いたフォローもアドバイスもできなかった。彼女がどんな人でこれまで何を思い歩んできたのか知らないが、他の人と同じように「そんなことないよ」って言っておいた。 思う。彼女がこの言葉を吐き出すまでに、諦めてしまうまでに、どれほどの努力と、絶望があったんだろう。 部屋の小窓に朝日が差し込むタイミング
乗れてる、乗れてる…! 頭からつま先まで銀白色に染まり、まるで生まれて初めて補助輪を外した子どもみたいにはしゃいでいた。かじかむ指先さえ気持ちいい。 雪に埋もれた体を起こし、呼吸を整える。 いち、に、さん、転んだらまた、立ち上がる。ひたすら同じ動作を繰り返す。無我夢中に練習している自分自身が少し、くすぐったかった。体が疲れていて、節々が痛む。それでももう一度、前を向く。私を追い越す人たちすべてを真似するように、もっとできる、次はできる。新しい挑戦は久しぶりだった。 年が明
ネガティブ人間になるつもりはなかったが、いつのまにか「悪いこと」が頭の中を占めている。いまはたぶん90%くらい。多いなおい。 満員電車通勤を始めてはや半年、反復生活が習慣になると、だんだん考えることを放棄していってしまうものみたいです。階段にするかエスカレーターにするかだけ決めて、あとはぼやぁっと生きてる、生きてるのかな。元気にしていますか、元気ハツラツだったころの私。 水面下でかれこれ1年くらい英語を勉強していて、最近は英語で考えることを意識している。特に寝る前。声に出
よく知りもしない男の子どもを孕んでいるかもしれない、と婦人科に駆け込む前日の夜だった。冷え込んだ風が木造46平米の1LDKに吹き込んできて、私の手足を凍らせる。この部屋に一人きりは孤独だ。スポットライトが一つ当たった大舞台に、突然立たされような心細さに襲われる。 助けてください、と、わたしは心の中で叫んだ。 孤独に弱い人間だ。人は誰しもそうだろうと言われれば、そうなのかもしれない。 ずっと生理が来ていないことが気がかりだった。 妊娠検査薬をひとつ、またひとつ、使うたびに
たったいまこの瞬間、きみの胸の中でしずかに"何か"が着火した音を聞いたか。それは穏やかで、激しくて、煙たくて、まぶしい。 周りの人には決して聞き取れないような微かな音に、かたく耳を澄ませていたか。 ちいさな炎は燃えている。うすく開いた扉から漏れる風にも負けず、雨嵐にも負けず、ごうごうと燃え続けている。きみはそれを、決して絶やしてはならない。つまらなくくだらない理由で諦めてはいけない。幼き日に握った母の手よりも、強くしっかりと、つなぎ止めていなければならない。 -- 舗装
大事なものを大事にすればいいだけなのに、どうしてそれがうまくできないんだろうね
おいしい中華を一緒に食べる、という名前の幸せ するするほどけていく感覚があるだけで、胃袋掴まれたのはわたしの方だったわけ
「あなたは自由気ままに生きている娘だからね」 スマートフォン越しに聞こえる母親の声は、なんだかいつもより少し、嬉しそうだった。 4月半ばの夕方、歯科で治療中に突然、電話がかかってきた。私は驚いてポケットをまさぐり、通知音を切る。 診察代を払い終わるのを待っていたみたいに、2回目の呼び出し音が鳴った。「さっきはごめん、出られなかった」、私はすぐに電話をとって、平謝りした。 電話口で元気いっぱいに話す母親から、いくつかの事務的な報告を受けた後、それぞれの近況や、私がパート
面白くてつい、にやっとした。 虫歯があるような気がして先週、歯科でレントゲンを撮った。変なプラスチック型をかまされて、重たいエプロンをつけられて、椅子に固定された自分の姿があまりに滑稽だった。 恐れず死にたい。 腹の底からブワァっと燃え上がってくるなにかが、ぐつぐつと煮えたぎっている。他がどうであれ、社会がどうであれ、私は私だ。ただ目線をまっすぐに、胸を張って生きたい。何にも恐れず、自然にかえるように死にたい。私がいくら拒否をしても、いのちは次々と生まれてくる。意思とは反
一年で一番ゆううつな冬が終わってから、私は人が変わったよう、いままで以上に毎日駆け回っている。今までは必須と思い込んでいた8時間、寝る時間すらなくなっていて、生理も体重もだんだん軽くなっている。ヘルシーな生活を心がけているけれど長生きしたいわけじゃない。自分の意見がばっさり決められるようになったのはここ最近の話で、人として以前よりとがっている感じもする。 日常選手、もうアスリートって呼んでもらっていいかもしれないそれくらい毎日(時間に追われて物理的に)走っている。パソコン二
日々の活力は愛おしさで、原動力は怒りから湧き出てくる。やりたいことを見つけるには、自らが諦めきれない怒りを見つけること、つらく険しい道になろうとも。ゆえに優しさは無関心ともいえる。 未知を断言できるほどの、熱量は大衆を動かす力を持つ。それらすべてを正義とも呼ぶ。正しい(誰にとって?)とはもちろん、限らない。 恋は自らの表現方法なので、どれもこれも、「いまの私がどう生きたいか」と「いまのあなたがどう生きたいか」が合うか、合わないかというだけ。相手よりも自らをかえりみたほうが
母親が言っていた 人生には3度のモテ期があるから逃さないようにって教え、あれ実体験だったのか今になってとても気になる モテる人だったろうな今も可愛らしくて
いのちが動いている瞬間が好き でもその瞬間だけでは生活してゆけないからと、わたしはきょうも常人のふりをしている じょうずになるように息をしているだけ これって言い訳ですか
ちいさいちいさい、自分がいる場所がちいさすぎて反吐が出るな!やれるならもっとやれよ!やるよ!
特定の誰かに向かって喧嘩を売りたいものではないし、すでにその決断を、ふたりで、ともに、している/そしてそれを継続している私の両親はじめ、世界中の素晴らしい夫婦のみなさまには尊敬の意を表していますということを先に述べておきます。ご結婚おめでとうございます。 -- おまえももう結婚かぁ〜ようやく踏み切ったか〜 とかって言葉を、誰かが誰かに向かってかけている場面に遭遇する。ものすごい重大な決断をしたかのような「結婚」ってワードが、特に、25歳をすぎると、頻繁に飛び交うようにな